呪い その22
茅の輪にも魂結にも、そしてあたし達の距離にも進展がないまま、クリスマスを迎えた。
ちょっといい雰囲気のレストラン勤務のあたしは、想像を絶するほど忙しかったが、仕事が終わってから”はなちるさと”に向かっていた。
道ゆく人々が帰路へと急ぐ中、やたらとキラキラした街路樹を横目に、本町駅付近の交差点で立ち止まる。
鷲木さんと待ち合わせるために、角にある店の壁に背を預けてほうっと白い息を吐き出す。
キラキラ光る銀杏並木の写真を撮りながら流れていく人々。いつもより2人で歩く人が多いのは、気のせいじゃないよね?
「まだかな」
腕時計を確認して、そっと呟く。
礼さまも若月さんも、あの日からずっと忙しそうだと他のスタッフから聞いていた。その合間を縫って時間を作ってくれたのだろうか、今日は揃って店に来るように言われていた。
「お待たせいたしました」
何の用事だろうかあれこれ考えていると、いつの間にか鷲木さんが目の前に立っていた。
黒のスーツにネイビーのコートを着て立つ姿に、改めて惚れ惚れする。
この人のスーツ姿は興奮する。ちょっと本人には言えないが。
礼さまのような鋭い美しさがある訳じゃない。
でも、適度に引き締まった体に、高身長だからスーツがよく似合う。それに、真面目で純朴で誠実だ。自分にはもったいないほど、素敵な人だ。
「行きましょうか」
優しく言うその横顔を、時々見上げながら思う。
付き合って半年近く経っているのに、キスできない彼女ってどう思う?
そろそろ嫌になるんじゃないかな。
他に目移りしたくなるんじゃない?
今日、呼び出された内容が、これ以上訓練しても進展ないって通知だったらどうしよう。
鷲木さんの横顔を時々見ながら、あたしは不安を隠せないまま店に向かった。
「お疲れ様です」
そう言って入っていく鷲木さんの背中を見ながら、あたしは急いでスリッパに履き替えて店に入る。
「遅くにごめんなさいね。やっぱり未桜ちゃんの店、クリスマスは忙しいわよね」
鷲木さんの背中越しだったため、若月さんは頭髪の一部しか見えなかった。
「幸せそうなカップルだらけで、ちょっと羨ましかったです」
そう言いながら、鷲木さんの体から横にずれて若月さんに顔を見せる。
「でも、珍しいワインがたくさん出て、いい感じに余ったので明日、オーナーが……」
若月さんの後ろに立っていた人物によって、あたしの言葉は途絶えた。
「あぁ、やはり……」
両手で口を覆ってそう呟いた女の子が背後にいて、あたしを見て泣きそうになっている。
「桜の……精……?」
あたしの呟きに、鷲木さんの息を呑む気配。それを気にかける余裕もなく、よろよろと彼女に近寄った。
「幻じゃ、なかった」
丸い輪郭だが、あどけなさを感じさせない妖艶さがある。
それでも、2年前に見た時よりは背が伸びているような気がして、本当に存在している人間なのだと実感した。
目の前に立つと、自分よりは随分低い。
桜の精はあたしに両手を差し伸ばしてきた。
「やはり呪いが残っていたのですね」
そう言った桜の精の両手を、無意識で覆うようにして握る。じっと目を見つめてしばし、彼女は気遣うような表情で言う。
「少し痛いかもしれませんが、我慢してくださいね」
桜の精は静かに言うと、ゆっくり目を閉じる。まるでスローモーションの映像を見ているみたいだった。
その数秒後。
魂を抜き取られそうな悪寒が全身を駆け巡り、脱力して手を離し、その場で膝をついた。
鷲木さんが駆け寄ってくる気配がしたが、言葉も出せない。
「……っ」
目前から息を呑む気配。
その直後、いつもの白い手が出てくる気配が全身を駆け巡る。
脱力したまま力が入らない。背後から支えてくれてるのは、鷲木さんだろうか。
それなら、早く離れて欲しい。白い手が、出て、来る……!
