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1.変わった日常と変わらない現実

 世の中は諸行無常だと昔の人は言った。

 全ての物事は常に変遷し、日々変化していく。有為転変や生滅流転とも言われるそれは、正に世界の理で、あるべき姿なのだ。


 そうは言っても、日々の変化なんてたかが知れている。

 毎日学校に来て、退屈な授業を受けて、誰とも話さずに一日の終わりを待つ。変化が生じる方が珍しい。

 物語は起承転結で成り立っていると言うけれど、私の人生には『転』の項目が存在しない。

 生まれて、ただ死んでいく。それが私の物語。

 私はこのまま、だらだらと高校生活を終えるのだと思っていた。


 ある日、同じクラスの男子が交通事故で亡くなった。

 私の人生で初めて起こった目に見える変化。それが同級生の死だなんて思いもしなかった。


 彼の名前は神楽坂昇太。

 このクラスの中心人物で、彼の周りにはいつも人がいた。

 仲の良いクラスメイトは勿論、社交的な彼は誰とでも積極的に話していて、人に好かれる性格をしていたと思う。

 顔も良くてスポーツもできる。勉強は苦手だったみたいだけど、それを補うだけの人望があった。多少頭が悪くても、キャラクター性でどうにでもしてしまうような人だった。

 そんな彼は、男子にも女子にも人気があった。まさにクラスのリーダー的存在だ。


 私は特に仲が良いわけじゃなかったし、彼に好意もなかったけど、それでも良いやつだって印象はあった。


 そんな彼が亡くなった。あっという間のことだった。

 彼のいない教室はとても静かで、彼の存在の大きさを知ることになった。

 あまり関わりのない私には、彼の死を悲しむことも悔やむこともできなかった。


 唯一私に話しかけてくれる男子が亡くなったのに、自分でも薄情だとは思う。

 でも、私に悲しむ権利なんてない。もっと辛い想いをしている人たちがたくさんいるのだから。


 彼がいなくなってしまったことで、もう私に話しかける存在はいなくなった。

 だけど、私にとって──恐らく彼にとっても、互いの存在は人生を左右するほど大きな存在ではない。

 ただ、私の周囲が少しばかり静かになるだけだ。今までと何も変わらない。


 人生に起承転結があったとして、私の人生には『転』の項目が存在しない。

 クラスメイトが一人減ったところで、私の人生は何も変わらない。

 私は、これからもずっと一人だ。


 そう、思っていた。




 神楽坂昇太は、何故か私の目の前に立っている。


 彼が亡くなった日、彼は普通に登校してきた。死んだという話が嘘だったんじゃないかと思うほど、ごく自然に。

 ピシャリと閉じた教室の扉をするりと抜けて、教卓の前で自己紹介を始めた。

 当然、彼の言葉に耳を傾ける人はいない。そもそも聞こえていないんだ。私以外には。


 神楽坂は自己紹介を終えると肩を落として教室を後にした。

 私はそんな彼の背中を見届けることしかできなかった。いや、しなかった。

 あれはきっと幻だ。そう信じることにした。


 翌日も彼は現れた。

 あろうことか、今度は女子更衣室に。

 私は咄嗟に背を向けたけど、私以外には彼の姿は見えていない。

 周囲に気取られないように、私は急いで着替えを済ませた。

 神楽坂はクラスメイトの体を堪能すると、満足気に更衣室を出て行った。窓から。


 今度は幻覚だと思うことにした。私にとって神楽坂昇太がそこまで大きな存在だとは思わないけど、幻覚を見てしまうほどに彼のことを考えていると思う方がマシだった。



 そして今、彼は私の前に立っている。

 ついさっきまで、彼は私の斜め前の席に座って授業を聞いていた。かと思えば、突然立ち上がって、クラスメイト一人ひとりに思い出を語るように挨拶をして回った。


 やがて私の番が回ってきた。

 私は何も見えていないとアピールするために必死に板書した。

 普段は授業なんて聞いていないけど、そうでもしてないと気がおかしくなりそうだった。


天谷(あまや)紫音(しおん)


