呪い その16
「幻術でそんなヤツありますよね?」
沙さんが小さく手をあげて発言した。若月さんは頷いて沙さんに目を向け、口を開く。
「瓊樹家の技で、似たようなものはあるわ。術者が幾重にも呪いと結界を作っておいて、そこへ人を誘導する。幻覚を見せながら、呪いをかけるってやつね。殺すつもりで呪うから、人道的には禁忌にも近い技よ。でもねえ、これって景色は幻覚で、術者はそこに存在するのよ。だから、景色より先に術者が現れるのが常套」
「それが行われたのでしょうか。下を見ていて、存在に気が付かなかったとか。1本道なら、目眩しの呪い、幻覚を見せる呪いを徐々にかけていくなんて事、出来ませんか」
香奈さんが難しそうな顔をしながら、若月さんに聞いている。
「んー、出来なくもないけど、簡単に行える内容じゃないから、やる理由が分からないわ。準備にお金も時間もかけて、未桜ちゃんを誘い込むメリットも不明だし。何かに利用したくて呪ったんなら、彼女を放置するはずないし」
景色が先だったのか、後だったのか。
「景色が、先だったと思います。山菜を探して地面を見てて、景色が変わったような気がして顔をあげたら桜の木があったんです。満開の八重桜。幻覚にしては、風が頬にあたる感覚も、桜の花びらが頬にあたる感覚もあったんです。それで、気がついたら幹に同化するように少女が立っていた」
地面を見ていたのだから、先に少女がいた可能性も否定できないが、それはないという感覚だ。
それにあの少女は、あたしに逃げろと言った。呪いたい相手なら、あんなことは言わないはず。
「変な言い方ですが、異世界に行ったような感じです。一瞬、神隠しにあった、みたいな」
全員が口を閉ざした。
「合わせ鏡の……」
若月さんから、小さな声が漏れた。全員の顔がそちらを向き、当人は慌てて首を横に振った。
「いえ、なんでもないわ。でも手がかりがないわね」
そう言って小さくため息をつく若月さん。あたしは顔をあげて聞いた。
「呪いを解かないと、彼氏を作れない以外に、何か影響ありますか?」
「魂が穢れる可能性があるわ」
魂?
穢れ?
それってどんな状態なのか聞こうとすると、沙さんが口を開く。
「穢れが進行すると、死ぬよ」
「え!」
「そう言われてる」
「言われてるって……」
「魂なんて、普通は見えないからね」
それなら、みなとみらいでぶつかったあの人は。
「礼だけなのよ、魂まで見える能力者は」
若月さんが申し訳なさそうな顔でそう呟く。隣で沙さんまでうんうんと頷いていた。
「我が親族ながら、バケモノだよね、あの子」
「あたし、どうしたら……」
絶望的な気持ちで、床に手をついた。
「ま、極端な話だから、そこまで心配しなくてもいいわ。礼だって命に関わる呪いに侵され続けているけど、魂は穢れていないしね。未桜ちゃんはまず、呪いのコントロールを訓練しながら、定期的なメンテナンスをしましょう」
すぐに死ぬ訳じゃないと分かって、あたしは大きく息を吐き出した。
訓練にメンテナンス……?
「ただ、問題は距離なのよね。あたしも時々こっちに来る事あるから、メンテナンスはそれに合わせてするにしても、呪いのコントロール訓練よね」
若月さんが考え込んでいる。
「あの、私がやっているような訓練なら、フィヨン・システムの通話機能で、一緒に出来るんじゃないでしょうか」
香奈さんが遠慮がちに発言した。
「いいえ」
しかし若月さんが首を横に振る。
「能力の訓練と呪いの訓練は、大きく性質が違うものだから一緒にできないのよ。それに未桜ちゃんの方が、もっとたくさん訓練しなきゃいけないわ」
呪いが強いからだろうか?
