呪い その2
この現象が始まったのは、高校最後の夏休みからだ。
あれは、同級生に誘われて行った長野での事だった。
「散歩がてら、山菜でも摘んでいらっしゃい」
同級生の母親からそう声をかけられる。
「えぇー、面倒だな。ま、でもやることもないし、いいか」
面倒だと言ったわりに、軍手や袋などをイソイソと用意する同級生。手早く荷物を作ると、あたしに行こうと合図を送る。
ここは同級生の親が所有する別荘である。最初は避暑に行こうと誘われたのだが、どうやら家族旅行が嫌で、緩衝材として誘われたらしい。親との旅行なんて息が詰まる、一緒に来てくれと懇願されて仕方なく頷いた。
親からしたら邪魔だろうに、嫌な顔ひとつしないので、こちらも居心地悪い思いはせずにすんでいる。
「夏に山菜とか採れるの?」
「意外に思うかもしれないけど、わりとあるんだよ。この辺りは山ばかりで、名所なんて何もないけど、山菜だけは紹介できるわ」
鼻息荒く言う同級生に、あたしは苦笑を返して頷いた。
ちょっとした反抗期の延長で、家族旅行には乗り気じゃなくても、この場所は好きで来たかったのだと、彼女の態度で分かった。
山歩きを始めてすぐにレクチャーが開始される。
注意点と捜索ポイント、植物の形状などを聞いて、いくつか自生しているモノを一緒に採取した。
「あ、それは似てるけどアクが強くて好きじゃない」
「え?違いが分からないんだけど……」
「んー、そうよね。ま、適当に取って、後で選定すればいいか。全部食べれると思うし」
本当に全部食べられるのか疑問に思ったが、きっと料理するのは母親だろう。さらにそこでも選定されるだろうから大丈夫、と納得して頷いた。
「じゃあ、この道で二手に分かれよっか。ずっと先で合流してるから」
同級生の言葉に、あたしは少し不安を覚えた。見知らぬ土地の山道である。もし、何かあったら?
「分かれるって言っても、大声出せば聞こえる距離なんだけどね。だから未桜、熊が出たら教えてね」
「熊!?」
「冗談よ。でも、何かあったら大声出してね。熊でも変態でも、大声で威嚇してやるから」
笑って言う同級生に頷き不安に思いつつも、左の道へと踏み出した。
「未桜〜聞こえる〜?」
歩き出してしばらく、右の方から声だけが耳に届く。
「うん、聞こえるよー」
両手を口に当てて返事し、足元に目を向けて山菜を探す。
「このグルグル、さっきのと似ているような、別の植物のような」
自信はないが、とりあえず採っておこう。
同級生の用意したビニール袋に詰めて行く。しばらくは夢中で山菜を採り、足元ばかり見ていたあたしは、ふいに視界の上部にピンクを認めて顔をあげる。
「えっ……」
一瞬、異世界にでも迷い込んだのかと思った。
そこには季節外れの八重桜が満開で、はらはらとその花弁を散らしていたからだ。
ぽかりとできた広場の様な平地。
その真ん中にくノ字の太い幹が、四方に枝を伸ばし、盛大に花を咲かせていた。
「桜?」
樹齢1000年以上の木に感じる様な威圧感もあり、舞い散る無数の花弁が息を呑むほど美しい光景を作りだしている。
「すご、い」
呟いてから気がついた。幹と似た色合いのために、気がつくのが遅れたのだ。
黒いような、焦茶にも見える着物姿の女がうずくまっている。
いや、女と呼ぶにはまだ幼さの残るその姿。
小学生……いや、中学生くらいだろうか。
見ていると桜の幹に手を置いて、立ちあがろうとしていた。
背後から見える頬は抜けるように白く滑らだ。肩にかかる長く艶やかな黒髪。これが童女や、もっと大人の女性だったら、この世の物ではないと思ったかもしれない。
しかし少女は妖怪変化の類にしては中途半端な年齢であり、視界の中で確かにそこに存在していた。ちゃんと影もある。
まぁ、妖怪変化の適正年齢なんて知らないし、本当はこの世のものではないと言われても信じたかもしれない。ただのイメージで勝手にそう思っただけだ。
だけど、異様な光景であるにも関わらず、妙に現実味のある体感だった。
頬に感じる風に、時折腕や頬にあたる桜の柔らかい花弁。
立ち上がった少女は大木を見上げるようにしていた。その姿はただ静かに散り行く姿を鑑賞しているようにも見える。
