12 言葉で縁取る
「雪、帰るよ」
「あ、うん……」
今日も陽葵はそれが当然かのように私を帰りに誘う。
それは私にとってはいい事だけど、陽葵の友達はいいのかなと気にする程度には人の輪を維持する事の難しさを理解しているつもりだった。
「いいの? お友達と帰らなくて」
「別に、毎日一緒じゃなくてもいいでしょ」
「……まぁ、陽葵がいいなら、いいんだけど」
そのまま一緒に隣を歩いて廊下へ向かう。
一瞬、北川さんの視線を感じたけど、何となく気まずくて視線は反らしてしまった。
友達よりも一緒に帰るのを優先してもらえている暫定友達。
友達の定義がどんどん曖昧になっている気がした。
「ねぇ、これってもう友達に戻ったって事でいいの?」
「いや、まだだけど」
「……いや、さすがにもういいでしょ」
仲が悪くて会話も出来ない関係ならまだ分かるけど。
登下校を一緒にして、お弁当まで食べて、罰だって謎に受けている。
これでどうして友達ですらないのか。
そんな関係性は成立し得ないと思う。
「それを決めるのあたしで、雪じゃないから」
「……なにそれ」
ここまでしといて、どうしてまだ距離を縮めようとしないのか。
関係の修復が認められないのか。
その理由が分からない。
「別にいいんだよ、嫌なら無理しなくても。クラスメイトに戻るだけだから」
「……まだ、そういう事言うんだ」
陽葵がすぐに私を許せない理由は分かっているつもりだ。
でも、ここまで拒否し続ける理由は分からない。
少しでいいから関係性が改善に向かっているという確証が欲しかった。
「なに、不満でもあるの?」
私に原因があるのは分かっている。
でも、もうそろそろ許してくれてもいいんじゃないかと思ってしまうのは私のワガママなんだろうか。
「陽葵は私と友達に戻る気がないって事でいい?」
「いや、まず雪があたしの信頼を取り戻せるように行動するべきなんじゃないの?」
そうだと思っていた。
陽葵の気持ちを取り戻す事が私のやるべき事だと思っていた。
でも、最初から陽葵にその気がないのなら、あたしが起こす行為には意味がない。
何もないのに手を伸ばそうとする行為は、あまりに滑稽だ。
私は今、それを陽葵に強要されているんじゃないかと疑っている。
「私に対して感情が全くないなら何やったって無駄でしょ。だから仲直りする気があるのかどうかだけ聞いてるんだけど」
「……そういう質問、受け付けていないんだけど」
また、そうやってはぐらかす。
ちょっとは応えてくれてもいいじゃないかと思う。
まるで中身のない卵の殻を大事に抱え続けている様な、そんな空虚さを感じる。
孵化しない卵を温め続けていても何の意味もない。
「じゃあ、いいよもう」
期待させるだけ期待させておいて、そこに何もなかったなんて耐えられない。
無いなら無いと、有るなら有ると言って欲しいだけだった。
それすら叶えてくれない。
意味のない願いなんて持ちたくない。
「ちょっと、どこ行くのさ」
「陽葵がいない所」
陽葵がいると、おかしくなってしまう。
希望と絶望が同時に叩きつけられるようで、気持ちが安定しない。
それなら最初から会わない方がマシだった。
元々あった未来を変える事が出来ないのなら、最初からこんなやり直しのような人生を期待させないで欲しかった。
この感情すらもどこにぶつけていいのかは、全然分からない。
「なんでいきなりキレてんのさ」
先を行こうとすると、陽葵に手を掴まれた。
でも、陽葵にやり直す気がないのならここで離れた方が陽葵のためでもある。
私とこれ以上いると、陽葵との友達関係も曖昧なものになっていく。
行き着く先は、どっちつかずの意味のない結末だけが待っている。
この関係性は、誰も幸せにならない虚しさだけに埋め尽くされていた。
「キレてない」
「どう見たってキレてるでしょ」
感情的にはなっているかもしれないが、キレているわけじゃない。
意味のない行為に辟易しただけだ。
「なに、あたしからまた逃げるの?」
「別に逃げてるわけじゃない」
それでも結果的には陽葵から離れようとはしている。
それが彼女は気に入らないのかもしれない。
だけど、今回は私だって気に入らない。
「私はちゃんと近づこうとしたよ。でもちゃんと向き合ってくれてないのは陽葵の方なんだから、そっちが逃げてる」
そう、前回と今回では立場は逆転している。
今の私は陽葵に近づこうとした。
陽葵はそれをよく分からない言葉と行為で誤魔化して、私との距離間を作っている。
それは逃げているの同じだ。
答えを保留にして逃げ続けている。
いや、答えを明確にしていない分、より不誠実な気もする。
「そんなすぐに答えを求めようとするとか、せっかちすぎない?」
「時間の話はしてない、仲直りする気があるかどうか聞いてるだけ」
それすらはぐらかすのだから、それは私と向き合っているとは言えない。
よく分からない時間が流れて行ってるだけだ。
そんな無為の時間を過ごせるほど、私はもう馬鹿じゃなかった。
「……はぁ。いや、冷静に考えてよ」
「考えた結果が今なんだけど」
こんなに理路整然と物事を整理している私に何を言っているんだろう。
少なくとも曖昧に物事を動かそうとしている陽葵には言われたくはない。
私は腕を引っ張るが、陽葵の手からは離れられない。
思いのほか、彼女の方が力強かった。
「その気がないのに登下校したりお昼食べたりしないと思うんだけど」
「そう思ってたけど、テキトーな事ばっかり言ってるから意味が分からなくなった」
「……あのさ、全部を言葉にしたらそれはそれで嘘っぽくない?」
陽葵は溜め息を吐いた。
言っている事は分かるけど、それが今の私達に当てはまるかかどうかは別の話だ。
「少なくとも今の私には必要な言葉があった」
「何よ、それ」
ふわふわとしたものに期待をし続けられるほど、私は未来に希望を抱ける人間じゃない。
「陽葵は曖昧すぎる」
「どんだけ雪、不安になってんの。そんなにあたしがいないと寂しいんだ?」
「……話、反らさないで欲しいんだけど」
「反らしてない。あたしが欲しいから宙ぶらりんが怖いんでしょ? 言葉にして欲しいんでしょ?」
そう言われると、返す言葉に困る。
そんなはずはない、と言いたくなる。
私はずっと一人だったから、一人で平気だったから。
そんな弱くて脆そうな自分を、私は知らない。
「図星だから黙ってんでしょ。あたしを責めてるようで、それって雪の不安をぶつけてるだけじゃない?」
「でも、そうさせたのは陽葵でしょ」
「そもそもは雪にも原因はあるんだから、あたしにだけ言われても困る」
……それはそうかもしれないけど。
私の不安を言葉で縁取られて、弱い私だけが浮き彫りになっていた。
「ほらね、だんだん言い当てられて大人しくなってる」
「なってない」
「手も引っ張らなくなってるよ」
「諦めただけ」
「それは納得したって事だと思うけど?」
上手く言いくるめられているような気がする。
でも返す言葉は上手く見つからない。
「はい、それじゃあたしに八つ当たりした罰ね」
軽快な声で、陽葵は私に要求する。
 




