商人の娘アキナ
屋敷に来客が来たある日。
「おっちゃーん!」
出迎えて即こちらの懐に飛び込んでくる人影があった。腹に走る軽い衝撃と共に受け止める。やれやれ相も変わらず鬱陶しい。
「すんまへんな。グラハムさん」
その後ろから現れたのは黒い髪の東洋人だ。穏やかな顔立ちをし細い体躯であるが、その実その身は引き締まり、瞳の奥には強靭な意思を秘めている。
行商人のサイモン。とあるきっかけで知り合った男だ。
「えへへ~、おっちゃん、ちょっとまったってな。すぐにおっきくなってやしなったるさかい。うわきしたらあかんで?」
その娘。名はアキナだったか。なぜか妙に懐いてくる。艶やかな黒い髪に黒い瞳。コロコロと変わる表情は明るい。中々に美しいと言えるだろう。しかしやはり鬱陶しい。
「アキナちゃん。おとうさまたちはだいじなおはなしがあるから、ふたりであそびましょう」
「あ、えりーおねえちゃん!」
ただまあエリーの遊び相手にはちょうどいい。そう考えて、行商であちこちに飛び回るサイモンから時折アキナを預かることにしていた。
※※※
「別にこちらで買い取ってもいいがその商品はシャイナンダーク商会にでも持っていった方が高値で
「ふむふむ……なるほど」
サイモンと出会ったきっかけは確か、この男が妻の形見か何かをだまし取られようとしていた時に助けてやったのだった。別に善意というわけでもなく、その商人は日頃邪魔に思っており取り潰すいいきっかけになっただけだ。
だというのにサイモンは必要以上に恩を感じているようだ。さりとて、図々しい要求はしてこないし取引自体は真っ当にできる男である。だからこうして付き合えている。
この男の故郷は外国との商取引を禁止しているという話だ。そこに至るまでの経緯を聞く限りその判断は真っ当だと考えるが、さりとて商人にとっては承服しかねる部分もある。この男は身一つで海を渡り、自らを守るものなど何一つない新天地での挑戦を選んだ。
無論、無傷などではない。その道中で妻を失ったという。
「サイモン。お前、ワシの商会で働く気はあるか」
「どないしたんですか? らしくないですね」
しかしこの男はあっさりと断る。
「お互いに利益がないのなら付き合う道理がない。それが口癖やないですか」
「そうだな」
商人としてはそれなりであるがそれだけだ。異国人であるこの男を雇い入れるには、例えば身分の保証などそれなりにこちらの持ち出しがあるだろう。
何より、こうして雑談をし、娘を預かるなどという関係ではなくなるだろう。
「それに、娘婿には胸を張りたいやないですか。まだまだ修行中の身ですが、いつかグラハムさんのような商人になりたい思っとるんです」
「……何度も聞くが本気か?」
どちらもだ。この男はどうにもアキナを本気でワシに嫁がせる気でいるらしいこと。そしてワシを商人として尊敬しているということ。
どちらもおべっかとしてよく聞いたような言葉だ。そして裏ではどうのたまっていたかも知っている。
「少なくとも娘の初恋はグラハムさんですねぇ。いつも会えるのを楽しみにしとるんですよ」
「……東洋人の娘というのはみんなそうなのか」
「アッハッハ。いや、それはないでしょうね」
「そうかそれは残念だ」
別に期待などしていないがな。容姿に恵まれて生まれたわけではないことなどとうに知っている。
「行商をしていれば端々でワシの評判も聞いているのだろう」
「『勇気なき商人』ですか」
そこまで知っていたか。
「んー……あれなんですがね。違和感があるんですよ。果たして本当に好き勝手言われてるようなことが真実なんか。グラハムさんと接していると自然とね」
「……さあな。それは自分で判断しろ」
「アハハ。手厳しいなぁ」
ワシは常に利益を求める男だ。
人付き合いもお互いに利益を生み出さない関係であれば意味がない。そう考えている。
だというのにこの時、サイモンを紹介に誘ったと言うのは気がどうかしていた。後になって考えるとそうとしか思えない。
そしてこれが、この男との最後の会話だった。