呪紋の話
「~♪~~♪」
灯りもない室内で、小さな影がひとつ、鼻歌混じりに揺れている。しゃがみこみ、床に向かって手を動かしている。後ろから見ればその姿は白い塊にしか見えない。大きなインク壺に指を突っ込み、インク塗れの指を床に走らせる。魔術で加工しているのだろう、新たにインク壺に向かう指にはインクの汚れは付いていない。
「~~♪~~♪」
石造りの床に描かれていく紋様は、この暗闇の中視認できない。それでも描く当人には見えているのか、淀みなくインクを走らせていく。
描くだけなら魔術を使った方が早い。曲線も直線も、演算した方が速く正確に仕上がる。しかし彼は指で描き続ける。
「ほう。呪紋とは珍しい」
背後から突然掛けられた声にも動ずることなく、ただひっそりと溜め息を吐いてから、ハトは振り返った。
「見回りはやり過ごせたと思っていたのだけど」
「不穏な気配がしたのでね」
ガイはゆったりとハトに近付き、描いていた紋を覗き込んだ。暗闇の中、描かれた線の詳細は判らないが、それが何かは予想がついた。
「術式を変換した紋を刻む…ケテルの一部に伝わる術式だが、さて」
塔にはそれを教える者はいない。メジャーな魔術形態ではないし、習得を宣言している者もいない。
「ふふ。私の故郷でも珍しい術式よ。でも先生、貴方は使っているでしょう?」
「碌に授業にも出ていないクセに、見よう見まねというわけか」
暗くて相手の表情など見えないが、ハトにはニヤニヤと嗤う彼の顔が見える気がした。
「本当は習ってみたかったのよ。でも残念。呪紋の授業がないんだもの」
ならば唯一の使い手から盗むしかない。盗みはお手のものだ。
「申し訳ないが、私も我流でね。他人に教えられるものではないよ」
この国では術式はそのまま鉱石に記録する。鉱山の多い土地柄もあったのだろう。呪紋の魔術は周りに雪と氷しかない世界で生まれた。書き記すことで、刻み込むことで術式を保存し伝えていく。情報を紋様に変換する手間はかかるが、一種の芸術とも言える。
「君が極めて教えるのはどうだ?」
「教えるのは苦手よ」
すい、と手を動かして、ハトは呪紋を完成させた。
「それで、どんな術式を描いたのかね?」
「………」
ハトは口を噤んで立ち上がった。膝を払い、屈伸をする。
「読み解いてみて」
おやすみなさい、と続けながら講師の横を通り過ぎた。
どうせバレてしまったのだ。何の呪紋かも彼ならばすぐに解るだろう。その前に、と。ハトは優雅に、しかし足早にその場を去った。
翌朝には呪紋は消されているだろう。暫くはこの講師に見付からないよう努めなければならない。念の為、お説教用のハトリを準備しておこうと決めた。