「その、訓練って、通常はどこでやってるんですか?」
「未桜ちゃんが来てくれた店舗でよ」
大阪か……
膝に乗せていた手をぎゅっと握りしめると、思い切って口を開いた。
「それなら、あたし、上京します!」
全員が驚いた顔であたしを見る。
「京都に住んだら、大阪にも通えますよね」
沙さんがそれに返してくれる。
「あ、上京てそっちか。引っ越すなら大阪でもよくない?」
「どうせなら京都に住みたい!」
「あー、はいはい。そこはご自由にどうぞ。うさちゃんも近いし、いいんじゃないの」
「え、京都に住んでるの?」
あたしは鷲木さんに顔を向けて問う。無言だったが、しっかり頷いてくれた。
「京都に引っ越しって、あてはあるの?」
若月さんが心配そうに聞いてくる。
「住み込みで働けるところを探そうと思います。引っ越し資金を貯めつつ、どこに住むのがいいのかリサーチしながら、新しい勉強を始めてみたいなと思って」
呪いのせいで、何をやっても続かないような気がしていた。住み込みで働いて、白い手が出てきたらどうするのとか、習い事初めて、先生を襲ってしまったらどうするのとか。
でも、それの抑え方を教えてくれるという。
解呪できなくても、訓練で抑える事ができるなら、なんでもチャレンジできそうな気がした。
床に置いたままのワイングラスを見る。
「ずっと飲食店だったので、格式高いレストランで、本格的な接客と、ワインとか勉強してみたいなって」
「あら、素敵ね」
若月さんが微笑んで言ってくれた。
その笑顔に励まされたような気がして、あたしは新ためて部屋を見渡した。
うん、すぐに整理がつく。
仕事を探して、目処がついたらこの部屋を解約して、本屋にも行こう。ワインの勉強も何から手をつけていいのか分からないし。
「それならいっそ、うさちゃん家に転がりこんだらいいじゃん」
ぽつりと言ったのは沙さんだった。全員の視線を集めた沙さんは、当たり前の事を言ったかのような顔で、鷲木さんを見て問いかけた。
「だって京都でしょ?」
「はい、京都です」
「あ、市内?」
「市内です」
「ほら、最適」
あたしを置いて話が進む。会話のテンポが良すぎて、割って入るタイミングがない。
それを遮ったのは、若月さんだった。
「菟、実家でしょ」
沙さんの顔は"なあんだ"とでも言いそうだったが、あたしはホッと息を吐き出す。
「それじゃ、1ヶ月以内に大阪に来れる?もし、1ヶ月以上かかるようなら、一度連絡して。保護をかけ直さなきゃ」
そう言いながら渡してくれた名刺は普通の紙で、住所や連絡先が書いてある。
変に抜けた段なども見たあらない。思わず安堵の息を漏らしそうになった。
「詳しく決まったら、一度連絡します」
若月さんに向かってそう言うと、柔和な笑みを返してくれた。
その後、若月さんは沙さんと香奈さんに、こちらで別の仕事の話をしてから、その場は散会となった。
4人を玄関までーーと言っても部屋から8歩くらいだけどーー見送ったあたしは、新しい生活に向けての期待と、鷲木さんがいなくなってしまう寂しさの両方を噛み締めていた。その背をじっと見つめるが、何も言えず。
「……」
丸1日、律儀に部屋で待っていた人。
応用が効かなくて不器用そうだけど、今まで出会った誰よりも誠実そうな人だ。
安らぎを与えてくれて、優しい癒しを教えてくれた。
与えられるばかりで、まだ何も返せていない。
「あ……あの……」
消え入りそうな声で呟き、そのまま口を閉ざす。
沙さんと香奈さんの仲良さそうな様子を見ていたから、人恋しくなっただけなのかもしれない、そう思ったからだ。
エレベーターホールに消える4人。すりガラスの向こうに明かりが見え、やがて下に落ちて行く。
「……結局、何も言えなかった……お礼も、お詫びも…………」
自分の不器用さに落胆する。
「せめて、連絡先でも聞いておけばよかった……」
そう呟いて中に入ろうとした。
しかし足音が聞こえて、下を向いたまま中に引っ込めそうになっていた顔を上げる。
そこには戻ってきた鷲木さんの姿があった。
「あ……鷲木、さん……」
「京都に来たら、また会ってくれますか」
「え……」
あたしが聞きたいくらいだったのに、どうしてこの人から言われているのだろう?
「家は出ます。呪いから身を守るための結界も学びます。だから……」
その先を言い出せない様子に、あたしは息を止めて続きを待つ。
「一緒にオーナーの元で修行しましょう」
修行……?
なんだ、そういう事か。
戻ってきてくれた嬉しさと、小さな落胆が胸中に渦巻く。
「それで、晴れて解呪に成功したら、お付き合いしていただけませんか」
「は……?」
お付き合いって、なんだっけ。
付き合う?
修行に?
それとも、あたしに都合のいい意味?
「嫌、でしょうか?」
「いえ!あの、嬉しいです」
反射的に答えてから、じわじわと嬉しさが込み上げてくる。
「こちらを」
喜びを噛み締めているあたしに、すっと差し出される紙切れ。
カフェで開いた紙呪を思い出して、恐る恐る開いてみると、電話番号が記載されていた。
「プライベートな番号です。もし、気が変わっていなければお電話ください」
「は、はい!」
呪いだなんだと、普通の事を当たり前に受け取れなくなっていたあたしは、その紙を胸に押し当ててオレンジの瞳を見る。
「絶対、連絡します」
そう答えると、控えめで穏やかな笑顔が返ってくる。
あぁ、素敵な人だなと、深く実感した。




