6.信じるな
「何か用? もうすぐ授業始まるけど」
神楽坂の口調がうつったのか、はたまた元からそうだったのか。私はぶっきらぼうに尋ねた。
益田に呼び出された私は、教室を離れて人気のない体育館裏に連れて行かれた。
相対する益田は私のことが怖いのか、オドオドした様子を隠せずにいる。
興味がないように振る舞いながらも私のテンションはおかしくなりそうなほど高まっていた。
神楽坂以外の人に初めて話しかけられた。それも、私が接触しようとしていた相手に。
自分が変われば周りも変わる。その言葉はあながち間違いでもないと先人の教えに感謝を述べる。
そんな私の隣には、さも当然のように神楽坂がいる。私たちの話が気になって着いてきたらしい。憑いてきた、の方が正しいか。
私たちは顔を合わせて益田の言葉をじっと待つ。
どれほど時間が過ぎたかわからない。ただ、授業開始を告げるチャイムが遠くから聞こえてきたのは確かだ。
私は授業なんて受けなくても構わないけど、益田はいいのだろうか。彼女のことはよく知らないから私には判断しかねる。
「相変わらずはっきりしねえやつだな」
痺れを切らした神楽坂が文句を垂れる。
「さっさと要件言えよって急かせ。真依子にだけ構ってる暇はねえんだよ」
「……幽霊って暇じゃないんだ」
「うるせえ。暇だけど待たされるのは嫌いなんだよ」
教室での一件を経て、人前で神楽坂と話すことに躊躇がなくなった。いよいよ変人だな、これは。
益田も大きな目をぱちぱちと瞬かせている。神楽坂の声が聞こえない彼女にとって、私たちの会話は私の独り言にしか聞こえないのだろう。
でも、誰にどう思われようと、私にはどうでもよかった。
「神楽坂が早く要件を話せって」
「俺の株を下げるな」
「その言葉、そのまま返していい?」
せっかく益田が話しかけてきてくれたんだ。私としてはこのチャンスを逃したくない。彼女が話してくれるまで待つつもりだ。
それを急かしているのは神楽坂だ。私はそんなこと思ってない。ここは私の名誉のために本当のことを伝えるべきだ。
まあ、幽霊と話している時点で不名誉なレッテルを貼られることは請け合いだけど。
「そこに、いるの?」
ずっと黙り込んでいた益田は、消え入りそうな声でそう尋ねた。
「いるよ、神楽坂が。あんたの知ってるその人とは似ても似つかないけど」
「余計なこと言うなよ」
「ホントのことだけど? 今のあんたをクラスメイト全員に見せてやりたいくらい」
「昨日まで散々ビビってたくせに、言うようになったな」
「お陰様で」
「あ、あの!」
呼び出した本人そっちのけで神楽坂と軽口を言い合っていると、自分の存在を示すように益田が声を上げた。
「昇太は私のこと見えてるんだよね? 私の声、聞こえてるんだよね?」
「ああ」
益田の問いかけに答える神楽坂。その声が彼女に届くはずもなく、益田は私に視線を送ってくる。
神楽坂の返事を代弁するように首肯する。
私を通した神楽坂の肯定を受け入れた益田は、私……ではなく、その隣に目をやった。
彼女からするとそこには何もない。ただ、その先の壁が見えているだけだ。それでも彼女は言う。
「昇太。私ね、昇太に話したいことがたくさんあるの。昇太が急にいなくなって私、私……」
「面倒臭いな。さっさと言えよ」
「黙って聞いて」
目元に涙を浮かべる少女を前にしても神楽坂はそのスタンスを揺るがすことはない。彼女にその悪態が聞こえていないとわかっていても、思わず口を挟んでしまった。
急に話を遮ってしまい、益田は何事かと私を見る。続けて、と暗に示すと、益田は話の腰を折られたことに動揺を見せつつも続けた。
「……私、昇太にたくさん感謝してるんだ。今の私があるのは昇太のおかげだから」
「奇遇だな。今の俺があるのもお前らのおかげだ」
「私ね、昇太のこと大好きだった。どんな時も優しくて、かっこよくて、私みたいな鈍臭い女の子にも手を差し伸べてくれた。私が一人にならないように、傍にいてくれた」
