呪い その14
「こうみょうじ?」
沙さんが誰に聞くともなく駅名を口に出した。
「弘明寺と読みます。家はここから歩いて10分ほどです」
自宅の最寄駅で降りたあたしは、発車する車両を見送りながら言った。最後まで、自称弁護士の姿は見えなかったが、本当に大丈夫だろうか。
「じゃ、ここからは案内よろしく」
頷いて先導し始めたあたしは、急に緊張してきた。
あの人はどうなっているのか、考えないようにしていた。
もし、死んでたら、どうしよう。
瀕死でも生きていてと、願わずにはおれない。
いつもより早歩きで家への道を進む。鎌倉街道沿いに自宅マンションが見えてきた。
脇道に入りマンションの玄関を目指す。
オートロックの扉前で、人が動く気配。
「あ、オーナー!」
沙さんが駆け寄った先に、外国人が立っていた。
服は黒いのに、その素肌は夜に浮くような白さで、わずかな明かりを集めて光っているような錯覚を覚える。沙さんに笑むその顔を見ていると、ふわりと体が浮き上がるような気がして、あたしはふらふらとそちらへ向かっていた。
「ご苦労様。この子が?」
少し傾げた首は意外としっかりしており、あたしを見る瞳はグレーだった。
短い言葉だったが、とっても流暢な日本語だ。
「大阪まで来てくれたみたいね。行き違っちゃってごめんない」
そう言って動く顔に合わせて、サラサラの髪が揺れる。髪からも光が溢れ出るような気がした。
「ちょっと!」
沙さんから諌めるような声。
でもあたしは目の前の人物に夢中で、それに反応できなかった。
「いいわ。大丈夫よ」
沙さんにそう言ったのだろうか。
あたしは恍惚とした状態でその人を凝視していた、はずだった。
ふと気がつくと、視界は真っ白だ。
「!」
目の前にいたはずの美しい人は、今や無数の手に覆われている。顔すらも覆われて見えない。
「やめて、やめて!」
身を捩って、離れようとするが、体がこわばって動かない。
「うぅ〜ん、これは、致し方ないわね」
白い手に包まれた人物の声がはっきりと聞こえたその瞬間、何かに引き寄せられて前のめりになる。自分も白い手に包まれるのがわかったが、どうしようもない。
何が起こっているのか理解できず固まっていると、目の前には先ほど白い手に包まれたと思った人物の真剣な眼差しがあった。
「魂の保護のためだから、許してね」
その人は言い終わるとあたしをさらに引き寄せ、顎に指を掛けて目を合わせてくる。近くで見る瞳の色は薄い青ともいえる色で、幾つか色の濃い点が見える。その瞳に魅入っていると、顔を上に向かされる。
不思議な色の瞳が大きくなった。
唇が重なった瞬間、喉から薄い膜が胃の辺りを包むような感覚があった。
ほんのりと体の中心が暖かくなる。
何が起きたのか状況が理解できず、3度瞬きをした直後、ブチブチブチと盛大に千切れる音。
次いでジュワッと蒸発するような音も。
「痛く、ない」
そう呟いたあたしは、背中に手を伸ばして凹凸がない事を確認した。
白い手が消えているのに、痛みがない。
驚きで目の前の人物に目を向ける。
「さ、これであなたの魂はしばらく大丈夫よ。部屋に案内してくれる?うちの従業員が倒れているかもしれないの」
「はい……」
魂がなんだって?
よく分からないが、思いの外力強く抱き寄せられた事と、突然キスされた事に動揺して、カチコチで歩き始める。
エレベーターに4人で乗り込み、自宅フロアに足を踏み出した。
そして、現実を思い出して急激な不安に襲われる。
自宅の扉前に移動してきたあたしは、開けるのを躊躇っていた。
「ここ?」
沙さんがドアノブに手をかけたまま動かないあたしに問いかける。
「……はい」
怖い、怖い、怖い。
中で死んでいたらどうしよう、呪われ続けていたらどうしよう。
怖い、嫌だ、逃げたい!
