01 プロローグ
『あたしは雪の為を思ってたのに、そうやって裏切るんだ』
かつての親友……羽澄陽葵と交わした言葉はそれが最後だった。
今でもたまに思い出して、胸が締め付けられる。
あの時、私がもっと大人だったら、他人の言葉に耳を傾けられていたらなんて。
たらればの後悔ばかりが残っていた。
「……やり直すにしても、時間経ちすぎちゃったしなぁ」
白凪雪、24歳の社会人である私は高校時代の黒歴史で目を覚ます。
目覚めは最悪だった。
日々の過労とストレスが溜まっているのだから、せめて夢くらい幸せであって欲しかったのに。
「ああ、今日は地獄の休日出勤……で、その後に同窓会だったな」
高校時代の同窓会。
そのせいで高校の夢を見てしまったのだろうか。
我ながら分かりやすすぎる。
ちなみに同窓会の開催は今回4回目らしく。
私は初参加だった。
そういうの苦手だし、友達もいなかったし。
ならどうして今回は参加したかと言うと、魔が差したと言うしかない。
この鬱屈した社会人生活から、何か違う行動をすれば解放されるものがあるのではないと期待した。
……だったんだけど。
「め、めんどくさい」
当日になるとめんどくさくなってボイコットしたくなるこの気持ちを、誰か分かって欲しい。
「でも久しぶりに陽葵に会えるのかぁ」
実に6年ぶりの再会。
もうあの頃には戻れないけれど、今会えばあの頃を笑って話せるだろうか。
そんな淡くてどこか儚い思いを、抱いていた。
◇◇◇
「陽葵、亡くなったんだって」
「……え」
気合を入れて臨んだ同窓会。
その決心に至った人との再会は叶わなかった。
全く予想だにしていない事実に、喉の奥が締め付けられた。
「白凪さんは聞かされなかったんだね」
今、こうして向かい合わせで一緒に飲んでいるのは北川紗奈さん。
高校時代は派手な金髪だった彼女も、社会人になると黒髪のショートカットで洗練された大人の装いになっていた。
場所はどこにでもあるチェーン店の居酒屋で、喧騒にまみれた木目調の店内の淡いライトが北川さんのハイボールのグラスを照らす。
カラカラと氷の音が鳴ると、北川さんは残っていたお酒を一気に飲み干していた。
言葉を失っている私の間を繋いで、整理する時間をくれていたのかもしれない。
「白凪さん、陽葵とは高校までの付き合いだったもんね。知らなくても無理ないか」
「……そう、だね」
やっとの思いで言葉を返す。
私も彼女に遅れながらグラスに入ったファジーネーブルに口をつけた。
桃の甘さも、オレンジの酸っぱさも、アルコールの後味も、何も感じなかった。
「って言っても陽葵は同窓会に出た事ないし、わたしも大学で陽葵とは疎遠になっちゃったから、詳しく知ってる人は誰もいないんだよね」
「……そう、なの?」
北川さんと陽葵は仲が良く、同じ大学に進んだ仲だった。
高校から疎遠になった私はともかく、一緒の大学にまで進んだ北川さんとも疎遠になっているなんて。
「何か突然、大学に来なくなって連絡もとれなくなっちゃってさ……。付き合ってる人もいなかったみたいだし、実家に戻ったみたいな噂は聞いた事あるんだけど、それも曖昧だったし。知ろうと思えば出来たんだろうけど……わたしはそこまで飛び込む勇気なくてね」
陽葵はいつも輪の中心にいる人だったから、友達との関係性を断っている姿が想像できなかった。
私の陽葵は高校時代のあの頃の姿で止まったままだ。
「だからお知らせ出来て良かったよ。白凪さんの連絡先知らなかったし、何してるかも知らなかったから」
「……うん、私も知れて良かった」
当然だけど、こうして北川さんとお酒を飲むのは今日が初めてだった。
北川さんは陽葵の親友ではあったけど、私と北川さんは仲が良いという程ではなく、陽葵を介して知り合っているだけの顔見知り程度の間柄だった。
だから、共通の話題である”羽澄陽葵”の事を尋ねて、今に至る。
