19 恋文
「はーあ、と」
放課後の帰り、陽葵は虚ろ気に溜め息を吐く。
その手にはいくつかの便箋があった。
どうしてこんなアナログな風習が残っているかは分からないが、いわゆるラブレターというやつだろう。
中身を確認しなくても、それ以外に有り得なかった。
「相変わらずモテモテだね」
「……まぁ、人には好かれる方かもね」
謙虚なのか自信家なのか、判断しづらい反応だった。
陽葵は大した感慨もなさそうにその便箋を拾うと、おもむろに中身を確認する。
「もう断って来たけど」
それでどうやら疲れているようだった。
「知ってる人?」
「うん、この前遊びに誘われたから何かと思ってたけど、こういう事だったんだ」
陽葵はモテる。
その端麗な容姿に、美容にも力を入れているし、背も高くてスタイルもいい。
加えてコミュ力も高い。
これに惚れないという方が無理がある。
私としても、よく見てきた光景だった。
「どうするの?」
「断るよ。遊びも、恋愛の方も」
陽葵がひらひらと便箋を持つから、たまたま差出人の名前を見てしまったのだけど。
私でも名前に聞き覚えのある人だった。
多分、相当お似合いのカップル。
「興味ないの?」
「ない」
即答だった。
そればかりか陽葵は溜め息を吐く。
全然嬉しそうではなかった。
「前から思ってたけど、普通はもっと喜ぶんじゃないの?」
それこそ陽葵の周りの友達は恋バナに花を咲かせ、告白しろだの、されただの。
いつも黄色い声が上がっているイメージなんだけど。
その中心人物で最もモテる陽葵が一番興味を示していなかった。
「どうやっても人の好意を断るって罪悪感出るし、関係性はギクシャクするし、いい事ないよ」
「……はぁ」
モテる女にはモテる女なりの悩みがあるらしい。
持たざる者の私にはそれすらも贅沢な悩みだと思ってしまうが……、当の本人はツラそうにしているのでそんなにいいものではないのかもしれない。
「でも陽葵って付き合った事ないよね?」
「……なかったら、何なのよ」
ジロリと睨まれる。
そんな目線を向けられるような事を言った覚えはない。
「いや、興味ないのかなって」
「あっても好きな人じゃなきゃ意味ないでしょ」
そうは言うが、羽澄陽葵は相当モテる。
数多の誘いがあったにも関わらず、彼女はその全てを袖に振って来たのだ。
むしろ、誰なら興味があるのだろうと思ってしまう。
「……だから何人来られても困るの」
しかも、これで一人だけじゃないのだから末恐ろしい。
その息苦しさを何人も抱えて来たのだから、陽葵が溜め息ばかりになるのも仕方ないのかもしれない。
もう一枚は可愛い淡いピンク柄の便箋だった。
小さくて丸みを帯びた可愛らしい文字が垣間見えた。
「……女の子?」
明らかに女の子の雰囲気だったので、思わず尋ねる。
「そうだね」
「陽葵って、女の子からもモテるんだ」
まぁ、確かに陽葵は女子としても理想像に近い。
そんな彼女に憧れる子達が、恋心を抱く事もあるのだろう
「これはこれで嬉しいけど、でもやっぱり断るのはツラいんだよね」
「嬉しいは、嬉しいんだ……?」
断る事よりも、そっちの感想の方が気になった。
男子の時より、どこか反応が丸いと言うか……。
「え、うん。好かれて悪い気はしないよ」
「そうなんだ……」
何だろう。
思っていたよりも女の子からの告白をすんなりと受け入れている陽葵を見て、気になる事があった。
「陽葵ってさ、女の子と付き合うのはありなの?」
「え」
急に陽葵の言葉が詰まる。
会話の流れとしてはとても自然だと思ったのだけど。
ちょっと内容が不躾すぎただろうか。
「いや、別に男だから女だからとか。そういう偏見はない方だと思うけど」
「……ああ、そう、なんだ」
「まず好きじゃなきゃ意味ないし」
センシティブな内容だし、陽葵も触れづらそうにしていて何度も聞くような内容でもないからこれ以上踏み込む気もないけど。
意外な返答ではあった。
しかし、何回見てもこの光景はあまり気持ちがいいものではない。
こうして隣にいる人が魅力的だと多少なりと劣等感でも感じてしまうのだろうか。
「……まぁ、それだけ人に好かれてたら私の一人くらいどうでも良くなるよね」
「雪?」
私にとっての陽葵はたった一人だけど。
陽葵にとっての私はその他大勢の一人。
その好意を受け取る重さを知っている彼女からすれば、私の好意もまた重いのかもしれない。
どうりで陽葵が受け取れなくなるわけだとも納得してしまう。
だから、このまま関係が変わる事もないのかなって思ってしまった。
「陽葵が私の事を捨てきれないのは幼馴染としての繋がりなのかな。でもそれってなんか虚しいね」
「え、えっと、いきなりなんの話し……?」
それでもまだ私は陽葵にしがみつくのは正しいのだろうか。
こんなにも気を重くしている陽葵にぶら下がるのは酷な事を強いているのかしれない。