「代わりに、開けましょうか?」
香奈さんが気遣うように言ってくれた。
それで決心がついた。
あたしは首を振ってから、勢いよくドアを開ける。
「は?」
これはあたしと沙さん。あたしは1歩玄関に入ったまま、他の人は扉の外で立ったまま。
「え?」
香奈さんの小さな声。オーナーさんは無言のままだ。
あたし達は一様に、中で倒れているだろう人物の心配をしていた。
しかし。
「充電が切れてしまいまして」
何かの状況を察したのか、そう言った人は、あたしの部屋の中で折り目正しく正座していた。
「切れたんなら充電しなよ」
あきれたような声色の沙さん。
「人様の家ですし、金銭的にご迷惑を……」
「それなら帰るときにお金置いていくとか、方法はいくらでもあったでしょ?外に出て充電してもよかったし」
「鍵を持っていませんし、留守中に変な人が入って来たらと思うと」
「真面目か」
2人のやりとりを見ていたあたしは、ふっと膝から力が抜けるのを感じた。その場に脱力すると、足を玄関に残したまま、床に手をついて呟く。
「充電してくれてもかまわないし、家の中のものは好きに使ってくれていい」
顔を上げて正座したままの彼に続けて言う。
「鍵もかけずに家を出たんだから、そのまま帰ってくれてよかった。死んでたらどうしようかって、何度も、何度も……」
自分でも驚くほど感情が昂っている。怒りなのか安堵なのか分からないが、声が震えて涙が溢れる。言い始めると抑えが効かなかった。
「遠慮よりもなによりも、優先すべき事があるでしょう!」
そう叫んだあたしは、うわっと床に伏せて泣いた。
泣くつもりなんてなかったけど、止められなかった。
「異議なーし」
沙さんからの同意。
「でも、ほんと……よかった…………」
そう言った後、自宅の床に倒れ込んで意識を失った。
「もういいわ。無事だったんだし。システムが機能しているって事も知らなかったんだから、早とちりしたあたしにも責任はあるわ」
この声は、オーナーさん?
「本当にご心配おかけしました。沙さんと香奈さんにも……」
「も、いいよ。オーナーがこう言ってるし」
「心配だったんですよね。未桜さんが」
助けてくれた男性の声。その後、沙さんに続いて、香奈さんの声がする。
うっすら目を開けると、目の前には誰かの背中。あたしを庇うようにして正座している。
その奥で、オーナーさんが口を開くところだった。
「礼は古の呪いの気配がするって言ってたの」
その言葉に、沙さんがはっとして言う。
「そうかもです。彼女の曖昧な話を繋げると、否定できない気がします。ちょっと現実離れしてたんで、まさかとは思いましたけど」
「どのくらい現実離れしていたの?」
「怨霊が強い呪いを生み出していて、怨霊だけは誰か他の人が持って行った。でも呪いがその場に残っていて、不幸にも染み込んだ、みたいな話でした」
「他の誰かって?」
「少女と言っていたような」
そこまで聞いていたあたしは、正座をしている背中にそっと手を伸ばして、服の端を掴んだ。オレンジの瞳が振り返り、あたしの目を見てふっと細められる。
「大丈夫ですか?」
頭に優しく置かれた手は、あたしの頭をゆっくり撫でてくれる。
穏やかな幸福感が身を包む。
体を起こそうとすると、腕を出して助けてくれた。
円になって話をしていた人達は、あたしが体を起こすのを待っている。
あたし達の横には、時計回りに香奈さんと沙さんが、ほぼ正面にオーナーさんが座っていた。
「あ、未桜さん、こちらどうぞ」
香奈さんがペットボトルのお茶を渡してくれた。
「ありがとうございます。お茶くらい、適当に飲んでくれてよかったのに」
「ほらね」
あたしの言葉に、沙さんがあたしの隣に目を向けて言う。
その直後、あたし達の正面で、同じように正座していたオーナーさんが、ぱんっと手を打ち鳴らした。
「さて、これで全員揃ったわね。じゃあ、最初に自己紹介でもしましょうか」