きっと最初で最後になるであろう彼女との飲みの席で、こんな会話になるとは思ってもいなかった。
「水くさいよね。黙って姿消されたんじゃ、わたしもどうしていいか分からないよ」
愚痴を零すように、不満げに唇を尖らせていた。
陽葵とずっと一緒にいた彼女からすれば、複雑な思いがあるだろう。
私のような絶交してしまった人間には、その感傷を抱く権利すらない。
「それにわたし、白凪さんにはちょっと嫉妬もしてる」
「……え?」
彼女が私に嫉妬する理由がどこにも見当たらない。
冴えない私を、華やかな彼女が嫉妬する理由がどこにあるのだろう。
「陽葵さ、白凪さんの事だけは気にしてたんだよ。大学入ってからもずっとね」
「そう、なの?」
北川さんから伝えてくれる出来事を、私はずっと飲み込むだけで精一杯だった。
私の知らない所で、私の知らない陽葵がいた。
「素直になりゃいいのにさぁ、ずっと何かを言いたそうにしてたよ。“その内、言う”って、よく言ってたけど。結局言ってないんだもんなぁ」
カラカラと空いたグラスを転がして、北川さんは通りかかった店員さんにハイボールのおかわりを注文をしていた。
その間、私の胸の中に靄が広がっていく。
どうして陽葵が私を呼んでいたのか。
もうとっくに私の事なんて忘れているのかと思っていたのに。
「もし陽葵に会えたらさ、何か白凪さんは言いたい事とかある?」
「会え、たら……」
北川さんが注文した分のハイボールが届いて、また勢いよく飲み込んでいく。
もう半分以上減っている。
普段からこんなに飲んでいるのだろうか、あるいは……。
「私は――」
「うわ、さむっ……」
居酒屋から外に出ると、雪が降り始めていた。
気温が下がり始めた外気に薄手のコートは頼りなくて、寒さに身を震わせる。
私は一次会で同窓会を後にする事にした。
北川さんに合わせるように飲み過ぎたのが良くなかった、頭痛と吐き気がすごい。
それでも北川さんと話せただけでも来た甲斐はあったのかもしれない。
元々、クラスに仲良い人もいなかったし。
陽葵の事を知れただけ、同窓会に顔を出した理由には十分だった。
「いや、それだと陽葵のために来たようなものになっちゃうか……」
北川さんと話せて良かった、と言うより陽葵の事を知れて良かったというのが本音に近い。
私もつくづく薄情な人間だ。
自分で自分が嫌になる。
こんな私だから陽葵との関係も上手く行かなったのだろう。
「でも、陽葵いないし……」
もう何年も会っていないのに、会えないと思うと喪失感をこんなにも感じてしまうのはなぜだろう。
とっくの昔に切れたはずの縁なのに。
『陽葵さ、白凪さんの事だけは気にしてたんだよ。大学入ってからもずっとね』
そんな事を聞いてしまったせいだろう。
途絶えていたと思っていた縁に、繋がりを感じてしまったから。
多感だったあの頃、私がもっと大人だったら、彼女の事を考えていれば未来は変わったのだろうか。
せめて、彼女がどういう思いを抱いていたのかくらいは知る事が出来たのかもしれない。
後悔したところで、過去は取り戻せない。
そんなの大人じゃなくても、誰でも知っている事なのに。
私は重い足取りで帰路へ着き、かつての幼馴染を思い浮かべながら瞼を閉じた。
◇◇◇
「……ん?」
目を覚ますと、その天井を知っているはずなのに違和感を覚えた。
どこか懐かしさを覚える天井だったからだ。
体を起こす。
妙に軽くて、全く軋まず痛みを知らない体の滑らかな動きに驚く。
「まるで10代の頃みたい……なっ」
姿見に映る自分を見て、言葉を失う。
垢ぬけない表情に、無造作に伸ばしたままで重めの髪。
それでいて肌艶だけは反比例して良い若さの結晶。
周りを見渡せば、そこは高校時代に私が済んでいたワンルームの部屋だった。
「昔の私?」
そう結論づける以外、この状況を説明する事が出来なかった。