泣き虫竜と夢を喰らう虫 1
マンガを文章化。
樹歴865年
──オォン、オオオオォン…
岩山にこだまするその音は、竜の泣き声だと言われている。サラサラと霧のように降り続く雨は涙なのだろう。
『嘆きの雨域』と呼ばれるその一帯は年中雨が止まず、厭世家の竜が棲むとされる。地元でも「立ち入ってはならない」と伝えられている地帯だ。竜の真偽は判らずとも、滑落と地崩れの危険がある。
「クッソ、しつけぇ!」
そのすぐ傍。雨はないが嘆きの声は聞こえる範囲の岩地を、少年が息を切らせて走っている。チラチラと振り返っては悪態を吐く。追いつかれるまでの時間を僅かながらにも稼ごうと、少年はしっかりと振り返り地に手をつく。間もなく地が隆起し、道を塞ぐ壁を作り出した。他所の魚であれば、精々エネルギーをぶつけて岩肌を崩し道を塞ぐ事しか出来ないだろう。少年の属する群は賢く、力任せではない『術式』を編み出していた。
しかし、追手もまた少年と同じ群の者だった。しかも上司…群のボスである。少年の作り出した岩壁は呆気なく砕かれ、いよいよ声が届く程距離を詰められた。
「待ぁてラツィー!下克上狙ってたんだろぉ!?相手してやるって言ってんだよ!」
「バカ言え今じゃねー!こども相手に大人気ねーぞイオフィ!」
必死で逃げるが、この先は嘆きの雨域だ。追い詰められたも同然である。
「なぁにが『こども』だ!裏でコソコソしやがって!てめぇの所為で計画がパァだ!!」
イオフィは怒り心頭のようで、後方からラツィーへと幾重にも矢状のエネルギー塊が撃ち込まれる。流石に背を向けたままでは避けるのは難しい。なんとか躱しつつも振り返る。
「コソコソしてんのはてめーの方だろ!北の蛮族と繋がってんのは知ってんだよ!」
北にテリトリーを持つ群は好戦的で、イオフィの群も何度か交戦を余儀無くされた。氷雪地域の群は侵攻の必死さが違う。なんとか追い返しているが難敵である。ボスは自分の群とテリトリーを守る責がある筈だが、イオフィが敵と通じているとなれば、群が取り込まれる危険を無視できない。全くの独断で秘密裏に北と繋がりを持ったイオフィを、ラツィーは信用出来なかった。
「とにかくテメェはここまでだ!大人しく死ね」
イオフィが強力な攻性術式を組み上げていくのが解る。ラツィーは流石にここまでかと冷や汗をかいた。イオフィが手を振り上げ、エネルギーを解放しようとした刹那───
───ぎゃおぉぉおおぉぉ
「ぎゃあぁぁぁ!?」
竜の咆哮はイオフィを貫いた。落雷である。
「───は…?」
雷雲などなかった。唐突な落雷。それはイオフィの足場をも砕き、崩落させた。数多の岩片と共に谷底へ落ちていく彼を、ラツィーはただ呆然と目で追った。
ふと視線を感じて振り返る。岩山の高みに、冷めた目でこちらを見下す竜の姿があった。
****
「最初に再度念押ししておくが」
応接室には6名の人間がいる。その内のふたりは、この国の王と宰相だ。
「これは国から…そして陛下からも個人的に…内密な『お願い』だ。受諾・拒否に関わらず他言無用を約束して貰いたい」
机を挟んで向かい合うのは3名の女性たち。其々に外見的特徴は大きく異なるものの、不思議と似通った雰囲気を持っている。
「眠鬼の口の堅さを信じているよ。忘却の魔術など効かないだろうしね」
集められたのは塔に在籍する眠鬼たちだ。講師であるケミオとユニ、学生のハト。ケミオは首を傾げるような仕草で薄く微笑んでいる。ハトは自分が呼び出された意味が解らず、ユニやケミオ、そして宰相側の背後に立つ見知った人物へ幾度も視線を向けていた。
「オブシディマス隊員を通して君たちを呼び立てたのは、こんなことを頼めるのが君たちしか居なかったからだ」
他意はないよ、と宰相は掌を見せる。
ケミオは目を伏せ、笑みを潜めた。
「国が眠鬼を頼るなどあってはならぬこと。ですがそれ故興味が湧きます」
内容を伺いましょう、という言葉に宰相は小さく笑みを作る。それも一瞬で、表情を引き締めた宰相は人差し指の腹で口許を隠すようにしながら口を開いた。
