呪い その18
その日、あたしは仕事終わりに”はなちるさと”に来ていた。
若月さんにオートロックを解除してもらい、店に入ると中から言い争うような声が聞こえてくる。
「いや、弟子なんて面倒だし。茅の輪を教えるので、それで勘弁してください」
この声は礼さまだ。1つ年下なのだが威圧……いえ、オーラが凄過ぎて、あたしはいつの間にか礼さまと呼ぶようになっていた。
「どうしても、ダメでしょうか」
鷲木さんの声だ。
「あ……来てたんだ」
小さく、本当に小さく言った。しかも玄関で。
あたしが今日行くことは伝えてあるので、それに合わせて来てくれた……と思いたい。
「年上の弟子とか気を遣うし」
礼さまの気を遣っていない、しかもかなり嫌そうな声。鷲木さんはあたしの4つ年上だ。弟子入りってなんだろ?
「お疲れ様でーす」
スリッパに履き替えながら、部屋の中に声をかける。
会話が止まった気配がしたので、そのまま中に入った。
礼さまと鷲木さんが向かい合っており、若月さんの姿は見えない。
台所から食器を洗う音がするので、写真のお客様が帰ったところなのかも。
「訓練に来たのか」
そう言ったのは礼さま。
あたしは無言で頷いた。
「ちょうどよかった。1度、お見せします。何も見えなければ教えようがないので、茅の輪は諦めて若月に一任するしかありませんね」
礼さまが鷲木さんにそう告げる。
「はい」
生真面目に返事した鷲木さんの横で、礼さまの視線が強くなる。
いつも思うが、これは何度経験しても慣れない。
足が今にも動き出してしまいそうで……つまりは全力で逃げたくって仕方がない。
「よし、魂の汚れはないな」
そう言って礼さまは、あたしに手を翳しながら、鷲木さんに顔を向けた。
「いいですか、安堂寺の茅の輪だけでは、この呪いはなんともなりません。どちらかが、若月から習う魂結を習得するのが前提です」
翳された手が、何かを引き寄せるように動く。
動作とは逆に押されるような感じ。あたしは見えない圧に、首を締め付けられているような感覚を覚えて、恐ろしさからか、冷や汗をかき始めた。なんとかそれに抗おうと、目の前にある手に集中する。これも訓練だ。
「魂結と、茅の輪って何が、違うんですか」
抗いながら聞いたので、少し辿々しい口調になる。
「茅の輪は呪いを封じる力で、民間伝承としては武塔神に願って疫病を退ける、茅の輪としても現代に残っているまじないの一種だ。蘇民将来の子孫であることを木札に示し、茅の輪と共に飾ることで疫病を退けるってやつだな。安堂寺の技はこれを昇華させたものだ。魂結については瓊樹家に伝わるものだから成り立ちは知らないが、魂を保護するための力だな。若月ほど能力が高ければ、相当強力な呪いからでも魂を護ることができる」
「これは、どっち?」
「茅の輪。望んだわけじゃないが、オレは安堂寺だからな。魂結には向かない」
呪いを封じる力に圧を感じているあたしって、呪いと同化しているって事?
礼さまは何かを結ぶような仕草をする。
「糸?」
鷲木さんが呟くように言った。その糸とやらを、きゅっと結び終えるような仕草の後、息苦しさも圧もなくなった。
「紐くらいの太さに見えませんか?」
じっと眼を凝らす鷲木さん。ややして首を横に振った。
「ま、見えるだけでも、習得できる可能性はありますが」
「では、弟子入り……」
「断る」
がっかりした顔の鷲木さん。
「紐はまだ見えていますか」
「はい」
「では念の為、見張っていてください。少し気になる事があるので」
礼さまはそう言うと、一度結んだ紐を解くような仕草をする。腕を広げると、目を細めたり開けたりを数回繰り返す。目の悪い人がピントを合わせているみたいな動きだった。
あたしはその間、しばしの開放感と同時に息苦しさを味わうという、奇妙な感覚に苛まれる。
「やはり。これはちょっと変わったケースだな」
そう言うと、素早く紐を結び直した。
いつもの感覚が戻ってきて、ほっと安堵の息を吐き出す。
「う……ん……」
自分の顎を掴んで考え込んでいた礼さまは、あたしと鷲木さんを交互に見てから口を開く。
「仮説だが……呪いを利用した、珍しい能力に目覚めるんじゃないか」
え?
珍しい、能力?