 名前を呼ばれて体が飛び跳ねそうになった。

 ドキドキしすぎて、心臓が口から飛び出しそうだ。

 一体私が何をしたと言うのだ。こんな思いをするのなら、花や草に生まれたかった。


 神楽坂は「うーん」と唸りを上げながら何やら考え込んでいる。

 私は板書を続けようと思ったけど、彼の体が邪魔で黒板が見えなかった。

 彼を避けようとするのは不自然だ。クラスメイトにも彼自身にも、この事実を知られたくない。

 私はノートを閉じて、授業に飽きたふりをした。

 やがて、何かを閃いたように神楽坂がポンと両手を打つ。


「天谷との思い出って特に思いつかないな」


 思いつかないのかよ!とツッコミたい気持ちを抑え込む。

 彼の言うことはもっともだった。


 私と神楽坂は別に友人関係じゃない。それどころか、神楽坂がたまに話しかけてくれるだけで、私から彼に話しかけたことは一度もない。

 友達のいない私には、彼の存在は頭の片隅に残る程度にはあったけど、彼にとってはクラスにいる無口な女子って程度の認識でしかないのだろう。

 もう無理して話さなくていいから、早くそこをどいてほしい。怖くて仕方ない。


 私の気持ちも知らずに、神楽坂は腰を曲げて顔を寄せた。

 なになに、超怖い。目線がピッタリ合ってしまった。生前でもここまで接近したことはないのに。

 この場から逃げることも目を逸らすこともできず、私は彼の目をじっと見つめた。

 ぼんやりとした輪郭。はっきりとはわからない表情。

 そこに目だけがくっきりと浮かんでいるように見えて、ぞくりと背筋が凍った。泣きそう。


 どうして私がこんな目に遭わなきゃならないんだ。ただ、昔から幽霊という非科学的な存在がほんのりと見えるだけなのに。


 私はずっとこの不思議な力が嫌いだった。

 何気なく話しかけたら幽霊だったりするし。普通に幽霊から話しかけてくるし。そのせいで幼い頃は周囲に気味悪がられたから。あと、単純に怖い。


 とにかく、私はこの力を避けて生きてきた。

 今でこそ幽霊と人間の区別くらいできるけど、やっぱり話しかけるのは怖い。話しかけられるのはもっと怖い。

 人と幽霊を間違えるのも怖い私は、人にも話しかけなくなった。

 そうして今の私が出来上がった。語るだけで悲しくなる人生だ。


 私が過去の苦い思い出に耽っていると、神楽坂はにやりと口角を上げた。私は見えていないふりをしながらも、あまりの恐怖心から咄嗟に目を閉じた。


「やっぱ天谷って美人だよな」


 彼が発したその一言で、私の中にあった恐怖心がどこかへすっ飛んでいくように感じた。

 急に何を言い出すんだ。人を呪い殺しそうな形相で睨みつけていたかと思えばこれだ。

 生前もよくわからない人だったけど、死んでもそれは変わらないらしい。

 恐る恐る目を開くと、神楽坂は腕を組んで難しい顔をしていた。


「でもなぁ、ギャルっぽくて近寄りにくいんだよなぁ。もっと愛想良くしてりゃ可愛げがあるのに」


 余計なお世話だ。どうして死んだクラスメイトにそんなことを言われなきゃならないんだ。

 神楽坂からの別れの言葉はそれで終わりらしく、彼は次の生徒の元へと歩みを進めた。気を張っていたことがバカバカしくなって肩を落とした。


 他のクラスメイトには何かしらの思い出話を語っていたのに、私には第一印象で終わり。まあ、いいんだけど。そこまで仲良くなかったし。わかってたことだし。別に寂しいとか思ってないし。


 恐怖心はすっかり身を潜めていたけど、神楽坂がそこにいるだけで私は気が気じゃなかった。

 早いところ挨拶を済ませて教室から出て行ってほしい。見えないふりを続けるのにも労力が必要なのだ。


 私は授業そっちのけで、目線だけで神楽坂を追い続けた。

 やがて、クラスメイトへの挨拶を終えて、再び私の席へと近付いてきた。

 けれど、彼は私の前の席で足を止めた。残る一人に別れの言葉を告げるためだ。


 神楽坂には生前、恋人がいた。

 鈴沢悠。私の前の席の女子だ。

 小柄で可愛らしい顔。明るくて元気で、天然なところがある女の子らしい女の子。私とは似ても似つかない。

 わざわざ順番を最後に回すくらいなのだから、神楽坂にとっても鈴沢を遺して死んでしまったことに思うところがあるのだろう。


 鈴沢はぼーっと窓の外を眺め、神楽坂の存在に気付くことはない。

 当然だ。彼に気付いているのは私だけ。他の誰にも見えてはいないし、彼の言葉も届かない。

 それでも神楽坂は鈴沢に話しかける。


「辛そうな顔しやがって。悠には笑顔が似合うって言っただろ」


 彼はそう言って笑って見せた。

 彼らの後ろに座っている私は、二人が楽しそうに話す姿を見ていることが多々あった。

 それは友達のようで、それでいて恋人らしくもあって。二人の仲の良さが肌身に伝わってくるようだった。

 人と関わることを避けている私でさえ、この二人の姿は眩しくて、少し羨ましくもあった。


 もしも私に恋人ができるとしたら、こんな関係になりたいと思った。

 たぶん、私だけじゃない。このクラスの全員が彼らの関係を羨ましく、それ以上に好意的に思っていたはずだ。


「俺さ、生まれて初めて付き合ったのが悠だったんだ。遊んでそうなんて言われるけど、これでも一途で真っ直ぐなんだぜ? 本気で悠のことが好きだったし、あのまま一生悠と幸せになれるって思ってたんだ」


