呪い その21
それからしばらくたった、8月の中頃。
「それじゃ、そろそろ終わりましょう」
若月さんの合図で、その日の訓練が終わり、1人で礼さまの課題をこなしていた鷲木さんが、こちらに歩み寄って来た。
「2人とも、この後時間あるかしら」
珍しく、あたし達は昼過ぎにはここに集まって訓練を受けていた。
”はなちるさと”の予約がなく、あたしも休みで1日空けていたからだ。
鷲木さんとあたしは同時に頷く。
「ちょっと、ご飯つきあってくれない?ワインがおいしいって評判のお店なんだけどなんだけど」
「ワイン!」
あたしは目が輝いていたと思う。
若月さんはそれにクスリと笑い、片目を瞑って言った。
「美味しいセレクト、お願いするわね」
3人で車に乗り、若月さんの運転で移動する。
「帰りはわたしが運転いたします」
助手席に座った鷲木さんが、運転中の若月さんに言う。
「いえ、いいわ。今から行く店の近所で泊まるから。それより、飲まないの?」
「はい。酔ってしまうと保護が緩みますので」
鷲木さんの言葉に、若月さんがため息をつく。
「なかなか礼と時間が合わないわね」
「仕方がありません。今は警察に協力しているようですし、行方不明者の安否が優先です」
「依頼してから、そろそろ1週間になるわね」
なんの事について話しているのか分からなかったので、後部座席で黙ったまま流れる景色を眺めていた。
「え……」
一瞬、流れる景色が止まったかに思えた。
「すみません!止めて下さい!」
慌てて声を出したあたしは、通り過ぎた歩道を目で追う。人の影に隠れてすでに見えなくなった人物を、必死に探す。
「どうしたの?」
そう言いながら、減速して車を止めてくれた若月さん。お礼を言うのも忘れて、転がり出るようにして車を降りて駆け出す。
「あの時の、桜の精だ」
さっき、確かに目が合った。
流れる景色の中、そこだけ時が止まったみたいに、着物の女の子が立っていた。
濃い色の着物にもかかわらず、夕闇に紛ることなく、景色にも馴染まない異質な存在。それが錯覚じゃなかったら、やっぱり存在していたんだ。
人の流れに逆行しているため、思うように進まない。人波を掻き分けるようにして、必死に目撃地点を目指す。
「はあ、はあ……」
目的の場所まで来たが、その姿はどこにもない。
何かに隠れて見えないのか、すでに立ち去った後なのか。
「大丈夫ですか」
あたしを追って来てくれた鷲木さんに、女の子の特徴を説明して一緒に探してもらう。
しかし、桜の精を見つけることは出来なかった。
「やっぱり、錯覚だったのかな……」
がっかりしたあたしの肩に置かれた鷲木さんの手が、車の方へ誘導する。
車に戻ると、若月さんはスピーカー越しに礼さまと会話をしていた。
静かに乗り込むと、スピーカーから女性の悲鳴が轟く。
『きゃー……ー!』
途切れがちではあったが、全力の悲鳴であることは分かった。
「礼?ちょっと凄い音ね」
『……若月?……つけ……え?…………ない?』
礼さまの声を覆うように女の悲鳴が響く。
『……見つ……………………!』
『助……け……て…………きゃー……!』
「死んでからも……こんな、なんて酷い」
若月さんが青ざめた顔で呟く。
ほとんど聞こえない礼さまの声。女性の声は途切れがちなのに、不思議。
『来……いでーー……!来な……い……で!』
「他にも声が聞こえるわね。そこには1人しかないの?」
『イ……な……で……す……て』
「相当、怖い目にあったのね。かわいそうに。ちょっと、礼、聞いてる?」
『捕まる……逃げて……遊びに誘われ…………ダメ……殺され…………』
「日曜日の渋谷って言っているわよ……礼、聞こえてる?」
『きゃー……!……危険な…………信じちゃ…………殺さ……も終わりじゃない……』
「大学生?犯人が?この悲鳴の主が?」
もはや、あたしには誰と会話しているのか不明だ。
日曜日とか渋谷とか、聞こえてた?
なんとか聞き取ろうと頑張って耳をそば立てたが、スピーカーは唐突に切れた。
「切ったわね」
若月さんが肩を竦めて言う。鷲木さんはあたし同様驚いていたが、質問を投げかける。
「あの状態で、聞き取れたのですか?渋谷とか、日曜日とか」
「もちろんよ。犯人の得意なデートコースなんでしょう。だいたい14時頃のようよ。日曜日の昼過ぎに渋谷だなんて、学生らしくていいわね」
本当に良いなんて思ってなさそうな口調だった。
それにしても犯人ってなんだろう?