「これは……」
桜の精はあたしから出ている手の一部を捕まえ、しげしげと眺めている。
「呪いをすべて引き取ろうとしたのですが、少し相談させてください」
鷲木さんに顔を向けて言っている。
あたしはまだ少しぼんやりしていたが、徐々に通常の感覚が戻って来つつある。
「呪いを全てを奪うと、能力も全て失う可能性があります。元からの体質もあったのでしょうが、この呪いに紐付いて、あなたの能力が開発されている。あなたはどちらがいいですか?普通の人と同じ視界になり、怨霊や呪いを自分の世界から消したいですか?」
怨霊や呪いと関係ない世界で生きる?
「見えなくとも、存在するものです。運が悪ければ呪われますし、取り憑かれる事もあるでしょう。しかし、どうやら守ってくださる方が、すぐそばにおられる」
鷲木さんに守られて、呪いとは関係ない人生を歩める?
そんな事が選択できるの?
本当に?
「それとも、このまま能力を伸ばしたいですか?呪われたままなので、互いに能力値を高めつつ修行に励まねば、一緒に暮らす事もままならないでしょう。その代わり、常人とは違った、特殊能力を身につける事ができます。とても稀有な能力です」
あたしは言われた内容を、すぐに理解する事ができなかった。それなのに、口が勝手に動く。
「このままで、お願い、します」
少女も膝をついて、あたしと同じ体勢になる。同じ高さになった目をじっと見つめたあたしは、桜の精に向かって声を絞り出した。
「同じものを見れないなんて、嫌。例え呪われたままだろうと、彼と同じものを見て、同じ世界で生きていきたい」
「未桜さん……」
背後から聞こえる鷲木さんの声は、少し嬉しそうだ。
「わかりました。では、私にできる最大の事は……」
そう言った桜の精は、あたしの両頬に手を添えて、愛らしい相貌を近づける。
「あなたに桜の祝福を」
右目の下に彼女の唇が触れる。
チリっと焼けるような微小な痛み。
鼻の頭にも唇が触れる。
また、チリっと小さな痛みが走る。
左目の下に唇が触れた時にも、同じように痛みが走った。
桜の精はあたしの両頬から手を離したと思ったら、そのまま肩に手を置いて首に近づく。
鎖骨間の窪みから数センチ上の部分に、同じように唇が触れた瞬間、唐突に何かが自分の中に収束していくような感覚になった。
痛みはない。
「どうでしょうか」
桜の精の問いかけに、あたしはしばし考えてから口を開いた。
「整ったって気分です」
思ったことを口に出したが、自分で言っておいてなんだそれはと思う。
でも、一番正確な表現がそれだった。
自分の中で入り乱れていた、呪いと能力が、すっきり整理整頓された感覚だ。
曖昧だった境界が明確になり、どうすれば呪いが出てくるのか、どうやれば抑えられるのかがわかるような気がした。
「よかった」
ふわりと微笑む顔は、まだ幼さを残して可愛らしい。
「どういう、事でしょうか」
あたしの背後から、鷲木さんの強張った声がする。
「入り乱れた力の整理をお手伝いしただけです。通常は気を失いますが、未桜さんはすでに呪いの輪郭を認識していたという事ですね。私が何もしなくても、いつかはこの領域に辿り着いたでしょう。でも、急いでおられたようなので」
少女はそう言うと、鷲木さんに右手を差し出した。掌が上を向いていたので、何かそこに置いた方がいいのだろうかと考えた。
鷲木さんもそう思ったのか、その上に手を置いていた。
「え……」
思わず声が漏れたが、それ以上は何も言えなかった。
鷲木さんはあたしの目の前で膝立ちの桜の精に、いとも簡単に引き寄せられ、その首筋に唇を押し当てられている。しかもあたしの時みたいに短時間ではなく、血でも吸われているのかと思うほどの長時間だった。
ヤキモチを焼いていいのか、羨ましがればいいのか本気で悩み始めた頃、どさっと大きな音がした。
横を見ると、鷲木さんが倒れている。




