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2.それは、望まない必然的な再会

 神楽坂の衝撃的な告白を聞いたその日。

 放課後を迎えた私は、そそくさと荷物をまとめて教室を後にした。


 普段から放課後はすぐに帰るようにしていたけど、今日はいつにも増して学校に残りたくない気分だった。

 ここにいるだけで神楽坂と対面してしまいそうだったから。鈴沢がそこにいるだけでパニックを起こしてしまいそうだったから。


 私を呼び止める声はない。好き好んで私に話しかける物好きはもういない。

 昇降口を駆け下りて、逃げるように外へ飛び出す。

 ここまで来れば安心だ。


 そう思った矢先、校門に人影が立っているのが見えた。

 嫌な予感がした。その予感は直後に的中する。


 そこにいたのは神楽坂昇太だった。

 神楽坂は夕陽が沈むオレンジ色の空をぼーっと見上げていた。


 私は一瞬足を止めてしまったけど、彼に悟られまいと再び足を動かした。

 今にも逃げ出したい気持ちを必死に抑え、できるだけ自然に、いつも通りの私を演じる。


 何も起こるな。何も起こすな。

 そう願いながら、校門で佇む神楽坂に迫る。

 あんな話を聞いておいて、薄情だとは思う。

 彼の言葉に耳を貸してあげられるのは私だけ。あの事故の真実を知っているのは本人たちと私だけ。彼を救えるとしたら私だけだ。


 でも、私に一体何が出来る?

