延期のいちじつの話
「おいフィア、今日の予定だが── どうかしたか?」
「あっ、いえ!」
フィア、と当然のように名前を呼ばれる度にムズムズする。『ルエイエの弟子』と呼ばれる事に慣れてしまっていた。そうだ。最初は名前を呼んで貰っていたのだ。
「はい、今日の予定は?」
「…大丈夫か?まあいい。今日はおまえは休息日だ。ゆっくり休め」
「えっ!先生は?」
「ぼくはまだやる事がある。それより、もう『先生』じゃない。そろそろ呼び方を改めろ」
「ぐ……」
何度か言われているが、どうしても「先生」と呼んでしまう。30年以上使い続けた呼び名を改めろと言われても無理がある。諦めて欲しい。
「スナフ、さん、こそ、休んだ方がいいです。エリスさんも来たし、ノイチェさんも手伝ってくれてます。少しは…」
「そうよぉ。ふたりともおやすみになさいな。一日くらい大丈夫よ」
私が居るもの、と胸を張る魔女。いつからそこに居たのだろうか。スナフ先生は顔を顰めている。
「偶には街に出て土地に慣れないと。師の言うことは聞くものよ」
深い深い溜め息の後、先生は「わかりました」と魔女に背を向けた。魔女は満足気に微笑んで私に封筒を差し出した。
「お茶菓子の買い出しだけ頼んでいいかしら。スナフ君も連れて行ってあげてね?」
「あ!はい!」
封筒の中身は買い物メモと資金だった。
「先生、やっぱり先生は先生でいいと思います」
講師ではなくなったとしても、攻性術の師である事に変わりはない。
「もう好きにしろ」
色々と諦めモードらしい先生はそう言ってフンと鼻を鳴らした。
「はい。じゃあデートに行きましょう」
ウンザリ顔の先生を引き摺って街へ出た。
「おや!お兄さん格好良いねぇ!これオマケしとくよ!」
「は~役者さんかい?え、環境局の人?勿体無い!お代はまけとくよ。イケメン割引だ!はっはは!」
「ひっ……ど、どうぞ~~お先にぃ…!(やだ!見た今の人!?人!??)」
「………顔が良すぎる…」
「何を今更」
これだけちやほやされて育ってきたのならこの性格は仕方ないのかもしれない。それはそれとして鬱憤が溜まった。
「顔が良いと得!!」
オマケは付くし謎割引も付くし順番待ちも譲って貰えるなんてそんなバカな。顔だけなのに。この先生顔だけなのに!!
「まったくムダに色んな店回らせやがって。嫌がらせだろう。しかも人気店で列が出来るようなものまで」
列すっとばしたんですけどね!
「まぁ、まぁまぁ。私だけだと並ばなきゃいけなかったんで、助かりはしました」
「感謝は素直に伝えろ。終わったなら戻るぞ」
「えー!折角ですからどっかで食べてきましょうよ~」
「菓子持ってか?」
言われて手元に視線を落とす。そこそこの量だが、寄り道出来ない程ではない。もう一度視線を先生に戻す。
「一旦戻る。もう一度出ればいいだろう、大した距離じゃない」
「!付き合ってくれるんですか?」
「飯を食べに行くだけだ。いつも作らせてるからな。偶には奢ってやる」
塔は崩れたが、魔術師協会は宰相が引き継いだ。現在の魔術師協会の長は魔女ではなく宰相だ。終末を遠ざける為の特別チームには協会から支援金と給料が支払われている。講師ではなくなっても、先生は変わらず高給取りだ。今や私も同僚ではある。他国域に在っても、私たちはコクマの魔術師なのだ。
「ノイチェから聞いたが、じきに執行部が召集されるらしいぞ」
「このチームに?」
先生は肯く。執行部は道を外れた魔術師を取り締まる機関だ。倫理監査局の管轄にある。
「各国に散ってるからな。手足としては使い勝手がいい」
腕のいい魔術師も残っている。
「ただトップが宰相に変わった事で、どれ程従えられるかは問題だな」
魔術師相手ならまだ魔女の方が求心力があるらしい。協会の長は代々実力も抜きん出ていた。宰相は中の中くらいらしい。
それはそれとして、食事中なのに先生はよく喋る。内容は業務報告のようなものだが、いつもは黙々と食事をしているのに珍しい。
「…先生、ルルイエさんの事どう思ってるんです?」
「『魔女』。…いきなり何だ」
「いえ別に」
先生は魔女の前では調子が出ない。借りてきた猫のようだ。嫌っている…のとは違う気がする。それに、師として扱ってはいる。
「おまえこそ、随分親しげじゃないか。どうして知り合った?」
それは別の世界で──と言いかけて思い直す。その説明は既にしてある。その上でどう知り合ったか聞かれているのだ。
「ルエイエ先生のお手伝いをしている時に。『何処』で会ってもすぐに私の状況を察してくれるのでお話しし易くて」
「ハッ。魔女が話し易いなんて言う奴はおまえくらいだ」
最初こそ怖い印象があったが、実際会ってから私は一度も意地悪をされたことはないし親切にして貰っている。とは言えスナフ先生が苛められてるのは知っているので何とも言えない。
「先生は…皆が生きてる世界の話、興味有りますか?」
「ない。虚しいだけだ」
迷いなく断言した。それからすぐに、少しだけ「しまった」という顔をした。
「…おまえが話したいのなら、聞いてやってもいいぞ」
その虚しい記憶はひとりで背負うには重荷だろう、と。本当に聞きたいわけじゃなく、これは優しさなのだろう。
私はその記憶があるから生きていけると思っているが、今を生きる内にその記憶は薄れていってしまう。夢になってしまう。だからこの私の内にしかない記憶を誰かと共有しておきたい。バックアップをとっておきたい。
「そうですね。じゃあ、聞いて貰えますか?」
折角のおやすみを教え子のメンタルケアに費やさせてしまう事に申し訳なさを感じつつ。優しさに甘えて、私は『虚しさ』を一部分吐露した。




