迫りくる影
サイモンと別れてから一月ほどが経過した。
予定ではとっくにアキナを迎えに来てよいくらいの頃合いであるが……おそらく何かがあったということだろう。
「おっちゃん……オトン、いつになったら帰ってくる?」
アキナは憔悴しているのか、いつの間にか口数が少なく塞ぎこんでいる。相手はエリーに任せてはいるが、面倒だ。
とにかく手掛かりを掴むため、ある商品をワシが所望しているという情報を流しておく。最悪、生死だけでもはっきりするだろう。
そんなある日、屋敷に訪れる男がいた。
「……ハイエンか」
アキナは落胆していた。
そしてどうやら良い話というわけでもないらしい。くれぐれも内密に話がしたいというので、ハイエンを執務室に案内する。
「エリー・サンクテスから手を引いたほうがよろしいでしょう」
開口一番に切り出したのはこれだった。
「何かあったのか?」
「まあそうですねぇ。数日前、襲撃に遭いまして。それでいろいろ探っていくうちにどうやらあの娘を狙ってのことであると」
「……なるほど。それで? どの程度流した?」
今こうして五体満足でのうのうとここに来ている以上、何かしらの方法で難を逃れたということだ。
真っ先に考え付くのは目当ての奴隷が既に手元にない情報をそれとなく流すこと。つまり顧客を売ることだ。
「お許しください。こちらもグラハム様ほど余裕があるわけではないので。ですが今ならまだ間に合うでしょうね」
別に腹立てることでもない。そもそもワシはこの男を商人とは認めていない。最初からこの男を信用などしないし商人としての矜持など微塵も持ち合わせていない。
むしろ、こうして知らせに来たこと自体に多少の驚きをもっているくらいだ。
「相手の目的はよくはわかりませんが、どうにもエリー・サンクテスでなくてはならない理由があるようなのです。そのために強引な手段を取るのもいとわないほどにはね」
「今さらだな。ワシが敵も作らず財を築いてきたと思うか?」
「相手が魔王軍の残党と聞いてもですか?」
「……何?」
また意外な名前が出たな。
魔王軍。かつて十年ほど前になるか。突如として現れ、この世界を侵略しかけ、そして勇者に討伐された。そのせいで経済圏に多大な影響を与え、ワシとしても因縁浅からぬ相手ではある。
「お前、ワシがその程度で死ぬと思っているのか?」
わざわざ忠告に来るほどにワシの身を案じていると言うのがそもそも信じがたいことであるが。
「そうですねぇ。まあ太いパイプであると言うのも確かですが。それ以上に気に入っているのですよ。あなた自身まあ決して善良とは言いません。ですが、あなたの周りには兎角醜い性根の人間がよく集まる。自覚はあるでしょう? その様がまあ中々に興味深いのです。これが金の持つ魔力というのでしょうかねぇ。ええ。ええ。興味深い」
「……なるほど」
容姿か。あるいは金を蓄えて施しをしないのが気に食わないとでも言うのか。ワシはおよそ敵の多い人生だった。そしてその多くが、ワシ以上に利益を生み出すことなど到底できないようなグズが正義などという一文の得にもならぬような言葉を掲げていた。
エリーの母親もそうだった。ワシが借金を肩代わりしても、それでワシに心を向けることなどなくむしろ軽蔑した。そして金のない男と、愛がすべてなどとのたまって駆け落ちをした。
そんな様をこの男は面白いと言う。やはりこの男は悪魔か、魔物の類であるのだろう。
「どうしても嬲る女をご所望であればご用意いたしましょう。多少顔や体は弄りますがその分従順なものをご用意致します。よもや、あの娘に特別な情がありますか?」
ハイエンののたまう言葉は理屈だろう。ワシにとって、あの娘はたかだか喉奥につかえた感傷でしかないのではないか。少なくとも、そんなもののために抱えるリスクではないのではないか。そんな当たり前のことを述べている。
だというのに、何だろうな……ここまで気に食わぬのは。
「ハイエン。お前はワシに商品を売った。そして不手際があったので買い戻すと言っている。そうだな」
「……まあそういうことになりますね」
「だが一度こちらの手に渡った以上は所有権はこちらにある。そうなった以上はその値打ちをまた付け直すのもこちらの自由だ。それが商人の道理というものだろう?」
「つまり代理を寄こすだけでは足りぬ、と」
「そうだ。ハイエン。お前の伝手を使ってエリーを狙うものの情報を集めろ。そうすれば後はワシが始末をつける。それで手打ちにする。どうだ」
さて、自分が一体何を言っているのか。商人としての自分に照らし合わせて考えればそれは、道理に合わない。利がない。強引に話を進めているという自覚はある。
ただ、今のワシは、少し不機嫌だった。
「……なるほど。信じましょう。これからもよいお付き合いを。グラハム様」
ハイエンとしても別に損はないと判断した。これで交渉は成立だ。
「そう言えばグラハム様。何かお探しの品があるという話でしたね。確か……東洋の髪飾りでしたか」
「見つかったのか?」
情報を流しておいたが、ハイエンの耳に引っかかるとはな。とはいえ、返答次第ではこの男を締め上げねばならんが。
「ええ。噂話程度でしょうが山向こうのアルクス村にそのような商品があると聞きおよびました」
「……そうか……」
であれば、その辺りに手掛かりがあるのだろうな。
そして恐らくは……。
「どうかなさいましたか?」
「いや、何でもない。さっさと魔王軍の残党とやらの情報を集めに向かえ」
ハイエンが肩をすくめ、去ったところで葉巻に火をつけ、吐き出す。
「……当たらんで欲しいところであったが……そこにサイモンの手掛かりが……」
魔王軍の残党とやらは気に掛かっていたが、ワシは表向き、東洋の髪飾りを買い付けに出かける準備を整えた。