「俺は嫌いだった。俺がいなきゃ何もできない。いつもいつもくっついてきて鬱陶しかった」
「昇太が悠ちゃんと付き合うって知って、ちょっと嫌だった。だけど、昇太の幸せそうな顔を見てるだけで、私も幸せだったんだ」
「めでたいやつだな、俺が幸せそうに見えたのか。何もわかってねえな」
「いい加減にしろ!」
二人の会話──傍から見ると益田が一方的に話してるだけだけど、私はそれを見ていて怒りが頂点に達した。
足を振り上げて、靴裏を思い切り神楽坂に伸ばす。勿論、その足が神楽坂に当たるはずもなく、体育館の外壁にぶつかる。
「あんた、ほんと腐ってる! 益田の気持ち考えなよ! 何でそんなことが言えるの? あんただって、あんたが孤立しそうな時に益田が傍にいてくれたって話してたのに!」
怒りに任せて壁を何度も蹴りつける。
「当たりませーん」
「うるさい! もう一回死ね! やっぱあんたのこと大嫌い!」
神楽坂がこうなってしまった原因にこいつの悪かったところはないかもしれないけど、それでも許せない。女の子の必死の想いをここまで無下にできるなんて。
こいつの言葉が益田には届かないことだけが唯一の救いだ。もしも聞こえていたら、私はありとあらゆる手で除霊しようとしていたと思う。
「まあ落ち着けよ」
「落ち着けるわけないでしょ!」
壁に足をかけたまま神楽坂を睨みつける。益田は何事かと慌てふためいているが、私はそれどころじゃない。
私の様子を見兼ねて、神楽坂は深いため息をつく。ため息をつきたいのは私の方だ。
「お前、良いやつだな」
「は? 何、ご機嫌取り?」
「違えよ」
神楽坂が急に顔を近づけたせいで壁から足を離して後ずさる。
「真依子の言うことは信じるな」
冗談にも言い訳にも見えないそいつの表情に、私も思わず顔が強ばる。
「何、言ってんの……?」
「そのままの意味だ。こいつは何か隠してやがる。素直に信じてると痛い目見るぞ」
私は横目で益田を見やる。
彼女は何が起こっているのかわからない様子で、私と神楽坂を交互に見ている。
どういうこと? 彼女はただ、神楽坂への想いを打ち明けていただけだ。それをバカにしていたのは神楽坂で、どう見ても神楽坂に非がある。
苦しい言い訳? ううん、神楽坂は確かにクズだけど、嘘はつかない。思ったことは言わなくていいことでも正直に口にしてしまうやつだ。少なくとも私はそう思っている。
「真依子から話しかけてくれたのは運が良かった。まずはこいつから攻略する。手を貸せ」
「そんなの……」
有り得ない、とは言えなかった。
私は益田のことを知らない。神楽坂の方が余程詳しい。
神楽坂のこともよく知らないけど、クラスメイトの誰よりもその本性については知っている。
信じるとしたら、同性に対する同情よりも本性を打ち明けてくれたバカの方だ。
酷い話だけど、私はその薄っぺらい信頼を覆す程の理由を持ち合わせていない。
「わかった。黙って聞いてる」
癪だけど、神楽坂を信じることにした私は益田に向き直った。
「邪魔してごめん。神楽坂からも二人のことに口を挟むなって怒られた」
思いついた言い訳を口から垂れ流すと、益田は納得したように胸を撫で下ろした。
嘘をついてしまった罪悪感はあるけど、神楽坂が言っていたことをそのまま伝えるのは躊躇われる。
──真依子の言うことは信じるな。
神楽坂にどんな意図があってそう言ったのかはわからない。
元より人を信頼していない神楽坂が言っても説得力があるようには感じないけど、今の私にはこいつ以上に信頼できる相手もいない。その信頼も少し大きいどんぐり程度だ。
益田のことは自分で見極めよう。人の話なんて情報ソースとしては信用に欠ける。それは私もよく知っていることだ。
当の益田は私の妨げもなかったかのように、神楽坂に想いの全てを打ち明けていた。
悪い人には見えない。私じゃなくてもそう思うだろう。
幽霊が見えているなんて話を一切の疑いもなく信じてくれるだけで聖人だ。
