異形の子、拾いました
あれから10年。異世界に転移してしまって、その理由もわからぬままがむしゃらに生きて、何とか生活基盤が整い落ち着いた暮らしができた今日この頃。
私は異形の子を拾った。
ささやかな大きさの家の勝手口を出たところにある、これまたささやかななんちゃって家庭菜園の草かげの中、その子はいた。トマトに似た植物がワサワサとしげるその木陰に、丸まるように倒れていたのだ。
輪郭は人の子のようであるのだが、駆け寄って抱えあげてみると不自然なほど重い。その見た目に反する質量には混乱したが、幼子とは意外と重たいものだったかなと思い、とりあえず土の上に寝かせておくのは可愛そうなので抱き上げて家に連れていく。
輪郭は、人の子のようであるのだが、人の子ではないのは鈍感な私でもわかった。この子の周りには黒いモヤが漂っているのだ。何ならこの子自身が黒いモヤのよう。
そのために怪我をしているのやら汚れているのやらが全くわからない。顔色なんてもちろんわからない。真っ黒だから。
きれいな毛布を敷き、その上にそっと寝かせて勘でその顔やら手やらを拭いてあげているうちに、モヤの子は目を覚ましたようで、身じろぎをしてからムクリと起き上がった。
こちらを見ているような気がする。
「あなたはどこの子?」
そう声をかけたが、どうやら話せないようだ。いや、話しているのに私が聞き取れないだけ? キーンという耳鳴りが時折する。懸命に話しているのに聞き取れていないのだとしたら申し訳ない。
名前もわからないので、とりあえず日本にいた時に趣味で習っていたスワヒリ語で影という意味の、キブリという名で呼ぶことにした。
親がそのうち迎えに来るだろうと思い、それまでこの子の面倒は家で見ることにした。
私がこの世界に来てから、とても大変だったが周りの人たちに助けられながらもなんとか一人で暮らしていけるようになった。だから、その恩返しに誰かの役に立ちたかった。
日本で漫画を読みながらうたた寝をしていて、目が覚めたら見知らぬ町の見知らぬ道でよだれを垂らして寝てたのだ。こんな間抜けな転移をした人は他にいるだろうか。いやいない。
身元不明な私を、親切な町の人々があーでもないこーでもないと面倒を見てくれた。とりあえず難民申請をし、宿屋の下働きとして雇ってもらい、その宿屋に下宿した。国境付近だったので、それなりに難民がいたらしく、私の居住権取得もそう難しいものではなかった。
助けてくれた町人に日本から転移してきたのだと説明しても、混乱しているようねと取り合ってもらえなかったのと、どのみち日本からの難民ということでも間違っていないので、町人の言うとおりにした。そのうちに、私も自分が隣国からの難民だと思いこむようになってきていた。
サヤはぼんやりしているから騙されないように気をつけなさいとここでも日本でも言われた。
暇つぶしに作っていた小物が宿屋で売られるようになり、少しだけ人気が出て、そのうち小物作りで生計がたてられるだけの収入が得られるようになった。手先の器用さ、日本流の変わった感性が受けたようだ。それにここの地の人々はあまり根気がない性格のようで、真似する人が少なく独占販売できたのもよかった。
当然小物を売ったくらいでは日本感覚での『生計が立てられる』には値しない。しかし、ここは田舎だったので土地が余っていてただ同然で小さな家がもらえた。空き家にしておくよりいいとのことだ。そしてその裏手の畑も井戸も使っていいので食費も水道代もかからない。生活費は保存食や衣服、小物を作るための材料費やその他雑貨くらいだ。生きていくことはできる。
不安なのは怪我や病気をした時と老後くらいだが、いざというときの面倒を見てくれる役割を教会が担っているそうだ。多少の喜捨をする必要はあったが、異教徒でも救ってくれるらしい。単純な私は何回か喜捨をして偉い人のお話を聞いているうちにあっという間にこの宗教を信じてしまった。こんなに素直な人はなかなかいないと笑われた。
とにかく、私の生活は安定しており将来の不安もなく、膨大な蓄えも不要だった。
キブリ一人増えても、食材が一人分多く必要になる程度。幸いここは芋がわんさか売るほど取れるので、一人増えたくらいでは問題ない。なんなら、キブリが手伝ってくれるので、収穫量が増えたくらいだ。
キブリは不思議な子で、モヤのように見える手でもしっかりと芋の蔦を掴み、収穫をしてくれる。両手いっぱいにお芋を抱えて籠に入れてくれるその姿は可愛い。土で汚れてもモヤで見えず、そのままソファに寝転んでソファを泥だらけにするのは愛嬌だ。
癇癪を起こしたときは周りのものをすべてモヤモヤにしてしまって困ったが、癇癪なんて子育てには付きもの。怒ったり笑わせたりいろいろ工夫をして乗り越えた。キブリが来てから家具が朽ちることが多くなった気がするが、もとから古い家。仕方がない。割り切るのも子育てのコツだ。
