悪夢の塔の話
寒くなり始めた初秋の夜。時折強く吹く風が、窓に張られた障壁を揺すっていく。大きな老月が照らす室内は、夜とは思えないほど明るかった。
その室内、ベッドに横たわったハトは全身に汗を浮かべ浅い呼吸を繰り返していた。
「ハト、大丈夫…?」
ソーマが呼び掛けても反応は無い。ただ苦しそうに、時折洟を啜りつつ胸を上下させるだけ。
ハトが体調を崩し始めたのは二日前だった。いつも部屋に戻るのは夜遅くなってからのハトが、珍しく早めに戻ってきた。どうしたのかと問うと「ちょっと体調が悪い気がする」と、そうは見えない態度で言っていた。翌日から咳をし始め、今晩遂に熱が出た。医務室には連れて行ったが、先生には「まー風邪だな。栄養取ってしっかり寝とけ。熱は無理に抑えない方がいいんだよ。水分管理だけしっかりな」と言われて部屋に戻されてしまった。
汗を拭って、額を冷やして。ソーマは甲斐甲斐しくルームメイトを看病したが、どうにも快方に向かう気配が薄い。
「………」
幸い明日は休日であるが、無理をして自身も体調を崩すわけにもいかない。決して広くはない同じ部屋にいるのだ。何かあったら気付けるだろう。
「おやすみ、ハト」
時刻は午前0時過ぎ。ソーマはハトの布団を一撫でして、自分のベッドへ潜り込んだ。
カツ、カツ、カツ…
石造りの回廊に、ヒールの音が響く。
塔の外壁は明かりを取り入れる為に大きく開いており、眼下の風景がよく見える。昼でも夜でも、高所から見下ろす景色は絶景だ。名目は学生寮街の巡回だが、ユニは単純に夜の散歩が好きだった。寝静まった夜の街。特に学生寮街は、騒がしいほど溢れかえった夢が漏れ出している。悪戯にそれに触れるのも楽しみの一つだ。
無表情ながらも上機嫌に歩を進めるユニの、手に持つ灯がふっと揺らいだ。
「?」
剥き出しに見える通路は雷や風雨を避ける障壁に覆われてはいるものの、完全に無風というわけではない。灯が揺らぐくらい不思議な事ではないのだが…
唐突に、灯が消えた。
「これは…」
ランプの灯が消えても、今夜は老月が明るい。何も見えないほどの闇は訪れない。
ユニは静かに目の前を見つめる。
通路の奥から黒色の靄がやってくる。真の闇。ひどく暗い、蠢き。
「―――あぁ、」
靄々としたそれは、変質した神の姿によく似ていた。
「そう、かわいそうに」
靄は広がり、ユニをばくりと呑み込んだ。
小さな物音と差し込む微かな明かりに、ソーマは目を覚ました。
「ハト?」
のっそりと上半身を持ち上げる。開いた扉の内側に、長く影が伸びていた。
「ソーマ」
喉も痛めているのだろう。籠った声は若干しゃがれてもいる。振り向きもせず、通路の先を見つめて――
「アレに触れちゃダメよ。消えてしまうわ」
「え?」
パタンと閉じられた扉。
ソーマは慌ててベッドから出ると、ハトを追って扉を開いた。
「…ハト?」
見通しの良い一本道の通路。しかし、左右を見まわしてもハトの姿はない。そんな筈はない。近くの部屋に入ったのだろうか。ハトならそういうスキルもあるかもしれない。
とにもかくにも、先刻まで熱にうなされていたルームメイトがふらふら出歩くのを放ってはおけない。パジャマにスリッパで出て行ったとあっては尚更だ。
最低限に身なりを整え、ソーマは深夜2時過ぎの塔内へと出て行った。




