34 あたしが進んでいく道
「陽葵、誕生日ってやっぱり空けられないんだっけ?」
教室で紗奈に声を掛けられると、その内容はもう何度かあたしから伝えていた事だった。
「うん、ちょっと用事あるからムリなんだよね」
本当は用事がない時から断っていたんだけど、今は実際に用事が出来てしまった。
雪があたしの誕生日を祝ってくれると言ってくれているのに、それを無視する事は出来ない。
薄情かもしれないけど、あたしの中での優先順位は明らかだった。
どんどんと比重が増していく雪の存在に、少し戸惑いも感じるけど。
その流れを自分から変えるのは難しかった。
「まぁ、それなら仕方ないんだけどさ。でも、もうちょっと立ち回り考えた方がいいかもよ?」
「……どういうこと?」
紗奈がぽん、とあたしの席の上に座る。
彼女の横顔は鼻筋がすっと通っていて、軽く足を振りながらこっちを見る。
「最近は登下校もお昼休みもずっと白羽さん、遊びの出席率も低め、誕生日もムリ……これって皆どう感じると思う?」
紗奈が言いたい事はすぐに分かった。
少しずつ、皆にノリが悪いと思われているのだろう。
紗奈はその空気を感じて、あたしに注意してくれているみたいだ。
だけど、それは難しい相談だった。
「でも仕方ないよね、あたしだって色々あるんだし」
「……それだよ、それ」
「どれ?」
紗奈が呆れたような、疲れたような声を出す。
あたしのこの答えすらも見透かしていたように。
「一番問題なのは、陽葵のその淡泊な反応だと思うよ。もうちょっとでいいから、皆に申し訳なさそうな態度を見せてたら印象変わると思うけど」
あたしが雪との時間を過ごす中で、それ以外の人達といたいと思う気持ちは確実に薄れている。
その執着のなさとか、割り切ってしまっているあたしの姿勢が伝わって、友達とのズレが生じ始めている。
それが問題だと紗奈は言いたいらしい。
紗奈が言う通り、人間関係を円滑に過ごす上手なやり方はあるんだと思う。
取り繕うような言葉や態度を使いながら、やむを得ない事情だと伝えれば印象も変わるだろう。
でもあたしはそれらをせずに、用件すら明かさずに、雪との時間を優先するようになっている。
そんな不透明な人間が孤立していくのは当たり前で、むしろまだ繋がっている今の状況の方が特殊なのかもしれない。
「正直、陽葵じゃなかったらもっと辛辣な空気になってると思うよ」
「それは……困ったね」
でも、それでもいいと思い始めているあたしもいる。
このまま皆が離れて行くのは寂しいとも思うけど、この煩わしさからも解放されると期待している自分も同時にいた。
ほんの少し雪の事を優先したいと思い始めただけで、人間関係という名の天秤はグラグラと揺れ始めている。
この誰かとの間を行き来する時に、どこかに気を遣わないといけない空気感はあまり好きじゃない。
目に見えないはずなのに、そこに重さや軽さがあるような、その空気の張りすらも感じるような繊細さはあたしの性には合わないのかもしれない。
「そう言いながら、あんまり困ってなさそーなのがこれまた困るんだよなぁ」
紗奈は頭をもたげていた。
彼女も彼女なりに、その人間関係の天秤に揺らされているのかもしれない。
「紗奈は困らないでしょ」
「どーせだったら皆で平和でいたいでしょ、どっちも悪気ないのにバラバラになるのは何だか歯がゆいし」
そうやって紗奈は自分以外の誰かの事を気にして、思い悩んでいる。
あたしは自分の事だからいいんだけど、紗奈はどうしてそこまで自分の事以外に気を配るのだろうか。
いや、ありがたいんだけどね。
ただ単純な疑問として思うだけ。
「紗奈はどうしてそんなにあたしの事まで気を遣ってくれるわけ? 嬉しいけど、そこまで思い悩まなくても、あたしは大丈夫だから」