キブリは引っ込み思案なのか、ご近所さんが来ると隠れてしまう。変わった容姿のキブリをみてビックリしてもいけないので、私からも特に説明はしていない。お隣さんの家からも距離があるので、問題が起こることもなかった。
こうして異世界で異形の子を育てる生活は長閑に過ぎていった。
長閑だと思っていたのはどうやら私だけのようで、世間では戦争の噂が飛び交っていたそうだ。徴兵されるような身内もおらず、兵役も課せられていない私の耳にわざわざ入れる必要もないとご近所さんは配慮していてくれたのかもしれない。それでもここは田舎なので、村人が徴兵された話もまだ聞かない。みんな変わらぬ生活を送っていた。
しかし、隣町に住む親戚が兵隊にとられたとの話が出始めてからは早かった。この町でも一人、二人と徴兵され、若い男性、中年の男性、そのうち女性、壮年の男性と未成年まで徴兵されていった。そしてなぜか早いうちに町に帰ってきた。何人かは帰ってこなかったけれども。
私も帰化したようなものだから兵役の義務があるのではないかと何人かに尋ねたが、何故かその必要はないと言われた。
やがて、町から引っ越す人が増えた。夜逃げのように逃げていく人々も。私の面倒を一番見てくれた人も、家族と一緒に逃げると言った。そして、サヤも一緒に行かないかと誘ってくれた。でも、逃げた先に生活の宛はないし、家庭菜園の一環で飼い始めたヤギと鶏を放って置くわけにはいかないと説明すると、目を瞬かせていた。
「もし本当に危なくなったら逃げなさい。これから私達が行く町の名前を教えておくから、困ったら頼ってきなさい。君を養うだけの余裕はあるから」
そう言い残して一家は去っていった。他の人たちも似たようなことを言って、次々と町を出た。
そして、町に暮らすのはキブリと私とヤギと鶏と野良猫だけになった。
人々が去るのは寂しかったけれど、それは仕方がないことだ。私にはこの町に残っても、キブリをきちんと育てるという義務がある。親御さんが迎えに来たときに安心できるような育て方をしなくてはと決意を新たにする。
町から去っていく人が教えてくれたのだが、なんとこの国には魔王軍が押し寄せているのだとか。何というファンタジー。だから国民総動員され、そして早々に諦め、隣町どころか更に他国に逃げていくのだという。
魔王が言うには、人間が宝を奪ったのだと。その宝を返せと。でも私が住むこの国の人々はその宝が何かわからず、返すこともできず、追い返すこともできず、逃げ出すしかなかったのだそうだ。私は魔王って人間の言葉が喋れるのかと大いに驚いた。
宝を奪われたのなら怒るのも仕方ないし、宝が何かわからないのなら返せないのも仕方がない。世の中どうしようもないことが多いものだ。私にとっての宝は何だろうかと考えた。考えるまでもなく、それはキブリだ。子は宝と言う。我が子ではないのにこの子はこんなにもかわいい。顔は見えないけれど。
人がいなくなり、店がなくなり、生活雑貨が買えないのは不便だけれど、持っていけなかったものは自由に使っていいと引っ越ししていく町人に言われていたのである程度どうにかなった。庭で芋が取れるので、最悪食事には困らない。それで、生きていける。
キブリと超音波や身振り手振りを使って何とかコミュニケーションを取れるようになってきた二人の日々。そんなある日、この町に、魔王軍が来た。総数はわからない。地平線を埋め尽くす魔物の群れ。先頭の魔王がよく統治しているようで、統率が取れている。雄叫びのタイミングもみんなピッタリだ。なんで先頭が魔王とわかったかというと、本人がそう名乗ったから。
曰く、キブリは魔王の子供らしい。なるほど、宝とはやはりキブリのことかと割と素直に納得した。名前も当然キブリではないようなのだが、発音が難しくて5回聞き返してもわからなかった。
最初は怒髪天の勢いで進軍してきた魔王軍だったが、キブリが親御さんである魔王に駆け寄り、超音波と身振り手振りで何やら説明すると、とたんに親しみのある対応になった。
「我が子を保護してくれていたらしいな。感謝する。お前の望みをなんでも叶えてやろう。富でも権力でもなんでもやろう。この国の全てであろうとも、なんでもよい」
そう言ってくれたので、一瞬考え込みそうになったが、考えるまでもなかった。
「キブリが幸せに暮らせる世界。そんな世界が欲しいです」
そう告げると、魔王は一拍おいた後、大いに笑ったのだった。
キブリが親元に戻ってから10年後。
私の周りには怪鳥が飛び、八つ又の尻尾が生えた猫が駆け回る。キブリもよく遊びに来てくれる。ちなみに隣国に行ってしまった町人たちはなんとか暮らせていけていると、お手紙をもらった。
キブリが幸せに過ごせる世界、魔族の子供仕様となった世界。周りのみんなと姿形は異なるけれど、私は魔物たちに助けられて幸せに暮らしています、とお手紙を書いておいた。