かたきの話
目があった瞬間、身体が芯から凍るようだった。
全く知らない人。半分焼け爛れた痕が残る顔も、煮え滾るような憎悪を浮かべた瞳も、覚えはない。覚えていてはいけない。震えが全身に及ぶ。呼吸が荒くなる。視界が端から黒くなっていく。吐き気が。
「フィア!」
隣に居たのは誰だったっけ。叫んで、身体を支えてくれる。だけど私はそれ処じゃなくて。
──思い出したらいけない。
折角、×××が整理してくれたんだから──
脳の奥底の言語化出来ない部分で何かが囁き、私は意識を手放した。
「………え、と」
「フィア、大丈夫かい?」
小さな呟きに慌てて傍へ寄る。塔下街の往来で突然倒れてから、塔に運び込む事も出来ず近場の宿を借りて寝かせていた。
「…ぁあ、そっか。ちょっとダメみたいだ」
「………フィア?」
その様子は何処かフィアらしくない。覗き込めば、彼は少し辛そうにはにかんだ。
「ごめんね、驚かせちゃったよね」
「確かに驚いたが…今程じゃない…君は…」
心音の速まりを覚える。脳が空回りする音が聞こえるようだ。開いた目蓋は帰ってこない。
ひょっとして。もしかして。いや、恐らくは。
「久し振り。大きくなったね、ルエイエくん」
開いたままの瞳から涙が流れた。滔々と。ただ滔々と。彼は少し驚いた後、困った顔で頭を撫でてくれた。
「大丈夫、ルエイエくん。君の所為じゃない」
「いいや。いいや。君を再構成させてしまった。僕が守ると約束したのに。また君にっ、君をっ、求めさせてしまった…っ」
きっかけが何であったかは解らない。本当に突然だった。何かを僕は見逃した。気付けなかった。一緒に生きようと言ってくれたフィアが、あんな重荷を背負わされても逃げなかったフィアが、逃げ出してしまうような事を。僕は見逃した。
「違うよ、ルエイエくん。違うんだ。これは組み込まれたプログラム。もしもの時は私を再構成するように、私が仕込んでおいたんだ。フィアが逃げたんじゃないんだよ」
「…もしもの、時?」
「そう。お互い死を確認したわけじゃなかったからね。いつか出逢う可能性があった」
何の話か解らない。今はただ、涙を拭って冷静を取り戻すよう努める。
「話したよね。私が生まれた理由」
肯きを返す。両親に殺されかけた、両親が自殺してしまった。その心的苦痛から逃れる為にフィアは休眠した。その間身体を生かす為の別人格。それが目の前の彼。役目を終えて消えた筈の、僕の初恋の相手。
「それの、原因」
「力の暴発が多くて、村に居られなくなった…と」
「そう。お金持ちの家の息子を殺しかけちゃって」
ひとつかふたつ程度年上のヤンチャな少年だったらしい。無理矢理腕を引かれて、振り解こうとしたら『攻撃』してしまった。半身に大火傷と幾つもの深い切傷を負わせてしまったという。
「…それは……」
幼子が起こした事故とはいえ、傷害事件である。村に居られなくなったのは当然だ。
「危ないから殺そう、って、村で話をしてたみたい。だから、家族揃って逃げ出したの。逃げ出したはいいけど、結局死を選んじゃったんだけどね」
相変わらず彼は軽く端的に過去を語る。
「あんな大怪我だったしもう死んだかなと思ってたけど、被害者生きてたみたいで。さっき、逢っちゃったんだ」
記録が記憶に戻るには十分な衝撃だろう。それを危惧して、もしもその『原因』の一因に逢ってしまった時、彼が再構成されるようにしてあった。
「互いに幽霊に会った気分だと思う。あっちも多分フィアは死んだって聞かされてたと思うし」
恐らく死ぬだろうと予想していたものに対しても「もしも」の対策をしてあった。やはり、フィアを護ろうとする意思に於いて彼を上回るのは難題だ。その為だけに存在する者なのだから。
「でも、私が出てきたのは一時的なものだよ。次に寝て目覚めたらフィアに戻ってる。どうして倒れたかは一切忘れている筈だけど」
だから、後は宜しくね と。そう言って彼はベッドに身体を戻した。
「本当は私が対処する予定だったけど、フィアにはもう、君がいるもんね」
「……え、と?」
「フィア、起きたかい」
何だか呆っとしている。見慣れない景色に知らないベッド。
「先生…あの……」
「此処は塔下街の宿だよ。調子はどうだい?立てるかな」
「あっはい」
ベッドから身を起こす。身体に異常は無さそうだ。
「突然倒れたから吃驚したが、見た限り問題はなさそうだ。疲れが溜まっていたかも知れないね」
「あっ、これはご迷惑を…」
「いいや。連れ出したのは僕だ。タイミングが悪かったな。本当に申し訳なく思う」
心底すまなそうにする先生に慌ててしまう。いつもの謝り合いになってしまった。
「さて。僕はこれから暫くは少し忙しくなる。その分今日は此処でゆっくり過ごそう」
やんわりと微笑む先生に察してしまった。
「……先生」
「ん?」
何もない顔で返事をされる。私の顔を見て、少し表情が変わった。先生…いや違った。今は違う。
「ルエイエくん」
名前を呼ばれて、明らかに戸惑っている。でも私は怒っている。
「私は、一方的に護られるのは嫌だと伝えました」
「そうだね、聞いている」
目を大きくしてはいるが、淀みなく返してくれる。どこまでも隠し通すつもりなのが許せない。
「私がどうして倒れたか、ちゃんと覚えています」
「……それは……どうして?」
「私が昔、暴発で傷付けてしまった人…彼に偶然、逢って。目が合って。思い出したらいけないって、声が聞こえて」
飲まれそうになった。でも、忘れてしまっていいわけがない。今でもあんなに酷い痕が残る怪我を負わせたのは私なんだから。
「必死に抗って、消されないように。憶えておけるように」
「……そうか」
「だから、償いも、私が考えるから。出来たら支えて欲しいけど、なるべく援けて欲しいけど、でも、代わりにやって欲しくなんかないんです」
「………そうだね。解った!申し訳なかった」
ワガママにワガママを重ねて怒る私に、ルエイエくんはしっかりと頭を下げた。
「………」
下げられた後頭部をじっと見つめる。
「……恋敵が自分とか、複雑が過ぎるんですけど」
「えっ?」
「なんでもないです!!今後気を付けて下さい!」
「わっ!?あ、ああ…」
上げられそうになった頭を抱き抱えてワシャワシャに乱す。正気じゃないな、と我ながら思った。
ああもう、全部忘れてしまいたい!忘れて欲しい!…なんて。そういうのは、思うだけでいい。




