05 隠し事するんだ
「ただいま」
自分の家に帰って、声を出してみる。
返事はない。
私は高校時代から一人暮らしだったからだ。
ワンルームの質素な部屋に、ベッドの前に置いてある座椅子。
そこに座り、近くにあったカエルのぬいぐるみに顔を埋める。
「はぁ……疲れた……」
両親とは折り合いが悪く、許可を得て一人暮らしをしていた。
学費も生活費も親から出ているのだからバツの悪さはずっと感じていたけど、それでも家に帰れば人と触れ合わずに済むのは私にとって救いだった。
「……暫定的な友達」
改めてその言葉を口にしてみても、やっぱりしっくりとは来なかった。
分からない事を考えても仕方ない、今はまず私が何をするべきかに集中してみる。
どうしたら陽葵は私の事を認めてくれるのか。
具体的に、プレゼントを渡すというのはどうだろう?
ちょうど陽葵の誕生日が近い。
物で許してもらおうだなんて浅はかだと思われるかもしれないけど、それでも何もしないよりはずっといいはずだ。
「何を渡そうかな……」
そうなると何を渡すかも重要になってくる。
陽葵の好きな物を渡せばいいんだと思う。
好きな物を貰って嫌な人はいない。
これは友達だからこそ出来る事で……って、あれ。
「陽葵の好きな物って、なんだろう」
昔の事だから、忘れている?
でも、ここに至るまでの過程は思い出せてるし、覚えていた事がほとんどだ。
だから、陽葵の好みだけ抜け落ちているとは考え難い。
じゃあ、なんで分からないんだろう。
「……最初から、分かってなかった?」
背筋が凍りそうな事実に、自分で気づいてしまった。
幼馴染の好みを私は把握していなかったのだろうか。
思えば、私が陽葵に誕生日のプレゼントを渡す時も、私は“私が便利だと思う物”だとか、“今流行っている物”とかをそのまま渡していた気がする。
要するに、自分本位だった。
でも、それを今の今まで気づかなかった。
それは、どうして……。
『ありがとう、雪。大事にするね』
笑顔で陽葵が受け入れてくれてたから。
『うわっ、これ今流行ってるやつじゃんっ。ありがとね雪』
何を渡しても喜んでくれたから、私は彼女の好みを知ろうともしていなかった。
そんな事をしなくても陽葵は嫌な顔一つしないし、言葉にする事はなかった。
それは、どうして。
そんなの簡単だ、私の事を大事に想ってくれていたからだ。
――ゴンッ
正面にあったローテーブルに額を落とす。
ゴリゴリと机の上で額を転がす、少し痛い。
「……どこまで最低なんだ、私は」
自己嫌悪。
陽葵の事を知ろうとしてるはずなのに、自分の欠陥ばかりが浮き彫りになっていく。
そりゃこんな人間に友人が出来るわけもない。
まして唯一の友人だった陽葵にも嫌われるに決まっている。
私はなるべくして一人になったんだ。
「……でも、やっぱり諦めたくない」
知らないなら、知ればいい。
今ならまだ間に合う。
私は陽葵の事を知るために、ここにいるのだから。
◇◇◇
「え、陽葵の好きな物?」
翌日の休み時間。
ちょうど一人で廊下を歩いている北川さんを見つけて話しかけてみる。
すると、私の質問に驚いたのか目を丸くして反芻された。
「うん、プレゼントを渡そうと思って」
「えっと……それって白凪さんの方が詳しいんじゃないの?」
当然の疑問を投げ返される。
北川さんと陽葵の関係性は高校からで、私と陽葵の関係性は小学生の頃からだ。
付き合いの長さだけで考えると、私から北川さんに聞くのは違和感がある。
「いやぁ……えっと、そのぉ……」
つまり、私が“たった一人の友人で幼馴染の好みすら知らない欠陥人間”である事を伝えないといけない。
そうしないと、この状況を理解してもらえない。
だけど、共通の友人がいるというだけの間柄で、自分のだらしなさを露呈するのは勇気がいる。