「分かった、もう無理に仲良くしようなんて言わないよ。これからは一人で帰るから」
「え、なに、いきなり……」
「それじゃね」
陽葵の返事を聞かないまま、私は歩き出した。
◇◇◇
先を行く雪の背中を追いかける事が出来なかった。
あたし達はお互いの距離を間違えて一度離れかけてしまった。
それがもう一度起こるのをあたしは恐れていた。
暫定と言って雪と接していれば、自ずと雪の方からあたしを求めてくれるから、それに安心感を覚えてしまった。
雪の好意に甘えてしまっていた。
でも、曖昧な関係はどこまで行っても曖昧で。
それが崩れ去るのも一瞬だった。
雪が遠くへ行ってしまう。
これは彼女に甘えていた当然の結果だった。
「おっす陽葵、なにしてんの?」
「……紗奈」
立ち尽くすあたしに、後ろから声を掛けて来たのは紗奈だった。
今日は一緒に帰る予定ではなかったのに、どうしてここにいるのだろう。
「男子も女子も尽く振る誰かさんのトラブルを、いつの間にか収めてくれる友達思いな子がいるらしいよ」
「……そんな便利な人いたんだ」
「便利言うな」
紗奈が溜め息を吐いた。
確かにあたしが男子を振れば逆恨みをされ、女子を振ればその女子の輪から憎まれる事は少なからずあった。
紗奈はそんなあたしのフォローに回ってくれていたらしい。
「迷惑かけてるね」
「いや、いいんだけど。お節介でやってるだけだから」
紗奈は肩をすくめた。
あたしとしては有難い話だけど、そんな得にもならない事をよくやってくれるなとは思う。
「お節介ついでに……なんかご機嫌斜めっぽいけど、どしたの? 別に誰かを振った所で気に病むようなメンタルでもないでしょ」
「人聞き悪いんだけど」
そりゃ病むほどではないけど、それなりに気が重くなったりはする。
段々と慣れてしまって……というか麻痺してしまっている事は確かだけど。
でも、そうでもしないとやってられない部分だってある。
「少なくとも玄関で立ちつくすほど追い込まれる陽葵は、見た事ないけどね」
紗奈は紗奈で、あたしの事をよく見ている。
いや、紗奈は全体をよく見ている子なんだけど。
その中でも、あたしの変化には敏感な気がしていた。
「気付けば雪に振られてたって話」
「……ああ」
紗奈はそれだけで察したのか短い相槌を打った。
「好き好き言われている内が花なんだよ、それに胡坐かいてるとすぐそっぽ向かれるよ」
今まさにあたしに起きた出来事を的確に言い当てられてしまった。
「言うならもっと早く言ってよ」
「言っても聞かなかったし」
……そうか、そうかもしれない。
あたしは頭が悪い癖に頑固だから、紗奈のように物事を柔軟に捉える事は出来ない。
自分が当事者になってようやく分かる。
いつもそんな手遅れな人間。
「どうしたらいいと思う?」
「陽葵はどうしたいのさ」
質問をそのまま返された。
でも紗奈がそう言うのだから、自分で考える事が大事なんだと思って、考えて……。
「仲直りしたい、かな」
というかそれ以外にないよね、普通に。
「じゃあ、そう言うしかないよね」
「……簡単すぎじゃね」
「言ったでしょ、好き好き言われている内が花だって。今度は陽葵がそっちの番になればいいんだよ。そうしたらお互いの気持ちが次は分かるでしょ」
理屈としてはそうなのかもしれないけど。
やっぱり随分とあっさり物事を考えているような気がして、疑問に思う。
それでも紗奈はずっと呆れたような表情を浮かべていた。
「いや、外野として見てたらマジでそれだけで済む話だから。当人達がめんどくさくしすぎてるだけだから」
「……そうなのかな」
「そうだって、とりあえず陽葵が白凪さんに対して足りなかったのは自分の気持ちを直接伝える事だと思うけど。いっつも遠回りしてるからさ」
どこまで見ているんだろうかとこっちが驚いてしまうけど、それだけに紗奈の言っている事に背中を押されていく自分がいた。
「じゃあ、雪の事を追いかけるべきかな」
「陽葵がそうしたいなら」
あたし……あたしは、そうだね。
うん。
雪を追いかけて、掴まえて、またこの手の中に収めたいと思ってしまっている。
「そうしたいかも」
「じゃあ行ってきなよ」
ぱん、と。
本当に紗奈に背中を押される。
それに突き動かされるように、足が動き始める。
「あ、上手く行かなくてもわたしのせいにはしないでね。わたしは陽葵の気持ちを聞いただけだから」
と、走り出したタイミングでそんな事を言い始める。
最後の最後でリスク管理までちゃんとこなす紗奈の立ち回りの上手さに、逆に可笑しくなってしまった。
「いや、上手く行かなかったら紗奈のせいにするよ」
「それは責任を擦り付けてる」
「あたしには関係ない」
「理不尽すぎ」
あたしはあたしの思いが伝わるように、したいと思った事をするだけだ。
やる事がはっきりすると、不思議と迷いはなくなっていた。