 私は幽霊が見えることを除けばただの女子高生……いや、友達がいないひとりぼっちの女子高生だ。

 神楽坂のことが見えると言ったところで、誰も私の言うことは信じない。私には、彼の言葉を届けることはできないのだ。


 仕方ないと言い訳をして、神楽坂の前を通過する。

 横目で彼の様子を伺う。神楽坂は私を気に留める素振りもなく、校舎をじっと見ていた。

 が、突如その視線がじろりと私に向けられる。

 思わず目を逸らしてしまい、私は足を早めた。

 大丈夫。まさか見えているなんて思われない。この学校に私のことを知っている人はいない。大丈夫だ。

 必死にそう言い聞かせた。そうでもしなければ正気を保てなかった。


 校門の先で方向転換し、家路に着く。

 もう彼の位置から私のことは見えない。安心感からか、歩みがほんの少し緩くなった、その時。


「じゃあな、天谷」


 気が緩んだ私の虚をつくように、神楽坂は私の背中に声をかけた。

 気取られないように。関わらないように。私は必死に意識を足へと向けた。

 大丈夫、大丈夫。クラスメイトが通ったから声をかけただけ。生前からそうだった。神楽坂はそういうやつなんだ。


「……やっぱ気のせいか」


 何かを諦めてしまったような神楽坂の声が私の心を苛む。

 もしかしたら、彼は私の行動に違和感を抱いていたのかもしれない。

 だけど、私はその歩みを止めることはしなかった。

 振り返ることもなく、彼の深いため息を背中に浴びながらその場を立ち去った。




 私には昔から幽霊が見える。

 祖父が田舎の小さなお寺の住職だった。その祖父曰く、彼にも幽霊が見えるらしい。

 私には母を通してその不気味な力が宿ってしまったそうだ。母にも弟にもそんな迷惑な力は受け継がれていないというのに。


 幼い頃は、それが原因でいじめられていた。

 あの頃の私には、幽霊と生きている人間との区別ができなかった。


 寂しそうな表情を浮かべる子ども。仕事帰りのサラリーマン。バスを待つ高校生。

 彼らが生きているのか、はたまた死んでいるのか。私には見分けることができなかった。


 ある日、お寺で一人佇む女の子に「一緒に遊ぼう」と話しかけた。

 彼女はとても喜んでくれて、それが私も嬉しかった。

 人一倍明るく、困っている人を放っておけない性格だった私にとって、彼女の笑顔は私の喜びそのものだった。


 皆にも紹介しようと、彼女を連れて近所の公園へと赴いた。

 だけど、その女の子は周囲の子たちには見えていなかった。

 冗談だろうと笑い飛ばされて、私にはそれが許せなかった。いじめなんじゃないかと思った。強すぎた正義感が仇になったのだ。


 私が本気で怒っているとわかった彼らは、今度は私を気味悪がった。

 今にして思えば当然だ。幽霊は私にしか見えていない。その見えない存在を友達として紹介しようとしていたのだから、頭がおかしくなってしまったとしか思えない。


 それからだ。私が人との関わりを避けるようになったのは。

 人と関わらなければ、幽霊と人間が区別できなくても関係ない。

 誰も私には関わらない。私も誰にも関わらない。


 同じ過ちを繰り返したくない。見えないはずのものが見えてしまうことが恐ろしい。もうあんな目に遭うのは嫌だ。

 様々な思いが交錯し、私は一人を選んだのだ。




 目を開くと、真っ暗な部屋の中だった。

 帰って来てすぐにベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまったらしい。

 嫌な夢を見た。昔の夢だ。思い出したくもない過去。私の黒歴史。

 それもこれも、神楽坂のせいだ。あいつが姿を見せるから。話しかけたりするから。おかしなことを言い出すからだ。


 物音も聞こえない静かな部屋で、何をするでもなく天井を仰ぐ。

 あいつは一体何をしようとしているのだろう。

 自身の死が事故ではないと証明したいのだろうか。鈴沢が自分を殺した理由を知りたいのだろうか。


 ……やめよう。考えたってわからない。

 私は神楽坂と関わらないことを選んだ。目の前で話を聞いておいて、その全てをなかったことにした。

 私には関係のないことなんだ。もうあの時のような気分を味わうのは嫌だ。

 もう幽霊とも生きている人間とも関わらないって決めたんだ。


 そう強く思っても、私の頭の中にはあいつの顔が、声が深く刻み込まれていた。

 私には幽霊が見える。死んだはずの神楽坂が見えてしまう。あいつの悲痛な声が聞こえてしまう。


── なあ、悠。お前、俺を殺したよな?