「それ、もっと詳しく聞かせてちょうだい」
あたしの背後から若月さんの声。
「彼女の能力って?」
若月さんが礼さまにそう尋ねる。
「他人の霊体に干渉できるかもしれない」
「それは……凄いわね!」
若月さんが目を丸くしている。だが、何が凄いのか分からない。首を傾げて鷲木さんを見る。
「わたしはできません」
首を横に振りながら答えてくれた。
その様子に気がついた礼さまが、あたし向けに説明してくれる。
「呪いの力を利用するなんて事は通常できないんだが、ごく稀に、呪いの力を取り込める者がいる。魂の穢れを促進する可能性が高いから、普通は本能がそれを許さないんだが、現状を観察する限り、力の融合が可能そうだ。もし呪いを制御し、自分の指揮下に置くことができれば……」
ごくりと喉を鳴らして次の言葉を待つ。
「気絶させたり、精度を上げれば思い通りに動かしたり出来る」
「え、人を?」
あたしは思わず聞き返す。
「ま、指1本で簡単にできるって訳じゃない。相手の霊体に干渉するから、しばらく相手に触れ続ける必要がある。だが、道具を使わずに行えるから、相手にも破られにくい」
「道具っていうのは、あの紙呪みたいなものですか?」
「そうだ。ああいった物を作り出すのが得意な者もいるが、この力がモノになるなら人に向ける方向を伸ばすほうが早い」
沙さんが持っていた紙呪。あれと同じ事ができるのだろうか。
「自分の能力に呪いを乗せるんだ。わかるか?」
目を向けられたあたしは、ぶんぶんと首を横に振った。何を言っているのか、まったく理解出来ない。
「ま、やってみな。菟で」
名前、呼び捨て……
そして、一体何をやるの?
「まず近寄る。菟の霊体を感じとれるか?」
これにも首を横に振る。
「なるほど。そこからか。それなら、体に触ってみろ」
言われるまま、鷲木さんの腕に触る。
ぴくりと反応が返ってきて、緊張している事が分かった。
「気の流れとか、オーラとか、言い方は様々だが、体表を覆う膜みたいなものを感じないか?」
「ま、まったく」
「……そうか。おかしいな」
そう呟くと、礼さまはその後しばらく考え込んでしまった。
あたしは鷲木さんの腕から手を離し、次の言葉を待つ。
「菟」
礼さまに名を呼ばれたのは、あたしじゃなくて鷲木さんだった。
「はい」
元々良い姿勢がさらに伸びたように感じた。
「紐はまだ見えてるか」
「はい。見えています」
「引けるか否か」
「やってみます」
あたしの喉の下を、摘むような仕草。
「それをそのまま引いて」
シュルッと、小さな音が聞こえた。
やがて訪れる開放感と違和感。呪いが発動する前の、あの感じだ。
「彼女の背後に立って。そう、その位置で。では次に腕を前にまわして……そうしたら……」
言われるまま動いた鷲木さんは、あたしに触れないように気を遣いながら腕を前に持ってきた。
「密着」
2人の間にある空間を見透かす礼さまの視線が鋭くなり、短い指示が出た。
あたしも鷲木さんも抵抗できず、無意識のうちに体を寄せる。
「若月、音叉」
頷いた若月さんが、音叉を指で弾いてあたしの耳元に持ってきた。いつものように。
気持ちを整えて、呪いを外に出さないように訓練している。その時に使うやり方だ。
「内に閉じ込めようと意識しているだろう?まずはその力を外に向けてみな。解放するのではなく、力を外に向けるだけだ」
言われるままにイメージしてみると、すぐに背中を駆け上がる悪寒。白い手が開放されたようにあたしと鷲木さんを包み、若月さんや礼さまは視界から消えた。
「菟は自分の保護を優先。未桜ちゃんは礼の指示に従って」
すぐに若月さんの声がしたので、あたしは落ち着いて耳を傾ける。
「外に向かう力と内に向かう力、そこに交わる場所があるだろう」
「……交わる…………?」
「鎖骨の上から喉の真ん中辺りまでに、僅かな違和感か、もしくは熱を感じないか?」
違和感、違和感……
熱、ねつ?
よく分からなくて、口を開こうとした瞬間。閃光のようにイメージが走り抜けた。
白い手が細かく粉砕して、霧状になったものが鷲木さんを包むイメージだ。
鷲木さんの何か大切なものを掴んだような気がする。あたしに密着している鷲木さんの腕に、ぐっと力が入る。
それと同時にイメージの霧が、鷲木さんを圧迫するように動いた。
力の拮抗を感じる。
「なるほど、収めかたが分からないのか」
呟くような礼さまの声。
「菟は危険だからそのま……」
何か指示を与えてくれようとしたその瞬間、あたしの霧が鷲木さんの体に入りそうなイメージを持った。
「いたっ!」
その直後、何かに弾かれて背中に痛みが走った。
痛みによろけて倒れそうになったが、鷲木さんが肩を抱きとめてくれて、転倒は免れる。
「未桜さん、大丈夫ですか?」
オレンジの瞳が心配そうに揺れている。
「だ、大丈夫……うん、大丈夫」
ふらふらするが、きっと気のせい。
視界が黒くなってきたのも、きっと、気の、せい……
その直後、身体中から力が抜けていくのを感じた。