「では本題に入ろう。我が国と国家守護獣との契約が危機に瀕している」
一度そこで言葉を切る。眠鬼たちは平然と続きを待っている。誰にともなくひとつ頷いて宰相は話を続けた。
「コクマの竜は記憶を失う病に罹っていてね」
ハトはコテンと頭を傾ける。
「痴呆?」
「ちょっと違う」
千を超えて生きる竜はその膨大な記憶を一部ダァトに保管している。が、それを侵蝕するものに寄生されているらしい。
そこまで聞いて、ユニはその人形のように整った顔を忌々しげに歪めた。
「虫…」
「?」
ユニの珍しい様子と聞いた事のない単語にハトは再び頭を傾けた。
眠鬼たちはそれを、ただ『虫』と呼んでいる。ダァトに棲む記録喰らい。夢喰。眠鬼にとっては、楽しい夢の園を喰い荒らす害虫だ。
「どうやら契約当初からその虫に蝕まれていたみたいだが、今迄は初代の魔術で増殖を防いでいたらしい」
ところが何故か最近、その魔術が急速に効力を失いつつある。
「このままいけば全部喰われるのも時間の問題。そうなれば我が国は守護獣を失う──というわけさ」
宰相は軽々しく肩を竦めてみせる。ユニは険しい表情をなんとかしまい込み、
「虫は眠鬼にとっても厄介です。手を貸す訳には参りませんが──」
末妹に視線を落とした。
「この子が虫を退治する。結果として、貴方たちの竜は助かるでしょう」
半分聞き流し始めた中突然降って湧いたお役目に、ハトは己を指差して講師陣に順々に視線をやった。返される視線からは、この流れからは逃れられなさそうな事だけは読み取れた。
「なかなか慎重だ。いいでしょう。ではオブシディマス先生、講師として彼の補佐を」
「は」
「ハトくんひとりでキーとしては十分かも知れないが、多くて困る事もないだろう。それに彼とハトくんが並べば別のキーにもなり得そうだからね」
王は「なるほど」と小さく洩らす。監視役かと思ったが、宰相の思惑としてはそれだけではないらしい。
「ではお互いに」
立ち上がり、宰相は気怠けなまま退室する眠鬼たちに手を振った。
「良い未来が待つ事を祈るよ」
ワシワシと髪を乱しながらザイは執務室へと戻ってきた。ルルイエはソファから首を倒して疲れた様子のザイを迎えた。
「いやぁ、眠鬼っていうのは噂に聞く以上のバケモノだね」
改めて肺に詰まった空気を入れ替える。
「唯一ハトくんは多少可愛げがあったかな」
それでも多少、比較的、というくらいだ。
「あらやだ。宰相さまはそういうご趣味?道理で浮いた話も聞かない筈ね」
「こどもは嫌いじゃない」
からかう魔女に真顔で返す。
「教育の余地がある、という点に関して言えばね」
応接室を辞し、ゆったりとした足取りで廊下を歩くふたりの講師。その後に続きながら、ハトはぎゅっと使い魔を抱き込んだ。
「ケミオ先生、ユニ先生。私、虫も知らないのだけど、何故私なのでしょう」
するとふたりはポカンとした顔でハトを見た。
「宰相だって気付いていたのに」
憐れみを込めたような瞳でユニはハトの頭を撫でた。ハトにはワケが解らない。ケミオは追従するもうひとりに声を掛けた。
「オブシディマス先生はお解りですよね?」
「竜の記憶に触れた事があるからだろう。もうひとつのキーとやらは解らないが」
「…竜の記憶?」
オブシディマスは聞き返すハトに呆れるでもなく淡々と答える。
「浮いている島に飛ばされた事があっただろう。覚えていないか?」
「………あー」
そんな事もあったかも知れない。
学長の研究中の事故に巻き込まれて、皆でキャンプをした。そんな程度の思い出だ。
塔に戻ると、ユニはしゃがみこんでハトに目線を合わせた。
「それじゃあ、虫退治頼むわね。強っっ力な殺虫剤作ってあげるから一匹残らず根絶やしにしてきてね」
あまりの殺意に思わずハトは言葉を洩らす。
「先生、虫嫌いなの」
「害虫を好きな人、いる?」
瞳孔の開いたユニの笑顔に、流石のハトも毛を逆立てた。




