Ⅹ BULLET
オークレイ邸の浴場はかなり広い。
貴族の中には湯浴みを嫌い、体を拭くだけで済ませる者も多い。
そんな中で、オークレイ邸には4・5人は余裕で足を延ばせるサイズの浴槽が有る。
個人の所有する浴槽としては、かなり珍しいサイズだ。
最も、日本人である朱莉には有難い話。
昨日と同様、朱莉は石鹸で体を洗ってから、浴槽に身を沈めた。
疲れた体に、お湯の温かさが染み渡る。
「かあぁ~~~~~……」
思わずオッサンの様な声が出る。
仕方がない。それが風呂の魔力だ。朱莉は自分で自分を納得させた。
朱莉がお風呂の魔力に抗えずにいると、扉の向こうから物音が聞こえてきた。
誰かが入ってきたようだ。朱莉は、反射的に浴場まで持ち込んだリボルバーに手を掛ける。
しかし、入って来た人間が衣服を脱いでいる様子を感じ取ると、リボルバーにタオルを巻き、自らの傍らに置いた。
「何だ、やっぱり一緒に入りたくなったか?」
朱莉は入って来たのがマクシードだと思い、声を掛ける。
「何の話ですか?」
しかし入って来たのは、髪を上げたタオル姿のマーサだった。
「何だマーサか」
朱莉がそう言うと、マーサはクスリと笑った。
「ずいぶん弟と仲良くなったみたいですね」
「仲良かねぇよ、からかって遊んでるだけだ」
「ふふ、からかえる間柄なら何よりです」
マーサは朱莉と同じように、まずは洗い場で体を洗う。
朱莉は体を洗うマーサの後ろ姿を、何となく見つめた。
透き通るような白い肌、出るべき所は出て、引っ込むべき所は引っ込んでいる理想的なボディ。こりゃ、男どもに目をつけられても仕方ないな……朱莉は妙に納得してしまった。
「あの……あまり見つめられると恥ずかしいのですが……」
「いや~良い体してんなぁ~って」
朱莉にはデリカシーが欠如している。分かっていた事だがココまでとは……マーサは認識を新たにした。
「そういや、マーサは闇市に用が有ったって言ってたな。何を買いに行ってたんだ?」
「それは……薬です」
「薬? ポーションか?」
「いいえ、違います」
マーサは体を洗い終えると浴槽に入り、朱莉と少し離れた場所に腰を下ろした。
「私が探していたのは、特殊な病を治す薬です。私達の国にはなく、朱莉さんの国にはある……特効薬」
「マーサ、病気なのか?」
「いいえ、今はまだ」
「今は?」
マーサの妙な言い回しに、朱莉が首を傾げる。
「我がオークレイの家系は、代々病の悪魔に呪われているのです」
「病の悪魔……ねぇ」
過去の朱莉であれば鼻で笑っている所だが、異世界の存在を知ってから、その手のオカルトを完全否定できなくなっていた。
「オークレイ家の人間は、ある時期に突然病を発症します。それはどんな薬でも、ポーションでも、神官でも癒せない。不治の病。発症する時期は不明で、10代で発症した例も、80代で発症した例もあります。発症した場合の死亡率は……100%」
マーサは温かな浴槽に浸かっていながら、体をブルッと震わせた。
「お母様も、一年前にその病で亡くなりました。しかし私は知ったのです。地球には、その病を治す薬があると」
「それを闇市で買おうとした訳か……それなら何で一人だったんだ? 護衛位雇えるだろ?」
マーサは朱莉の問いに、首を横に振った。
「お父様もマクシードも、地球人を良く思っていません。地球人の作った薬で助かる事を良しとしません、それは生き恥だとすら……」
「らしいっちゃらしいな」
朱莉は、初めて二人に合った時に感じた、自分に対する嫌悪の表情を思い出した。
「でも、私は薬その物に罪があるとは思いません、だから……」
「一人で闇市なんかに行ってたって事か」
そして暴漢に狙われ、あの廃ビルに逃げ込んできた。朱莉は、ようやく納得がいった。
「最初はひ弱なお嬢様かと思ってたが、結構肝が据わってるよなマーサって」
「ふふ、朱莉さんにそう言われるのは、何だか嬉しいですね」
マーサが上品に口元を隠しながら笑う。
「私も、地球人の事を好きだとまでは言えません。でも、朱莉さんの様な人が居る事を知っています。恐ろしさと同時に、私達が見た事も無い魅力にあふれている世界だと言う事も」
マーサが遠い目をしながら、虚空を見つめる。
「私は、出来る事なら朱莉さんの様な人と、もっと仲良くなりたかった。そして何時か、私達の世界と朱莉さんの世界が、真の意味で一つになれれば……」
朱莉には、マーサの瞳が希望に満ち溢れている様に見えた。
「アタシと仲良くなると、たぶんこの家破産するぜ」
「ふふふ、それは困りますね」
マーサと朱莉は湯船の中で笑いあう。それは二人にとって、久しぶりに心から笑えた瞬間だった。
マーサより先に湯船から上がった朱莉は、脱衣所で私服に着替え客室に戻った。
ネグリジェも用意されていたが、そのままベットの上に仰向けになる。
私服は黒いクロップドTシャツに迷彩柄のロングパンツ。決して就寝に適しているとは言い難い。
しかし職業柄、戦場に身を置く事も多い朱莉にとって、完全に気を抜く方が稀。
私服で装備品を身につけていた方が、よっぽど気が休まるくらいだ。
何時ものスタイルに戻った安心感か、朱莉はベットの上でまどろむ。
瞼を閉じると、全身に心地良い脱力感を覚えた。
どれほどの時間、そうしていたかは分からない。
やがて朱莉が意識の一部を閉ざそうとした時、不意に扉がノックされた。
反射的にベットから起き上がり、リボルバーに手を掛ける。
しかし、訪ねてきた人物か知った顔だと分かると、朱莉は扉を開け、来訪者を招き入れた。