 優しくも突き詰めるように諭す声がまだ聞こえてくるようだ。


──やっぱ気のせいか。


 あいつの寂しそうな声が脳裏に焼き付いて離れない。

 人をよく見ていた神楽坂のことだ。私の行動に違和感を覚えていたのだろう。

 もしかしたらあいつは、私のことを待っていたのかもしれない。だからああして声をかけてきたのかも。


 いつも明るくて、ネガティブな感情を見せない神楽坂が発した弱々しい苦しみの声。

 あの神楽坂が弱気になってしまうほど苦しんでいる。そのことを私だけが知っている。

 その事実が私の心に深く突き刺さる。胸がズキズキと痛んで、苦しくなってくる。


 ああもう。どうして私があいつのことばかり考えなきゃならないんだ。

 私は、恨み言を吐き出すように呟いた。


「神楽坂……」

「呼んだか?」


 体が飛び跳ねた。

 ベッドから勢いよく落ちて、床やらテーブルやらで全身を強く打ち付けた。心臓が止まりそうだった。

 だけど、痛みを感じている暇もない。

 反射的に部屋の隅っこまで後退りして、暗い部屋を注意深く見回す。


 部屋の片隅、私と対角の位置にそいつはいた。

 いつもと変わらない笑顔を浮かべて「よっ」と手を挙げている。


「いやー、突然押しかけて悪かった。随分うなされてたけど、悪い夢でも見たか?」


 ふわふわと体を宙に浮かべ、部屋の真ん中で胡座をかく神楽坂。


 思考が追いつかない。新品のノートのように真っ白だ。もう何が何だかわからない。

 現状の整理も追いつかず、私の口は役に立たない脳みそを無視して、勝手に声を出していた。


「な、なんであんたがここに……」

「ちょっと話があってな。幽霊って結構便利なんだよなぁ。鍵かかってても普通に窓から入れたし。あ、寝てる間に変なことはしてないからな?」

「そういう問題じゃ……」


 そこまで言ってハッとする。

 私は何を普通に話しているんだ。関わらないと決めたはずなのに。知らぬ存ぜぬを貫けば、今までと変わらず過ごせたはずなのに。

 神楽坂は思った通りと言わんばかりにニヤニヤと笑みを浮かべた。


「やっぱ見えてるんだな」

「……見えてない」

「嘘つけ!」


 やはりもう無理だ。ここまで盛大に反応して、会話まで成り立ってしまえば言い逃れなんてできない。

 神楽坂も私の言い分を馬鹿らしく思ったのか、ケタケタと声を上げて笑っている。


 神楽坂には隠せないと悟った私は、彼に向き合うようにベッドに腰を下ろした。

 神楽坂も私と目線を合わせるように高度を下げる。

 こうして普通に見えていて、会話もはっきりとできるけど、彼は本当に死んでいるんだとわかる。


 ぼんやりとモヤがかかったような輪郭。ふわふわと浮いた体。生前と何も変わらない容姿。無邪気に笑う顔。

 そのギャップが私の頭を混乱へと陥れる。

 私はぶんぶんと首を振って、改めて彼に問いかけた。


「どうして気付いたの?」


 今度は彼の目をちゃんと見て、あんたに話しかけているんだと伝わるように。


「どうしてって、バレバレだったぜ? 最近の天谷の挙動、明らかにおかしかったし」

「……そんなに酷かった?」

「そりゃもう。元々人を避けてるような雰囲気はあったけど、あれは度を越してたな。挙動不審って言うか、もはや不審者? なんならちょっと泣いてたし」

「わかった、もういい」


 私の大根役者っぷりを楽しそうに話す彼を制止する。まさかそこまでボロボロに言われるとは思っていなかった。

 なんだか恥ずかしくなってきた。この話はやめよう。


「それで、何の用?」


 仕切り直して本題に入る。

 神楽坂としてもくだらない話をしに来たわけじゃないだろう。


 その証拠に、彼はさっきまでの笑顔を消して真剣な表情を見せた。

 急にそんな顔をされては、私も身構えてしまう。あと、単純に怖い。幽霊が見えると言っても慣れているわけじゃない。怖いものは怖いんだ。


「教室での話、聞いてたよな?」


 教室での話。つまり、今日彼が教室でクラスメイト全員に声をかけていたことだろう。

 そしてそれは、鈴沢に対するあの言葉であることを意味している。


 忘れるはずもない。忘れられるはずがない。

 昔の夢を見てしまうほど、彼の一言は私の心に強く刻み込まれている。


「……聞いてた」

「だったら話は早いな」


 神楽坂はすうっと空中を移動して、フローリングの床に足を着いた。

 その姿を目で追いかける。随分と体の扱いに慣れているように見える。幽霊が体を動かすのに筋力や慣れ必要なのかはわからないけど。

 彼は直立から腰を曲げて、深々と頭を下げた。


「俺の手伝いをしてほしい」


 彼は声を絞り出すようにそう言った。

 苦しみや悲しみ、恐怖といった負の感情がひしひしと伝わってくる。

 神楽坂がどんな気持ちで、何をしたくてそんなことを頼んでいるのかはわからない。

 わからないけど、私の気持ちは決まっている。


「嫌」


 顔を上げた彼は、目を丸々と見開いていた。睨みつけているようなその視線が怖すぎて、逃げるように目を逸らす。人の目を見て話せないのもそうだけど、相手が幽霊であることがその恐怖心を強める。


