02 きっかけ
きっかけは、いつかの放課後だった。
陽葵に誘われて行った喫茶店。
古びた革張りのソファに向かいあって座っていた。
『ねぇ、雪。いつも雪ってあたしとしか話さないけどさ、他に友達作ろうとか思わないの?』
『別に、思わないけど』
陽葵の交友関係が広がっている事は当然知っていたけど、それは私にとっては必要のない事だった。
特段、他の人と親しくなる理由がないからだ。
『でもさー、あたしも他の友達いるからさ。出来ればその子達とも絡みたいんだけど』
『……好きにすれば?』
陽葵は高校に入ってから他の友人と遊ぶようになって、私との時間は着実に減っていた。
本音を言えばその事には不満を感じていたけど、少数派は私である事も自覚していた。
友人関係を増やし、そちらの時間を優先したいと言うのであれば好きにしたらいい。
苛立ってはいたけど、私は大人になろうと心の中で言葉を飲み込んでいた。
『そしたら雪も一緒に来る?』
『嫌だよ、関係ないし』
『そしたら雪とあたしが絡めなくなるんだけど』
じゃあ、そっちの友達関係を切りなよ。
と、喉から出かかって止める。
子供みたいなワガママを言いたくなかった。
『ねぇ、ちょっとでいいからさ。最近絡むようになった子がいるんだ。その子が面白くてさ、一緒に遊んでみようよ』
『だから嫌だって』
『いいから一回だけ、あたしは雪の事も紹介したいの。ね、いいでしょ?』
それを何回も言うものだから。
その誘いが陽葵だったから。
『……はぁ、一回だけって言ったからね』
それが始まりだった。
最初は私も馴染もうとは努力したつもりだった。
だが、コミュ障の私にはあまりにハードルが高すぎた。
共通言語があまりになくて、結局この輪の中に私がいない方がいいんだってすぐに分かったから。
私は黙って、無視をして、誰とも絡まなくなった。
それは、陽葵とも。
『あたしは雪の為を思ってたのに、そうやって裏切るんだ』
と、陽葵に啖呵を切られ絶交に至る。
だけど私は一方的に関係を切られた、そういう認識だった。
こっちは我慢して陽葵の言う事を聞いたのに、と。
まぁ、私が悪いよね……。
もうちょっと、陽葵の気持ちを汲んであげるべきだった。
お互いが主張を押し付けた結果、壊れてしまった。
そんな未熟なやり取りだったと思う。
彼女との関係が壊れてしまった事は、ずっと心の中で尾を引いていた。
この感情が何なのかも、彼女との関係を取り戻せばきっと分かると信じている。
◇◇◇
朝、私は玄関を出てアパートの前で立っていた。
かつての通学路に、かつて着ていた制服。
にわかには信じられないけど、カレンダーも過去のもので時間が巻き戻っている事は間違いないようだった。
「……来ない、か」
いつも陽葵とは一緒に登下校をしていて、私の事を迎えに来てくれていた。
だから、彼女の姿を待っていたのだけど待てど暮らせど来る気配はない。
察するに、もう陽葵とは喧嘩別れした後なのかもしれない……。
朝の陽ざしの眩しさにうんざりしながら歩き出した。
「いた」
教室に入ると、陽葵が席に座っていた。
アーモンド形の瞳にふさふさの睫毛、鼻筋は通っていて唇は小さく、背は高くて四肢は長い。
細身なのに出る所は出ていて、ミルクティー色に染まった髪は腰元まで伸びている。
校則破りのピアスに化粧、着崩した制服。
私とは対照的な、ただ一人の友達で幼馴染。
あの頃の記憶のままの羽澄陽葵が、そこにいた。
「ひ、陽葵、お、おは」
とにかく声を掛けようと思って、でも数年来の再会にたどたどしくなっている内に、陽葵と目が合った。
「……」
「あ、え」
凍てつくような視線だった。
とても友達に向けるような目つきではない。
やはり、喧嘩別れした後の時間軸……しかも、喧嘩直後であろう事が分かった。
悲しいお知らせだった。
「陽葵ーちょっと聞いてよ、昨日彼氏が有り得なくてさぁ」
「なにまた痴話喧嘩? 朝からだるいって」
「そう言わないで聞いてよー、昨日寝れなかったんだから」
「あー、はいはい」
そうやって迷っている内に、陽葵の友人が先に会話を始めてしまう。
私はもう陽葵の顔を見る事が出来ず、彼女に背を向けて自分の席に座った。
大人になって多少は殻を破ったつもりだったけど、本当につもりに過ぎなかった。
社会人になって仕事が出来るようになっただけで中身は何も変わっていないのだ。
それを十代の子に一撃で教えられるなんて……無力感しかなかった。
キラキラと輝いている陽葵。
対して窓に映る私の姿は黒髪ロングと言えば聞こえはいいが、ただ無造作に伸ばした重い髪を垂れ流しているだけ。
まぁ、それはずっとそうなんだけど……。
そもそも私と陽葵では立つステージが全く違う。
私は、彼女を見上げる事しか出来ない。
「……そもそも、陽葵と私はどうして仲良くなったんだろう」
小さい頃は、陽葵も私とだけしか遊んでいなかったと思う。
それが居心地が良くて、私はずっと甘えていた。
けれど、高校に入ってから陽葵は一気に垢抜けた。
性格は元々明るくて人当たりが良い方だったし。
そうしたら今度は男子に告白されるようになって、自然と周りにも人が集まるようになって行った。
「そうか、私は置いてかれてたんだな」
机に突っ伏した頭を回旋させて、ゴリゴリと音を鳴らしながら窓を向く。
燦々と太陽が輝いている。
やはり陽ざしが眩しすぎる。
日光をシャットアウトしたい。
無意識的にカーテンに手を伸ばしかけて、気付く。
「私のやっている事はずっと、これなのかな……」
私は輝く光を受け入れる事が出来ず、目を背けて拒絶してばかり。
どんどん光輝いていった陽葵すらも、私は拒絶するばっかりで。
いつまでも変わらない私は、気付けば取り残されていた。
「神様、なんでこんなタイミングに巻き戻すかな」
私は机に突っ伏して、独り言ちる。
もう少しでいいから前の時間に巻き戻す事は出来なかったのだろうか。
そうすれば喧嘩する事もなく穏便に陽葵との時間を過ごす事が出来たかもしれないのに。
「……私は陽葵だけでいいって思ってたのにな」
別に他の友人が欲しかったわけじゃない。
私には陽葵がいれば十分で、それ以外は必要なかった。
余分だった。
そんな陽葵が遠くへ行ってしまうようで、私はどうすればいいのか分からなかった。
だからこそ、次に会う事が出来ればもう離したくないと思っていたのに。