Ⅱ BULLET
「ほう、アンタはアッチの人間か」
「はい、マーサ・オークレイと申します」
廃ビルを後にした二人は、明け方の町中を並んで歩いていた。
周囲は廃墟と言っても差支えが無い程荒廃しており、原形を留めている建造物の方が少ない。
人の気配はなく、ただ獣の唸り声だけが響いていた。
「アタシは朱莉。身辺警護から暗殺まで何でもござれのプロの傭兵だ」
朱莉は自己アピールを交えた自己紹介をしながら、隣を歩くマーサを値踏みする。
マーサは歳の頃で言うと20歳前後。身につけたワンピースはシンプルなデザインだが、生地は上等な物を使っているようだ。
金髪美人で、立ち振る舞いもどこか品がある。恐らくそれなりの地位にいる人物だろう。
大口の顧客をゲットできるかもしれない。
朱莉は心の中でガッツポーズをした。
「アタシはフリーランスだから、ご用命があれば何時でもどうぞ」
「傭兵さん……ですか」
「こんな世の中だ、お役に立てると思うぜ」
朱莉はそう言って空を見上げる。
立ち並ぶビル群の隙間を縫って、鳥類とも爬虫類とも言えない生物が飛び回っていた。
「アンタの世界じゃ、あんなのがウヨウヨしてたんだろ?」
「流石に町中で見る事はありませんでしたが……」
それは3年前。
突如世界中が闇に包まれ、大規模な地震に襲われた。やがて暗闇が晴れた時には、世界の状況は大きく変わっていた。
地球の表面積の半分が、異世界と入れ替わってしまったのだ。その世界に住む人間と、魔物達と共に。
異世界とは当たり前に魔法が存在し、規格外の身体能力を持った超人が伝説の魔獣と争う、そんな世界。
突然現れた異世界人達に対し、地球人達は当初、互いの理解を深め歩み寄ろうとした。
だが異世界人と共に現れた魔物達が暴れまわり、その被害が拡大すると、当たり前だった日常を脅かされた地球人達が、少しずつ態度を変える。
やがて、その責任を問う声が異世界人に向けられるようになった。
すると状況は一変。
暴徒化した一部の人間達が争いを始め、その火種は急速に世界を覆いつくす。
何時しか地球人・異世界人・魔物が三つ巴となり、長い戦乱の世に突入していた。
「しかし、アンタは何でコッチ側に居たんだ?」
「闇市に用があって……」
「闇市? そんなトコにお嬢ちゃんが一人で行ったのか? そりゃ襲われもするって」
朱莉が呆れ顔で肩をすくめる。
地球人と異世界人の対立も、全ての人間に当てはまる訳ではない。
公に共同路線を宣言するエリアもあれば、表立つことは出来ないが、個人で繋がっている者もいる。
中でも闇市は裏ビジネスの場。互いの利益だけを尊重し、種族等は問われない。ある意味、全てに平等だ。
だが互いにとってグレーゾーンである為、利用にはそれなりのリスクがある。
おおよそ、自衛手段を持たない一般人が利用する場ではない。
「しっかし、まだ着かないのか? そろそろ昼になりそうだぜ」
朱莉が盛大な欠伸をすると、マーサは前方を指さした。
「そろそろですね」
マーサが指さした先には、青葉茂る緑の大地。今、朱莉達が歩くアスファルトの道路とは余りにも対照的だった。
それはまるで互いの空間を鋭利な刃物で切り裂き、断面を無理やり繋げたかの様に思える。
朱莉は住み慣れたコンクリートジャングルから、一瞬で青々とした芝生が生い茂る異空間へと足を踏み入れた。
「相変わらず変な感じだな」
元の世界と異世界の境界線を越える。それは、朱莉自身も過去に数えきれないほど経験している。
最早当たり前の事と認識はしているが、それでも違和感は消えない。
朱莉は大きく息を吸った。硝煙と金属の匂いになれた鼻腔に、澄んだ空気が流れ込む。