あっちも、こっちも不思議だらけだ。
理解不能の事が蓄積していく。
たいして何も解決しないながらも、時間だけは進む。
あたし達に出来る事といえば、成長していると信じて、コツコツ学んでいく事くらいだった。
「やっぱり、怨霊の一種なんじゃないの?」
ラム肉を切りながら、桜の精についての感想を総括した若月さん。
「はやり、そうなんでしょうか……」
自らセレクトしたワインを口に含みながら、少し残念そうに答えた。
飲まないと断言した鷲木さんには、クランベリージュースを勧め、若月さんとあたしは、プラム6:クランベリー4くらいで薫るワインを飲む。若月さんもあたしに続いて飲んだ。
「あら」
そう言った若月さんは、もう一度肉を小さく切って口に入れ、ワインを1口飲む。
「ふぅん。ラムって個性的な香りだけど、それが引き立つようなワインね」
なかなかの感想だ。
「どうでしょうか?」
期待を込めて若月を見る。
「意外と合うわ!どちらも止まらなくなりそうで怖いくらいよ」
その感想にほっと胸を撫で下ろす。
「ねえ、未桜ちゃんはソムリエの資格も取るの?」
未桜はそのつもりだと瞳に乗せて頷く。
「どれくらいで取れるものなの?」
「最低でも3年はかかりますね」
「そうなの。やっぱり簡単じゃないのね。勉強、応援しているわ。頑張ってね」
「ありがとうございます!」
呪いは解けなくても、資格はとれる。解呪を諦めるつもりはないが、他の目標があってもいいよね?
これって逃げかな?
前向き?
ま、どっちでもいいか。
くよくよ考えてても進まないし。
あたしは心の中でそう呟き、そっと決意を固めた。
季節は流れ、初めて過ごす大阪の冬がやってきた。
同じ職場でワインの勉強に励み、休みの日は”はなちるさと”で訓練。若月さんの都合の悪い時は、
沙さんや他の人が訓練を手伝ってくれる事もあった。
今日はあたしだけ訓練で、鷲木さんはそれをずっと見学していた。礼さまは若月さんが帰らなきゃいけない時間にようやくやってきたと思ったら、2人隣の部屋でヒソヒソ話している。
「それで、どうするのよ、その子」
「どうするもなにも、まともに話せない」
隣と言っても、壁がないので会話など筒抜けだ。
「勧誘の話?それとも、礼さまに好きな人が?」
隣の鷲木さんに小さく聞いたが、無言で首が傾く。
「異常よ、危ないわ」
「向こうが見つけて来るのなら、逃げようがない」
「それは……そうかもしれないけど」
そんな会話が聞こえてきて、あたしはまた鷲木さんに聞いた。
「ストーカー?」
「どうでしょうか。少し違うように聞こえますが」
こちらの声が聞こえたのか、少しの間があって小さな会話が漏れ聞こえる。
「とりあえず明日、詳しく話してちょうだい。もう出なきゃ」
「その明日に現れるような気がするんだが」
「でも確かではないでしょう?」
「ん……」
考え込むような礼さまの声のあと、2人の会話は完全に途切れた。
内容は不明だが、ただならぬ雰囲気に声をかけられずにいる。
よほどの事が起きているのだろうか。
気にはなるが、あたしは自分の進捗の方が気になっていた。
ここ数日で、前よりも大きく感覚を掴めた気がする。
上手くいけば、もう少し鷲木さんと近づける気がしていたが、今日はこれ以上無理だろうか。
「帰ろう。邪魔になる」
「……」
名残り惜しいが仕方がない。
あたし達は若月さんに挨拶して帰ろうと、隣の部屋に移動した。
「あ、未桜ちゃん。菟もごめんなさいね」
手荷物を纏めていた若月さんがこちらに顔を向ける。
「家でも練習してきます」
あたしは首を横に振りながら、それに答えた。
今日の訓練がなくても、鷲木さんはあたしなんかよりずっと進んでいた。問題はあたしの暴走の方だ。好きだと思う気持ちが強くなればなるほど、呪いは力を得るように強くなる。
後1週間でクリスマスが来る。
世間一般の恋人らしく、キスくらいしたい。
1人悶々と考えながら、鷲木さんに背を押されつつ”はなちるさと”を後にした。




