50 そして
高校を卒業し、大学が始まるまでの休み期間。
今日は陽葵が私の家に遊びに来ていた。
私はベッドの上で壁に背をもたれながら、陽葵は座椅子に座って雑誌を読んでいる。
なんて事のない時間だった。
「来週さー、卒業旅行に行くんだよね」
なるほど。
卒業を理由に友達同士で行く旅行がある事は知っている。
友達がたくさんの陽葵にはそんな愉快な誘いがあって当然だ。
私はスマホを置き、こちらを振り返っていた陽葵に頷き返す。
「行ってらっしゃい」
ぱたぱたと手を振るが、陽葵は無言のまま返事はない。
「……何か、ないの?」
随分と含みのある言い方で、こちらの様子を伺い続ける陽葵。
私にこれ以上の何が出来ると言うのだろう……?
「あ、お土産とかはムリしなくていいからね」
「ちがう、そうじゃない」
違ったらしい。
「“私も行きたい”とか、“陽葵は行かないで欲しい”とか、そんな反応があるかと思ったんだけど」
何ですかその真逆な反応。
私がそんな陽葵のプライベートに踏み入るワガママな子だとでも?
……まぁ、そういう感情があるかないかで言えば、あるにはあったけども。
そんなのはとっくの前から抑えつけていた感情だ。
多少思う事はあっても我慢するし、贅沢ばかり言っても罰が当たる。
「陽葵の行きたい旅行を邪魔するほど、私は野暮じゃないよ」
「……へぇ、そー、ふーん」
唇を尖らせながら真正面を向いて雑誌に視線を落とす陽葵。
明らかに、かなり露骨に思う所があるような反応だった。
その、なんだろう。
陽葵が不機嫌そうな態度をとる理由は、やっぱりそういう意味でいいのだろうか。
ある時から持ち始めた疑念が、時間をかけて少しずつ色濃くなっている。
それに私も、もう少し自分に素直になってもいいのかもしれない。
今の私は社会人でもなく、ただの白凪雪としてここにいる。
自分の気持ちを無理矢理に抑えつけて、物分かりのいい人物を演じる必要はどこにもないんだ。
「でも……行かないでくれた方が、嬉しいかも」
ぴくり、と陽葵の肩が揺れる。
もう一度こちらを振り返ると、さっきまでの拗ねたような反応はどこにか消えていた。
「行かないで欲しいの?」
「え、まあ、どっちかとう言うと」
つい曖昧な表現で含みを持たせてしまう。
やっぱり心を全部曝け出すのは難しい。
「へぇ、なんで? なんで行かないで欲しいの?」
「……えっと」
今度は陽葵が身を乗り出して私に迫って来る。
その勢いのせいで、こっちは身を引こうとするけど背中に壁があって意味がなかった。
意地の悪い質問だ。
そんな理由なんて数えるくらいしかないだろうし、きっと想像だってついてるはずなのに。
「そりゃ、ちょっと寂しいでしょ。一人だけ残ってるのは」
それしかない。
私には陽葵しかいなくて、そんな愉快なイベントもないんだから、一人残されたら寂しいと思うに決まっている。
これは仲の良い関係なら誰だって思う事で、絶対皆そうに決まっている。
口にするのかしないかの差でしかない。
「へぇ……寂しいんだ、雪はあたしがいないと寂しいんだ?」
何がそんなに面白いのか、陽葵はニヤニヤと笑みを浮かべ続けている。
マウントだ、友達の多さであたしを見下ろしている。
そんなのとっくの昔からそうなのに、いまさら言わなくたっていいはずなのに。
「はいはい、それでも陽葵は愉快な仲間たちと旅行に行くんだもんね。いいよ行ってきなよ、私は動画でヨーロッパの動画でも見てるよ」
「ちょ、そんなガチで拗ねないでよ」
ふん。
動画を見ないにしたって、どうせ家に引きこもる毎日なんだから大きな差はない。
私は正直に気持ちを打ち明けたのに、こんな仕打ちを受けるとは思わなかった。
やはり何でもオープンにするもんじゃないと思う。
「冗談だって」
「冗談になってない」
もう嫌になったので、スマホを眺める。