 意外だ。誰にでも人気のある神楽坂は、大層モテるらしいと聞いたことがある。

 そんな彼が本気で愛した唯一の女子、鈴沢と両想いになれたのだと思うと、なんだか胸が苦しくなった。

 きっと、彼らは一生涯を共にするはずだったのだ。それがこんな形で終わりを迎えてしまうなんて。


 不意に溢れそうになった涙をグッと堪える。

 見えていると知られたくなかったのもそうだけど、大して仲良くもなかった私が彼を想って感傷に浸るのはお門違いだ。

 生前の彼に対して、私は邪険に扱っていたのだから。


「悠もそうだったらいいなって……いや、俺と同じ気持ちになってくれるように頑張ろうって思ったんだ」


 彼の言葉はいちいち涙腺を蝕む。

 どうして、彼の姿が見えているのが私だけなのだろう。

 どうして、彼女には彼の言葉が届かないのだろう。

 神楽坂のこの言葉は、私じゃなくて彼女が聞くべきなのに。他でもない、神楽坂の恋人だった鈴沢が。


 これ以上耐えられない。神楽坂は笑顔を崩すことはないけど、その言葉一つひとつが悲痛な叫びに聞こえて仕方ない。その笑顔でさえ、彼の必死な痩せ我慢に見えてしまう。

 私はそっと顔を伏せた。そんなことをしても声は聞こえてしまうとわかっていても、これ以上神楽坂を見ていられなかった。


 ごめん、神楽坂。私が弱いばかりに、神楽坂の言葉を鈴沢に届けることができない。

 私は、幽霊が見えるなんて周囲の人に知られたくない。

 神楽坂は私に優しくしてくれたのに、何も恩返しができなくてごめん。自分のことばかりでごめん。

 私はただひたすらに、心の中で謝り続けた。


 先生の声が、時計の針の音が、耳に鋭く飛び込んでくる。

 視界を遮ったせいで、耳が余計に敏感になっている。

 シャープペンの擦れる音。チョークが黒板を叩く音。静かな呼吸音でさえ耳に届いてくる。


 そして、そんな私にひとつの声が響いた。



「なあ、悠。お前、俺を殺したよな?」



 時間が止まったかと思った。

 呼吸を忘れ、思考が止まる。

 いつもの優しく温かい、冗談交じりな笑いを含んだような声色でありながら、それは私の心臓に杭を打ち込むように深く突き刺さった。


 思わず顔を上げた。

 神楽坂は変わらず腰を屈めて鈴沢と向き合っている。


 何かの聞き間違いだ。そう思った。

 一瞬居眠りをしていたのかもしれない。感謝を告げたのに、私の頭がおかしな解釈をしてしまっただけだ。


 そんな淡い期待はすぐに打ち破られた。


「俺、悠に何か悪いことしたかな? 俺、悠に恨みを買うようなことしたか?」


 神楽坂の顔は鈴沢の体に隠れて見えない。だけど、それが神楽坂の声であることも、聞き間違いではないこともはっきりとわかった。


「道路に足を踏み出す瞬間、俺の背中には確かに押し出されるような感覚があった。あの時一緒に居たのは、俺と悠。それに真依子、幸哉、笹倉の五人だったよな。そして、あの時俺の後ろに居たのは……」


 それが鈴沢だったとでも言うのか。鈴沢が神楽坂を突き飛ばしたと? ありえない。そんなはずがない。

 彼らのことをよく知らない私でさえ、そう強く否定してしまう。


 だけど、彼はそうだと言っているのだ。恋人であったはずの鈴沢が神楽坂を殺したのだと。

 ありえない。だって、神楽坂と鈴沢は恋人同士で、赤の他人だった私から見ても幸せなカップルだった。


 私が彼らと同じクラスになって十ヶ月近く。後ろの席になって一ヶ月と少し。

 私は時折彼らの姿を目で追っていたけれど、喧嘩どころかいざこざやすれ違いさえなかった。

 神楽坂が鈴沢を一途に愛しているように、鈴沢も神楽坂を愛していた。少なくとも私にはそうにしか見えなかった。


 私の知らないところでは仲が悪かったとか。いや、そんなことはないと思う。

 二人にそんな空気は一切感じられなかった。もしも仲違いをしてしまったとして……私には気が付かなくとも、彼らと仲の良かった人たちには違和感くらいあったはずだ。

 だけど、神楽坂と鈴沢……それに、佐条も笹倉も益田も、いつも一緒にいて、私が理想としていた青春を謳歌していた。


 だったらどうして?


「なあ。悠が辛そうな顔をしているのはどうしてだ? 単に俺が死んだからか? それとも、俺を殺したことを悔やんでいるからか?」


 神楽坂は返答のない疑問を問い続けた。

 彼にもその理由はわからないらしい。

 呼吸が浅く、早くなる。恐怖とは違う、焦燥や疑念に苛まれた心臓は今にも胸を突き破らんと暴れている。

 頭では否定しても、神楽坂がそれを肯定してしまう。


 彼は諦めたようにため息をつくと、身を翻して教室の扉を通り抜けて消えた。

 神楽坂がいなくなった教室で、私は一人目の前の少女の存在に身を震わせていた。



 人生に起承転結があるのなら、その日が私にとっての転換点──即ち『転』の時だった。

 ただのクラスメイトだった神楽坂昇太。彼の死をきっかけに、私の人生は勢いよく歯車を回し始めた。

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