35 あたしにとっての時間
時間が経つのが遅く感じる。
一日一日がもっと早く進めばいいのにと、そんな事ばかりを考えている。
一週間後に控えたあたしの誕生日。
その日を待っていて、待ち過ぎて、他の時間の意味が薄くなっている気がする。
とにかく時間の流れがゆっくりに感じられた。
そんな事を考えていても時間は平等に流れていて、何かが変わる事なんて有り得ないんだけど。
他に考えたい事もないんだから困ってしまう。
あたしは出来るだけそんな思考を隅に追いやって、帰りの支度を整える。
放課後は雪と帰るのだから、意味を感じられる数少ない時間だった。
「……ツラい」
雪の席に近づくと、彼女は机に突っ伏していた。
その姿には帰る気配も、かと言って何かをしようとする気概も感じられない。
「雪、どうかしたの?」
「……体育のせいで、体が痛い」
体育はマラソンで、ただひたすらに長い距離を走らされた
疲れるし、汗はかくしで最悪だったけど。
流石にここまで疲れる程のものじゃないなとは思った。
「気持ちは分かるけど、疲れすぎじゃない?」
「……私は君たちのように若く……はあるのか、単純に運動不足か……」
雪がおかしな事を一人でぶつぶつ言っている。
やっぱり相当疲れているみたいだ。
「いいから、帰ろうよ」
「帰りたいけど、動きたくない時はどうすればいいと思う?」
これまた難しい事を言ってくる。
「頑張って歩くしかなくない?」
「……この体が回復してるならね」
「そんなのすぐには無理でしょ」
「……なら、早く時間が進まないかな。体が回復してる頃の自分まで」
それって、全然目的は違うけど。
時間が早く進んで欲しいという願いだけが雪と重なる。
それはあたしも待ち望んでいた事なのに、雪が同じように言葉にすると、その回答はするりと口から零れていく。
「そんな都合いい事あるわけないから」
ああ、自分で言っておいて悲しい。
雪の願いの否定は、あたしの願いの否定でもある。
自分で自分の思いを跳ね返すのは精神的には良くない。
「じゃあ、時間を巻き戻すかな。体がこんなに疲れる前に戻りたい」
「それはもっとダメだから」
もしも雪が時間を自由に行き来が出来るとするのなら。
間違っても時を戻すなんて事はして欲しくない。
その分だけ、あたしの誕生日が遠ざかってしまうから。
これ以上、待つ時間が長引く事は許せなかった。
「……どっちでもいいけど、とにかくツライんだよね私」
雪はどっちでもいいんだ、とも思ってしまう。
過去に遡ったら、誕生日は遠ざかるし。
未来も先へ行き過ぎたら、誕生日を通り過ぎてしまう。
あたしの事はそこまで気にしてないって事なのかな。
いや、どう考えても、あたしの考えすぎだ。
こんなのただの冗談なのに、あたしが重く考えすぎてしまっている。
でも、それくらいあたしは真剣なんだという事実に自分で気付く。
「過去にも未来にも行けないよ」
「じゃあ今の私はどうしたらいいと思う?」
こうしている今も時間は過ぎていて。
でもこの時間はあたしと雪が一緒にいる今でもあるから。
この時間を忘れないように、失わないように、大事にしていく。
「諦めて、今を生きるしかないんじゃない?」
「……それがツライのに」
雪にとっては今がツライ時間だったとしても。
そんな雪をあたしは覚えている。
この先の未来に、あんな過去があったねと笑って話せるように。
その為に今を慈しむんだと思う。
だから、この時間を大事にする事が過去と未来に意味を持たせるんだと思った。
「今、頑張ればこの先に良いことあるかもよ」
「じゃあ、今頑張るために何か良いことが欲しい」
「……また難しい事を言う」
雪はこの先にあるものでは足りないようで、今すぐの見返りを求めている。
気持ちは分かるけど、そんなに人生都合よく回らない。
ああ、この回答も全部自分に跳ね返ってくる。
「今は我慢して、その先にいい事があると信じてやるしかないんじゃない?」
「……なら、これから良い事が起きる保証はある?」
それは誰にも分からないんだけど。
でも、少なくともこの先のあたしにとってはある。
誕生日を祝ってくれる雪がいるのなら、それが一番いい事だ。
だから、あたしは今がどれだけ退屈でも耐えられる。
そんな喜びが、雪にとってはないのだろうか。
あたしはこんなにも待ち望んでいるのに。
「ほら、あたしの誕生日とか」
まぁ正直、雪は祝う側で、あたしは祝われる側だから。
テンションに差があるのは分かってるんだけど。
でも、逆の立場であたしが雪を祝う側だったとしても、きっとあたしはその日を楽しみに待つはずだ。
だから、雪もそれくらい楽しみにして欲しいなと思っていた。
「んー、それはそうなんだけどねぇ……」
だけど口をへの字にして、不満げな表情を浮かべている。
言っている事と、その表情は乖離していた。
「なに、ダメなの?」
そんな不満足な感じでお祝いされても悲しいと言うか。
どうせだったら乗り気でやって欲しいみたいな。
雪から誘ってくれたんだから、尚更そう思う。
「それじゃ足りない」
「……足りない?」
よく分からない表現にあたしは雪の言葉を反芻しながら、首を傾げる。
「そんな一日だけで満足出来る私じゃないんだよ」
「なんかそれ、よく意味分かんないんだけど」
その言葉のニュアンスは、否定的にも感じないんだけど、肯定的でもなかった。
どっちつかずの上手く言えない感情。
「陽葵の誕生日を一日独占したからって、私はそれだけじゃ満足しないってこと」
「……えっと、ごめん、やっぱり微妙に意味が分からないんだけど」
突っ伏していた顔を上げて、雪がこちらを見る。
疲れている顔をしているけど、その瞳だけは爛々と瞬いているように見えた。
「これから先も祝って行かないとね。今回のも大事だけど、私はこれからも陽葵の誕生日を見守って行かないといけないんだよ」
どうしてか、その言葉は力強い。
雪の中にある決心とか覚悟とか、そんな強い意志を覗かせている気がする。
「だから、それだけで満足してたらダメなんだよ……」
そして、また顔を突っ伏す雪。
力尽きたのか、まただらしなく体を伸ばしていた。
「なるほど……ね」
あたしにとっては今回の誕生日がまるでゴールのように感じていたのだけど。
雪にとっては通過点に過ぎないみたいだ。
それなら受け取り方が変わって当然なんだろうけど。
でも、雪はさらりと言ってたけどそれって……。
「これからも、お祝いしてくれるってこと?」
雪にもう一度尋ねると、今度は首だけ起こしてぼそりと呟く。
「友達の誕生日はお祝いするものなんだから、そりゃそうでしょ」
……なんて、ぶっきぼらぼうに言うのだろう。
だけど、それは雪がこれからも一緒にいてくれようとしているって事で。
その答えは、よりあたしの気持ちを高揚させていた。
「ほら、筋肉痛が起こると筋力がつくって言うし」
「要らないよ、筋肉」
「じゃあダイエット効果もあるし」
「……それは、まぁ、いい事かな」
こんな他愛ない会話も、振り返ればきっと楽しい思い出に変わっているのかもしれない。