「なんか訳あり?」
言葉を出し渋っている私に、北川さんが察して歩み寄ってくれる。
飲み会の時も思ったけど、北川さんってクールな印象だけど実はかなり優しい。
今も未来も、こうして関係性が希薄な私との相談に乗ってくれるのだから。
たくさんお世話になっているのに、私だけ綺麗な所を見せようなんて……虫が良すぎるよね。
「その……恥ずかしい話なんだけど、私って陽葵の好きな物ってあんまり分からなくて。北川さんの方が詳しいと思うんだ」
「ん、ああ、そうなんだ。陽葵からは白凪さんとは昔からの付き合いって聞いてたから、てっきりお互いの事は知り尽くしてるのかなって、ごめん、勝手に思ってた」
北川さんの方から謝らせてしまった。
余計に気を遣わせてしまってどうする。
慣れない事すると全然上手く行かない。
本当に人付き合いが下手だ。
「えっと、好きな物っていうのは具体的に何のこと?」
「食べ物とか飲み物でも、趣味とか、最近流行ってるものでも」
「ほぼ全部、って感じだね……」
「あ、えっと……そ、そう……だね」
本当だ。
どれ一つとして私は知らない。
これでよく友達だとか、幼馴染だとか思えてたよね。
北川さんと話す事で、自分の驕りが次から次へと形になっていく。
「分かった、わたしが知ってる範囲で教えるよ」
だけど、北川さんは困ったように笑いながらも快く受け入れてくれる。
本当に心の広い人だ。
「……あ、ありがとうっ」
「いいよ、これくらい。知らない人になら教えないけど、陽葵も白凪さんなら許してくれるでしょ」
そんな北川さんの好意にひたすら感謝をして。
もう一つ、お願いしたい事があった。
「なにしてんの?」
そこに割って入って来る声。
それは北川さんのものではなくて、私が今ずっと考えている人の声で。
振り返るとやっぱり、その人がいた。
「……陽葵」
「何話してたのって聞いてるんだけど?」
陽葵に冷たい視線を飛ばされる。
昨日の放課後に見せた笑みは、そこにはない。
「ただの世間話だよ、もうすぐテストなのだるいねって。ね、白凪さん?」
すると、北川さんが助け船を出してくれる。
何でもない事のように会話を繋げてくれた。
「そ、そうなの」
私も頷いて話を合わせる。
まさか本人を目の前にプレゼント選びの相談をしていたなんて、言えるはずもない。
けれど、陽葵の訝しがるような視線は変わらなかった。
「二人とも、そんな話す仲だっけ?」
「そりゃ話す時くらいあるでしょ」
北川さんは肩をすくめて違和感なんて初めからなかったように振る舞ってくれる。
この立ち回りのスマートさは、私にはないものだった。
「紗奈はね、雪は違うでしょ」
恐らく違和感の全てが私から来ている。
当然の疑問に、私は口を強く引き結んだ。
「いや、北川さんとは最近話すようになったの」
「そうそう」
間髪入れない北川さんの相槌、恐ろしいくらいに自然だった。
立ち回りが上手すぎる。
「……ふーん。ま、いいけど」
興味を失ったのか、陽葵は眠たそうに瞼を落とした。
その手で、そのまま北川さんの肩を掴んでいた。
「行くよ紗奈、世間話終わったんでしょ」
「え? あ、うん」
北川さんが私に目配せする。
違和感を持たせないように一旦この場は陽葵に合わせようというメッセージだと思う。
とりあえず、悟られないで済んだのは良かった。
次は会話をする場所もちゃんと考えないといけないな、なんて反省する。
――ブーッ
と、ポケットに入れていたスマホのブザーが振動していた。
【隠し事するんだ?】
陽葵からのメッセージ。
全然、納得していなかったみたいだ……。
【隠しごと?】
とりあえず、知らないふりをする。
それ以外の選択肢が私にはない。
【はい、じゃあ罰ね。放課後、教室で待ってて】
……反論の余地もなく、私の罰が確定していた。