「桜、綺麗ね」
そう言いながら、少女に近寄ってみる。しかしその少女が振り返った瞬間、思わずぎょっとして立ち止まってしまった。
黒い髪が振り返る瞬間、肩に一瞬異形なモノを見たからだ。
頭部が異様にデカイ、不気味な男がその肩に、細い脚を折り曲げて乗っているように見えた。
「十月桜」
少女がそう答えると、男は姿を消した。
あたしは声を出すこともできず、ただその少女の瞳を見る。
「あまりにも早い。この子は……のせいでこんな季節に咲いてしまった」
一部分だけ聞き取れず、あたしは近寄って問い返す。
「なんの、せい?」
「……」
少女が口を開いたと同時に、突風が吹き、葉擦れの音で声が消える。
「ごめん、聞こえなかった」
桜のような色の唇を見ながら、風に煽られる髪を押さえる。その目前には靡く髪を気にも留めない少女。その唇が再び動く。
「呪い」
切り取ったように言葉が聞こえた瞬間、目も開けていられないような突風が吹いた。
一層けたたましく鳴る葉擦れの音。
思わず閉ざした視界。
長い音がやみ、そっと目を開けてみる。
「え……え?」
少女の姿は、どこにもなかった。
「人じゃない、とか?……もしかして桜の精?」
急激に不安になったあたしの耳元で、少女の声。
「早く離れて。怨霊は私が連れて行く。でも、呪いが残っているの……早く、逃げて……」
ざぁと鳴る葉擦れの音に掻き消されて、少女の声が遠のいていく。
それと同時にあたしの意識も遠のいた。
「未桜、未桜!」
体が揺すぶられる感覚に意識が浮上する。ゆっくり目を開けると、同級生の顔があたしを覗き込んでいた。
「よかった!目を覚ました」
半泣きの顔を見ながら、あたしは体を起こす。ざっとあたりを見回したが、桜の木はどこにもみあたらない。
夢、だったのだろうか。
「大丈夫?貧血?」
「貧血……」
言われた言葉を反復して、改めて辺りを見る。ゆっくり瞬きもした。それでも視界に変化はない。首を少しだけ傾げて考える。
山の中だけに木々は多いが、先ほど見た桜の幹ほど太い木はどこにもない。広場でもないただの山道だ。
「たくさん採ってくれたし、そろそろ帰ろ。歩ける?」
同級生に助け起こされながら立ち上がる。
「うん……」
彼女に支えられながら歩き始めたが、大丈夫そうだったので途中から並んで歩き帰路についた。
その夜の事だった。
異様な気配に目が覚める。息苦しさを覚えて原因を探すと、同級生の父親があたしの上に乗っていたのだ。
別荘では夫婦の部屋、娘の部屋、ゲストの部屋と用意されており、あたしはゲスト部屋で1人寝ていたはず。
何が起きているのか、理解するのに時間が必要だった。
恍惚とした表情の中年男性が、何事か囁いてくる。それが同級生の父親である事も言葉を失う要因だったが、何より自分から出ている白い手のようなモノが不気味で声が出ない。
その手は3対、つまり6本あった。
うようよと男性を取り巻いている。そのせいで正気を失っているのだろうか。
体をまさぐるように動く男性の腕。反射的に防御の手が動いたが、声を発する事もできず、思考も混乱して纏まらない。
「……っ」
必死に逃れようと体を仰け反らせたところで、白い手がぶつりと音を立てて切れた。
痛いっ!
そう思ったが声にはならなかった。
次の瞬間、ボトボトボトっと音を立てて次々切れていく白い手。落ちて蒸発するように消え失せると、同級生の父親は我にかえり、蒼白になって言葉を失っていた。
あたしは何も言わずにその背を押して、扉の向こうに押しやる。静かに扉を閉めると、そこに背を預け、へたっと座り込む。
扉から離れるような足音が聞こえた。
白い手が原因だとしたら、もう襲ってこないだろう。
しかし確証がない。
戻ってきたらどうしよう。
そして、またアレが出てきたらどうしよう。どんな影響を受けるのか不明で恐ろしい。
「背中が痛い……」
緊張が原因なのか、先程の攻防で打ち付けたのか、白い手が切れたのが原因かは分からない。
『呪いが残っている』
少女の声が頭の中で繰り返され、悪い想像が後から後から際限なく現れる。
あたしは呪われてしまったのだろうか。
扉に力を入れてもたれたまま、恐ろしくてその日は眠れなかった。