だけど、人の外面と内面は必ずしも一致しないことは神楽坂が身をもって教えてくれた。
彼女のことを知るにも、神楽坂に対する本当の想いを知るにも、まだまだ時間が必要だ。
私は益田が一方的に話し続ける声を耳に入れながら、一人空を仰いでいた。
※※
「今日はありがとう、天谷さん」
午後一の授業時間が終わる頃、益田はそう言って深々と頭を下げた。
結局彼女は授業時間の殆どを一人で喋って過ごしていた。
私も神楽坂も彼女の話を黙って聞いていた。
残念ながら神楽坂の死に繋がるような情報はなく、神楽坂の言っていた彼女の本心に繋がる話もなかった。
それも仕方のないことだ。神楽坂が言っていたことが正しかったとしても、そう簡単に本性をさらけ出すはずもない。
私と神楽坂にとっては不毛な時間ではあったけど、益田との接点が得られただけでも収穫だったと思うべきだ。
「気にしないで。また神楽坂と話したくなったら、いつでも声かけてくれていいから」
私には神楽坂のように人と上手く距離を縮める術を持ち合わせていない。
私の方はいつでもウェルカムだと伝えるだけで精一杯だった。
「私には昇太の声は聞こえないけどね。でも、ありがとう」
益田はそう言って少し寂しそうに笑った。
やはり益田真依子はどこまでも良い人に見える。幽霊が見えるという私の話を一切疑うことなく、心から信じているようだ。
「あのさ、なんで私の話信じようと思ったの?」
身を翻して教室へと足を向けていた彼女を呼び止めた。
どうしてそんな質問をしたのか、特に理由はない。単純な興味だ。
彼女は足を止め、再度私たちに向き直る。
「天谷さんが意味もなくそんな嘘をつくとは思わないから。それに、昇太がそこにいるなら、私の気持ちを伝えたかった。私がどれくらい昇太に感謝してるのか。どれくらい昇太が好きなのか」
益田は顔を赤らめる。恋する乙女って感じ。
神楽坂に目をやると、彼は興味がなさそうに背伸びをしている。ほんと、こいつは……。
「昇太、ちゃんと話聞いてないでしょ?」
そんな神楽坂の姿が見えているように益田はクスクスと笑う。
「……なんでわかったの?」
「昇太はいつもそうだった。皆と仲良くしているようで、ずっと一人に見えた。誰も信じてない。誰の話も聞いてない。昇太は、そういう人だから」
私は勿論、神楽坂も驚きを隠せないように目を細めている。
益田は神楽坂のことが好きなだけあって、こいつのことをよく見ていたらしい。
どれほど絢爛な仮面を被っても、嘘で塗り固められたキャラクターを演じても、わかる人にはわかってしまう。
「余程好きだったんだね。神楽坂のこと」
「うん! この気持ちはきっと、悠ちゃんにも負けないよ!」
純粋で真っ直ぐな気持ちは、彼女の表情にしっかりと表れている。
素朴で目立たない顔立ちだけど、恥じらいを含んだその笑顔は鈴沢にも負けない可愛らしさがある。
彼女につられて私も口角が緩んだ。
流石の神楽坂もここまで純真な好意を伝えられては、少しくらい揺らいだり……しないか。益田ではなく、私の方をじっと見ていた。
「真依子に伝えろ。俺から伝言がある」
「何?」
「今日の話、他の三人にも伝えろ」
他の三人とは、神楽坂と一緒にいた佐条、笹倉、それに恋人の鈴沢のことだろう。
そういえば、昼休みの教室に彼らの姿はなかった。益田を除く三人は、私に神楽坂が見えている事実を知らない。
もしかしたらクラスメイトから私のことを聞いているかもしれないけど、素直に信じるかは怪しいところだ。
だけど、益田がそう言ってしまえば話は変わる。
いつも一緒にいた友達からの話なら、全面的に信用することはなくても、無下にはできないはずだ。
神楽坂はあくまで益田を起点に利用するつもりらしい。どこまでも性根が腐っている。
そうは思いながら、神楽坂の考えは確かに正しい。
私からアピールするよりも、益田に伝えてもらう方が効果がありそうだ。
合理的ではあるけど、もう少し益田と向き合ってあげたらいのに。
ため息を漏らしながらも、私は神楽坂の言う通りにした。