 呪い殺されるんじゃないかと悪い妄想が働く中、視界の端で彼の体が小さくなったのが見えた。

 今度は床に額を擦り付けんばかりに頭を下げ、土下座の姿勢を取っていた。


「頼む。天谷にしか頼めないんだ」


 今度は私が目を丸くする番だった。

 彼が鈴沢に突き飛ばされて亡くなったことは知っている。もっとも、その可能性が高いというだけで、神楽坂本人がそう思っている程度に過ぎないけど。


 でも、彼の言葉から鈴沢への恨みは感じられなかった。

 鈴沢を憎んでいるのなら、わざわざ遠回しに鈴沢を諭すような言い方はしない。毎日学校に来て、鈴沢の顔を見るような行為には至らないと思う。

 それに、彼の声には怒りよりも悲しみの方が色濃く表れていた気がした。


 だからこそ、彼がそこまで必死になる理由がわからない。

 彼は何がしたいのだろう。断るにしても、その真意を知ってからでもいい気がした。


「理由、教えてよ。それで、気が変わるかも」


 彼が顔を上げる気配を感じて目線を外す。急にこっちを見るの、心臓に悪いからやめてほしい。

 視界の端にいる彼はどこか嬉しそうな、安堵したような様子で、ぽつりぽつりと話を始めた。


「俺は、悠に殺されたと思ってるんだ」

「それは知ってる。聞いてたし」

「だけど、別に悠を恨むつもりはない。俺が何か悪いことをしたなら仕方ないことだと思うし、悠が元々俺を殺したいと思ってたとしても、俺はそれを受け入れるつもりだ」

「それもまあ……わかってる」


 自分が殺されたことを受け入れると言えてしまうのもすごいことだと思う。

 普通、殺されるほど恨まれていたとしても、人を殺すような人間を許してしまう人はいないと思う。ましてや、それが自分を殺した相手なら尚更。


 神楽坂はそれを許そうとしている。自身の非を一身に背負い、相手の罪を見て見ぬふりしてしまう。

 それほど鈴沢のことが好きなのか。それとも、それが神楽坂昇太という人間の本質なのか。

 どちらにしても良いやつが過ぎる。甘過ぎると言うべきか。私はそれが正しいとは思わないけど、神楽坂の決断に口を出す気はない。


「それで、神楽坂は何がしたいの? 私に何を手伝ってほしいの?」


 神楽坂の気持ちを知れば知るほど、そこがわからなくなる。

 ちらりと視線を送ると、彼はこくりと頷いた。


「俺は知りたいんだ。本当に悠が俺を殺したのか。そうだったとしたら、どうして俺を殺したのか」

「やっぱりわからない。理由を知ったところで、神楽坂の気持ちは変わらないんでしょ? 鈴沢が本当にあんたを殺したってわかったとしてもただ辛いだけじゃん」


 理由を知って、はいおしまい。それで満足です。なんて、私には理解できない。

 世の中には知らない方が良いことだってある。幽霊が見えることだって同じだ。知らなくていい世界を知ってしまうことで、傷付いてしまうことだってあるんだ。

 そんなの、私は納得できない。彼の探偵ごっこに付き合うために自分の意思を曲げるつもりはない。


 彼は私の言葉に納得したのか、黙り込んでしまった。

 真っ暗な部屋で静かな時間が流れる。私はじっと彼の口が開くのを待っていた。


 しばらくして、彼は噤んでいた口をゆっくりと開いた。


「……俺は知りたいんだよ」

「だからそれは」

「なんで俺が死んだのか知りたいんだよ」

「知ってるって。あんたがさっき言っ」

「なんであいつらじゃねえのか知りたいんだよ」


 私の声を無理やり遮って、神楽坂はそう言った。

 金縛りにでもあったように体が強ばって動かなくなった。凍ってしまったような冷たい感覚が全身を包み込む。

 神楽坂の目は、今までに見たこともないほど真っ黒に染まっていた。その声は、今までに聞いたことがないほど低く響いていた。


「俺があいつらを殺すつもりだったのに。どうしてこうなったんだろうな? 俺はなんで殺したいほどあいつらを恨んでたんだろうな? なんで俺が殺されたんだ? 俺は、その理由が知りたい」


 そう告げた神楽坂の表情は、確かな殺意と狂気が入り交じって、酷く歪んでいた。

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