「ん~~やっぱ空気も違う。空間は繋がってる筈なんだけどな」
「そうですね、私もこの感覚には未だに慣れません」
マーサも朱莉に同意する。
朱莉からすれば異世界の生活様式すら超常的なのだが、その住人であるマーサでも、この異界融合は理解の範疇を超えているようだ。
今までも、世界中の有識者と呼ばれるテレビタレントが様々な見解を述べていたが、当然の様に答えなど出ていない。
朱莉などは考えるだけ無駄と、一切の思考を放棄している。
尤も、今となっては朱莉の様な人間が大半を占めているのだが……。
「あ、見えてみましたよ」
暫くの間、二人並んで芝生の上を歩いていると、前方に大掛かりなバリケードが現れる。
朱莉が見る限り、ただ単に木材を組み合わせている様にしか見えないのだが、恐らく魔法によるトラップが仕掛けられているのだろう。
地球人の朱莉には見分けがつかないが、このエリアで未だに集落の体を保っているだけで、それなりの防衛力を持っている事が分かった。
今の地球は、地球人と異世界人、そして魔物の三つ巴ではあるが、その戦況は各地で異なる。
朱莉が根城にしている地区は地球人が優位に立っており、多くの異世界エリアが地球人に占領されている。
その中で地球人の侵攻に耐えているのだ、よほど優秀な部隊が居るか、敵の攻撃を寄せ付けない防壁があるのだろう。
やがて朱莉とマーサは、バリケードに挟まれた鉄格子製の門に辿り着いた。
門の前には、警備らしき年老いた男が立っている。
「マーサ様! よくぞご無事で!」
鎧姿の老兵が、涙目でマーサに駆け寄る。老兵は身長こそマーサや朱莉より低いが、その丸太の様な四肢が、兵士として一角の人物である事を証明していた。
「ごめんなさい、勝手に出歩いたりして……」
「いえ、ご無事であれば良いのです」
喜びでむせび泣く老兵が、視界の端に映る朱莉に気が付いた。
「……こちらの方は?」
「私の護衛をしてくれた方です」
「地球人……ですな」
老兵が露骨な嫌悪感を示す。
当然だろう、このエリアで地球人を歓迎する異世界人はそう居ない。
「悪いが決まりでな、ボディチェックをさせて貰うぞ……」
老兵が朱莉の腰に巻かれたホルスターに手を伸ばした、その瞬間……。
「っ!?」
朱莉が目にも止まらぬ速さでリボルバーを抜き、老兵の額に銃口を突き付けた。
「コイツに触るんじゃねぇよ」
朱莉が凍り付く様な瞳で老兵を睨みつけながら、銃の撃鉄を起こす。
「貴様ぁ……」
気付けば老兵も腰の剣に手を添えている。
地球人の常識なら、この体勢で朱莉が負ける事は無い。
だが異世界には魔法と呼ばれる超常的な力以外にも、超人的な戦闘技術を持つ者が居る。
朱莉はそれを知っている。故に絶体的有利な状況でも、一切の気を抜かない。
張り詰めた空気が、朱莉と老兵を包む。
「キオウ止めて! 朱莉さんも銃を下ろしてください!」
その張り詰めた空気を、マーサの叫びが吹き払う。
老兵キオウは、朱莉から目を逸らさぬまま剣の柄から手を離した。
キオウが構えを解いた事を確認し、朱莉も銃を下ろす。
「マーサ様、随分な狂犬を連れてこられましたな」
「はっ、アタシが犬ならジジイは虎か? アンタ今までに何人の地球人を殺してきた?」
「ふっ、ワシは己の職務を全うしたまでよ」
互いに口角を上げるが、その目は未だ鋭く緊張感を保ったままだった。
「朱莉さん、住民以外が町に入るには所持品の登録が必要なのです。他の者には触れさせませんので、確認だけさせて下さい」
朱莉は眉をひそめて不満を示すが、やがて観念したように大きなため息をつく。
「クライアントの頼みじゃしゃーないな」
朱莉は渋々ながら承諾し、マーサ達と一緒に近衛兵の詰め所へと向かった。