腹いせに今から本当にヨーロッパの動画でも検索してやろう。
「いや、だから卒業旅行には行かないんだって」
「……ん?」
「卒業旅行の話自体が嘘、雪の反応が見たくてつい言っちゃった」
お茶目に舌を出す陽葵。
なるほど、そもそも冗談だったのか。
そうか、それなら仕方ない。
私は陽葵の座っている背もたれに手を掛けて、前に押す。
――ギッギッギッ
と、歯車の音が鳴り、背もたれは垂直になる。
「え、なに、どゆこと?」
私はそのまま手を離す。
背もたれはそのまま後方に倒れ、陽葵も一緒に後ろにのけ反る。
「わわっ!?」
陽葵の顔が近くなったので、その顔を掴み、覗き込む。
「私そういう嘘、苦手」
「……ごめん」
こんな心の内は陽葵にしか明かさないのだけど、だからこそ陽葵にからかわれるのが一番恥ずかしい。
きっと、この心を全て恥ずかしげもなく晒す事が出来るようになったなら、その時は何かが変わった時なんだと思う。
◇◇◇
――ギッギッギッ
と、あたしは倒れた背もたれの位置を元に戻す。
いやいや、雪がこんな事をしてくるなんて。
ちょっと、からかいすぎたかな。
まぁ、でも、雪に言った事は半分は嘘なんだけど、半分は本当だった。
本当は卒業旅行には誘われていた。
誘われてはいたけど、断ったのだ。
きっと雪は嫌がるだろなぁと思ったら、何となく気乗りしなくて。
元々あたしが自分磨きを始めたのは雪が理由だったし、それがいつの間にか人気者みたいに扱われるようになっただけで。
雪があたしを見ていてくれるのなら、それで良かった。
「機嫌、治してよ」
「機嫌は普通」
それはムリがある。
さっきから雪は体育座りで、膝で口元を隠している。
明らかに何かから身を守るような仕草で、あたしにその心を見透かされないように守っているのはすぐに分かった。
でも、そんな仕草からでも見通せてしまうくらいには雪の感情表現は豊になっている。
だから、期待してしまう。
「それじゃ、あたしと卒業旅行に行く?」
あたとしだけの思い出。
その先にある関係性を。
今の雪となら、思い描けなかった未来があるのではないかと期待に胸が膨らむ。
「行かない」
膨らんだ胸はすぐにしぼんだ。
「なんでよ、あたしがいないと寂しいんでしょ」
「それと旅行は別」
「なんで別になるのか分かんないんだけど」
どういう事だ。
あたしがいないと寂しいと言って求めてくれるようにはなったけど、旅行に行くのは違うという。
それってどんな存在?
友達以上にも以下にも見える。
「ここにいたらいいでしょ」
「へ、部屋にずっといろってこと……?」
「うん」
その細い首は相変わらず強く頷く
いや、家にいるのが悪いとは言わないけど。
それをずっと限定されるのも違う気がする……。
「旅行に行くと、陽葵に視線が集まるからさ」
「……ん? まぁ、見られる事はあるかもしれないけど」
ここで謙遜しても事実は変わらないし、雪との間柄だから肯定はする。
確かにあたしは他者からの視線が集める事は多い。
その視線全てを好意的に受け取れているわけではないけど、そういうものなのだと諦めてはいる。
「ここにいたら、集まる視線は私だけだからね」
「……それは他の人に見られたくないってこと?」
「他の人が陽葵を見ている必要ないからね」
それは独占欲という名の感情だと思うのはあたしだけだろうか。
果たしてそれは友達に向けるべき感情なのかと考えると……違うと思うんだけどなぁ。
それでも飄々としている雪を見ていると、判断に困る。
困るけど。
「そんなにあたしの事、独り占めしたいの?」
「……というより、他の人に触れる必要がないって意味」
それは同じ事言ってるんだよっ。
飛び跳ねそうになる心臓を抑えつける。
きっと、これからの生活で何かが変わる。
その時は、もうすぐそこなのかもしれない。




