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呪い その3

そんな事があったせいで、変な罪悪感から彼氏にもしばらく会えないでいた。

白い手はあの日以来見ていない。もしかすると、全部夢だったのかも。

夏休みが終わり、秋が近づき、みんなが大学受験で忙しくなる頃、久しぶりに彼と会った。

「ひっ!」

再び現れた白い手、不幸な事にそれが見えてしまう人だったようで、彼はあたしから逃げた。

そりゃあもう、全力疾走でよ。

だから、これが彼との最後の会話。

指先ひとつ動かさないのに、全力で逃げられたなんて経験、そうないわよね。

ま、大学へ進学する彼と、高卒で社会に出ようとしているあたしとでは、どのみち別れが待っていたとは思う。だから、変に傷つけ合わずに済んでよかったんじゃないかって、自分を納得させた。









受験しないあたしは、就職活動もせずにアルバイトに明け暮れた。

特定の相手がいないと分かると、寄ってくる男は増えた。

その中には、あの時のように我を失った男が少なからずいる。そうでなくても白い手は度々現れたし、それがどうやら男から何かを奪っている事に気がつき始めた。

何を奪っているのかは分からないが、白い手が順調に本数を増やしているから、きっとそういう事なのだろう。

それに抵抗して、痛みを覚悟で断ち切った時は、あたしの体力を奪って行く。

次の日、疲れが取れなくて、朝から体を起こすことができないくらいだ。

そしてその白い手のやる事を最後まで放置しておくと、『死』が待っているのだろうなと、漠然と思うようになり、いい感じになってもキス以上は進めない。

実験するにはあまりにも恐ろしい内容だったので、試してはいない。

唯一の救いは、呪いらしきものの効果範囲が、身近な男性に限られていた事だろうか。

手順を踏んで関係を深めようとする紳士的な人の場合は、効き目もゆるやかだ。

口説いて、雰囲気を作って、キス。

この時点では何も現れない。

キスの何回目か分からない。でも、感覚的にはキス以上を相手が望んでいる時。そして、それを実行に移そうとしているだろうと思われる時に、白い手は現れる。

そしてそれは、男から何かを奪い、滋養にする。

つまりは本数が増える。








あたしが呪われて半年経った、卒業式の日。

忘れられない、新しい現象がおきた。

我を失い突然襲ってくる男がいたのだ。

ほんと、何度思い出しても怖い。

校舎裏に呼び出されたあたしは、違う意味でドキドキしていた。告白されるかも、なんて考えもしなかった。何故なら、あたしを呼び出したのは、元カレの親友だったからだ。

彼から何のクレームだろうか、それとも友人を傷つけた事に対する罵倒だろうか。

そんな事を考えて、憂鬱な気分で向かったのを覚えている。

危菜(あやな)

いつの間にか背後に立っていた男に苗字を呼ばれ、振り返ったらガツンと頭部に衝撃があった。

くらりとして平衡感覚を失い、倒れたような、宙に浮いているかのような、変な感覚に陥る。すぅと吸い込まれるように、すべての感覚が落ちていく。

どれくらい気を失っていたのか分からないが、意識は急激に浮上を開始する。

スカートが捲られているような気がして、急いで正気を保とうと目を見開いた視界は、白い手がいつもより嬉々として跳ねているのを捉える。

男のサイドを取り囲むように上下左右に動き回っている。

元カレの友人は見たことのない怖い顔をしているし、その体を白い手が覆い、嬉しそうに波打つ。これはもう、恐怖映像だ。

男の行動も恐ろしかったが、人を殺してしまうかもしれない恐怖が勝った。

太ももを触っていた手から力が抜け、ギラついていた目が閉じられる。

逃げるなら今だ。

馬乗りであたしを抑え込んでいた男を蹴り飛ばし、白い手を振り切るように逃げるしかない。

「いっ!痛……」

背中の痛みなど気にしている場合じゃない。

乱れた制服のまま学校を飛び出し、泣きながら走った。

「やっぱりあの時の……桜の精……」

『早く離れて。怨霊は私が連れて行く。でも、呪いが残っているの……早く、逃げて……』

桜の精と呼んでいるのは、名前がわからないから。

でも、あの少女は幻ではない。今は、はっきりとそう思っていた。

怨霊を連れていった彼女は無事なんだろうか。

肩に乗っていた頭部の大きな男が、その怨霊なんだろうか。

呪いの解き方など分かるはずもないし、自分なりに調べてみたが不明のままだ。

そもそも『自分から出ている白い腕』などという曖昧な情報しか持っていない。呪いを解く方法も、あの少女に再会する方法も、未だ見つけられずにいた。










高校卒業と同時に、あたしは地元を離れて横浜で新生活をスタートさせた。

飲食店を転々として、ようやく定着した職場は、バリのような南国リゾートを思わせる内装の、アジア料理を広く扱う店だった。

女性スタッフも多く、制服がカラフルでおしゃれだ。

20歳の誕生日を迎える直前、バイト先のオーナーから熱烈なお誘いを受けた。

その人は、キスもしていないのに白い手が現れた。しかしその手が伸びても動じず、取り乱す事もなかった。もちろん、見えていないからなのだが、どうやら影響も受けていないようだった。