「神楽坂から伝言。私には神楽坂が見えること、それから益田が神楽坂と話したってことを他の三人にも伝えてって」
益田は一瞬不思議そうな顔をしたけど、何かを納得したように頷いた。
「わかった! ちゃんと伝えとくね」
「それから、俺を殺したのはお前か?」
何を言い出すんだこのバカは。
「言えるわけないでしょ」
「なんでだよ。隠し続けても意味ねえだろ」
「あのね、状況考えてよ。まずは鈴沢たちの気持ちを聞くところからでしょ」
「ちっ。面倒くせえ」
面倒でもつまらなくても、神楽坂と関係が深かった四人と話してみないことには、本音を引き出すこともできない。
私が単刀直入に聞いたところで、益田も他の三人も素直に話してくれるはずもない。
「じゃあ、幸哉、笹倉、悠の順番で伝えるように言っとけ」
「は? 順番に何の意味が」
「いいから」
神楽坂の本性を知っても、こいつの考えていることは全くわからない。
神楽坂の言葉をそのまま伝えると、益田もよくわからないと首を傾げる。幼馴染にわからないのなら、他人の私ではお手上げだ。
「よくわかんないけど、昇太がそう言うならそうする」
反論もなく、益田はそれを受け入れた。
要件も伝え終えていよいよ話すことのなくなった私たちは、教室に戻ることにした。
「お前は残れ」
「今度は何?」
「話がある」
足を止めた私に、益田が「どうしたの?」と振り返る。
「神楽坂と話があるから先に戻って」
「……わかった」
少し寂しそうではあったけど、益田は一人で体育館の陰に消えて行った。
戻ってくる様子がないことを確認して、神楽坂に向き直る。
「で、話って?」
「あいつのこと、どう思った?」
「どうって……」
「自分で見極めようと観察してたんだろ。感想くらい聞かせろよ」
どうやら私の思惑はバレていたらしい。
私が隠すのが下手なのか、神楽坂が目ざといのか。
「特に何も。良い人なんじゃない?」
「そうか」
「え、ちょっと」
引き止めた割にそれだけで要件を終えようとした神楽坂を今度は私が止める。
彼の腕を引こうとした私の手はすり抜けてしまったけど、彼は足を止める。
「もう一度言っとく。あいつは信用するな。あいつだけじゃない。これから話しかけてくる三人のこともだ」
「あんた、いい加減にっ」
「落ち着けよ」
神楽坂は首だけをこちらに回してキッと鋭い視線を送る。
蛇に睨まれた蛙のように、私は言葉を詰まらせた。
私は大きく深呼吸して、高揚する思考を落ち着かせる。
他の人には私の姿しか見えない。私が一人声を上げても、体育館裏で大声を出すおかしな女子高生にしか見えない。
人が来ても面倒だ。一旦冷静になろう。
「さっきも言ってたけど、あんたの勝手な妄想じゃないの?」
「本当にそう思うか?」
「当たり前でしょ。少なくとも益田におかしなところはなかった」
「そこに隠れてお前を観察しているとしても、か?」
神楽坂は益田が消えたはずの体育館の陰を指さした。
その指につられるように視線を向けてみたけど、そこには誰も──
「ッッ!」
声にならない叫びが喉を突き抜け、空気だけが口から漏れ出た。
益田の姿は見えない。けれど、そこには確かに影が伸びていた。昼過ぎの太陽に照らされた黒い影が、壁の向こうで揺れている。
「わかっただろ。あいつは危険だ」
「な、なんであんなこと……」
私は声量をこれでもかと押し殺して神楽坂に尋ねる。
「知るかよ」
しかしそいつはぶっきらぼうに会話を投げた。
無責任にも程がある。そこにいるのが本当に益田だとして、私は彼女にマークされたことになる。
目的も意図もわからない。彼女はただ静かに私の様子を窺っている。
「帰りはすぐに教室を出ろ。絶対につけられるなよ。一応俺が見張っとく」
「じょ、冗談でしょ……?」
肯定の言葉を引き出したかったその問いも虚しく空を切る。
私はもしかして……いや、もしかしなくとも、とんでもない案件に手を貸してしまったのかもしれない。