どこまで行っても、あたしの事はあたしの事だ。
自分でケジメはつけられる。
でも紗奈は自分じゃなくて、他人の事を心配してしまっている。
他人の事なんて自分でどうする事も出来ないのだから、そりゃ思い悩んでしまえば止まらないだろう。
「いや、それは……」
紗奈があたしを見ながら言葉を詰まらせる。
いつも流暢に話す彼女のそういう姿は結構珍しい。
「あー、ごめんごめん。皆の平和が紗奈の平和なんだもんね」
自分の身の回りの幸せが、結果的に自分の幸せ。
だから紗奈も自分のためにやっているという事で。
ただ、その範囲が広いだけ。
あたしはその範囲がどんどん狭くなって行って、気付けば雪だけになりそうだから。
その差が、今のあたし達のすれ違いを引き起こしているのかもしれない。
「いや、それとこれとは微妙に違うんだけど……」
それでもどこか言葉を濁す紗奈。
ニュアンスが違っただろうか。
「なんか変なこと言った?」
「や、うん……何でもない。それはそうだしね」
自己解決したのか、うんうんと紗奈は大きく頷く。
それと一緒に足の振り幅も大きくなっていて、いつもの彼女らしくない子供っぽさを感じさせた。
まぁ、普段の紗奈が大人っぽすぎるだけなんだけど。
それともあたしがガキすぎるのか?
「ちなみにさ、陽葵の誕生日の予定って聞いたらダメなの?」
「……あー」
その質問の返事は悩む。
「何も教えてくれないからさ、こっちは隠されてるって思っちゃうのは仕方ないよね」
……白状するなら、あたしは雪が誕生日を祝ってくれるんじゃないかと期待していた。
だから最初は予定がないのに断ってたから言えなくて。
今は雪との予定が入ってしまったから言えなくなっている。
結局は、雪と一緒にいたいから断っているわけで。
こんな事、言ってしまえば距離が開いていくのは当然で。
かと言って、黙っていても距離は開いていくわけで。
どうしたって、あたしの進む道は外れていくしかなさそうだ。
その外れた道の先に、雪がいればいいなと願いながら。
「白凪さん?」
「……えっと」
紗奈の目があまりに真っ直ぐで、確信めいたものを宿していたから。
あたしは中途半端な声を上げるしかできなかった。
どちらに転んでも良い結末に辿り着かないであろう選択肢を選ぶのは、こんなにも難しいのかと感じる。
「ほんと分かりやすいよね」
「いや、あたし何も言ってないけど」
「目は口ほどに物を言う、ってね」
それは今まさに紗奈から感じたことなんだけど。
いや、だからこそ紗奈もあたしから感じたのか。
「言わないから安心してよ、逆にそれっぽい理由作っとこうか?」
「……んー」
きっと紗奈に頼めば上手くやってくれるのだろう。
次に会う時はもっと和やかな空気になっているとも思う。
だから素直にお願いした方が楽にはなれるんだろうけど。
「いや、このままでいいかな」
でも、それって結局あたしじゃない。
紗奈が作り上げた虚像がそこにいるだけだ。
そんなのいつか壊れてしまうだろうし、壊れないようにあたしが虚像に引っ張られるのも違うと思う。
あたしはあたしのままで、それで崩れてしまう関係性があったなら、それがあたしなんだと思う。
「……そっか。そんな感じなんだ」
納得してくれたのか、それとも呆れられたのか。
どっちともつかない息を吐いていた。
パタパタと揺れていた足も、今はその動きを止めている。
「ま、どうにかなるでしょ」
「……どうなってもいい、の間違いじゃない?」
ある意味はそうで、ある意味ではそうじゃない。
あたしが失ったら困るのは、きっと雪の方だから。
だから雪といる為に崩れてしまうものがあったなら。
そっちを切り捨てる覚悟があるだけで。
「どうなっても、あたしはあたしだよ」
だから、後悔だけはしない道を進んで行きたい。