それだけで、興味を持つには充分だった。

付き合ってもいない、キスもしていない女を、高層の高級ホテルに連れていくとは、なかなか気合の入ったデートプランである。そこは素直に嬉しいのだが、好きかと問われると自分でもよく分からない。だが、この呪いの影響を受けない事が、今のあたしには重要だった。

今度こそいけると思ったのに。

じわっと込み上げてくる何か。視界がぼんやり滲み始めた。









「きゃ!ご、ごめんなさい」

衝撃と女性の声。

下を向いて歩いていたあたしは、曲がり角で誰かの肩と接触した。どしんと尻餅をついて、どうしていいのか分からず固まってしまう。

見上げると涙を流す女がいた。同世代だろうか。

大学生か社会人か分からないが、20歳前後に見える。

女は倒れ込んでいるあたしに、再度謝ってその場を慌てたように立ち去った。

スカートだったあたしは、下着が見えていないか確認し、ささっと太ももを隠す。

みなとみらいの真ん中だが、ここは薄暗い道で良かった。

小さな遊園地と複合施設のあるゾーンから抜ける道。雰囲気重視で作られているからか、ライトアップが終われば、いたるところに暗闇が残っている貴重な場所だ。

「友人が失礼した。大丈夫か?」

ふいに男の声が頭上から聞こえた。

差し出された手だけが見えたのでそれを掴み、顔も見ずに立ち上がる。

「どこか打ったのか?」

そう言われて、目の前の人物に目を向けた。

夜目にも分かる美形が、こちらを覗き込んでそう言っている。

同じ年くらいだろうか。

助け起こされても手は握ったままだ。

傾けられた顔。その眉間に巻毛が落ちてきた。夜なのに輝いて見えるほどの美男子だ。

心配そうにしているのかと思ったが、よく見ると訝しげな顔をしていた。

あたしは違和感を覚え、自分の頬に手をあてる。

しっとりと濡れていて、泣いていることに気がついた。

ああ、そうかと納得し、口を開く。

「痛いんじゃない。キスが毒になる自分が哀れで、泣けてきただけ」

さっきの衝撃で涙は止まったけど。

「は?」

訝しげな顔がますます歪む。そりゃそうか。

「ま、意味わかんないわよね」

投げやりに言った後、肩を竦めて挑戦的な顔を作る。

「試してみる?」

「……初対面の男と?」

呆れたような男の声。

「キスくらいできるでしょ。もっとも、それ以上進めないんだけどね」

「呪いでか?」

そう問われて、少し疑問に思う。呪われているとか、そんな事口走ったっけ?

でもまあ、関係ないか。知ったところで、何それって話だし。

「そうよ。だから近づかない方がいいわ」

見知らぬ男を犠牲にしても良いと思うほど、荒んでいないつもりだった。

しかし、あたしの意思とは無関係だとでも言いたげに、腕が勝手に男の首に伸びていた。

白い腕じゃない。あたしの両腕だ。

なんだろうこれは。無意識に求めているのか、それとも呪いの影響?

意識は別のところにあるような、変な感覚。

他人事のように、見物でもするかのように、俯瞰している意識。

この人に抱かれたい、まずは唇を寄せなくては、と動く体。

男はすべてを見透かすようにあたしを見つめる。

それでも逃げなかった。

他の男と同じように、呪いとやらにかかって意識を奪われたのか、あるいはあたしの魅力に呆けて身動きとれないのか。

「なるほど」

そう言った男はすべてを見透かすような、それでいて冷たい目をしていた。すっと細めて何かを見ている。

「呪いに魂が侵されそうだな。3時間だけ楽にしてやるから、その間に感覚を掴むんだな」

「?」

自ら回した腕を、本能が引こうとしている。だが、じっと見つめられたあたしは、身動きひとつできなかった。

男があたしの腕を外す。力なく下ろされる腕。

自分の腕のゆくえを確認するように、少し右を見ていると、顎に男の手がかかって優しく正面を向かされる。目の前に整った顔があり、長いまつ毛がゆっくり下がり始めた。

(あぁ、色気ってこういう事なんだ)

そう、漠然と思った。

彼の手によって少し上げられる顔。

唇がゆっくり重なった。


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