もう一度
「はあっ……はあっ……」
私は屋上へと続く階段をただひたすらに駆け上がった。昼休みにも校舎中を走り回ったせいか、疲労感はまだ消えてはいなかった。荷物も二人分、決して軽くはない。
それでも私は全速力で走った。
この先に待っているのは、後悔だけかもしれない。もうリンちゃんは私の話を聞いてくれないかもしれない。
それでも、私は足を止めようとは思わなかった。
――行って。あなたの、友達のところへ――
さっきのレイの声が繰り返される。その言葉はとても力強く、私の背中を押してくれた。自分が勝手に諦めようとしていたことに、気づかせてくれたんだ。
これ以上嫌われてしまうのが怖くて。誰にも迷惑をかけたくなくて、逃げようとした。目を背けていたかった。
大事な友達から突然告げられた言葉は私の心を真正面から突き刺すようで、とても痛く、苦しかった。
でも、彼女もまた辛い思いをしていた。そう考えたら自分一人が落ち込んでいるわけにはいかなかった。
だからせめて、もう一度だけ彼女と話したい。
私は屋上への扉を開けた。私を阻むように少し強い風が吹いていたが気にも留めなかった。
彼女はさっきと同じようにそこに立っていた。吹き抜ける風がレモン色の髪をさっと揺らす。
流石にとは思っていたけれどここから飛び降りるなんてことがなくて、少しだけほっとした。
彼女は私が扉を開けた音に気づいて私の方を向いてくれた。
「……」
私を追い返すような言葉は飛んでこなかった。ただ心憂い眼差しが、そこにはあった。
「リンちゃん……」
勢いで来てしまったけれど、何から言えば良いのだろう。伝えることが多すぎてかえって上手く出てこない。
どうしよう……どうしよう……
「ごめん」
最初に出てきた言葉。
あまりにもシンプルな謝罪の言葉だった。
「正直に言うとね、私……リンちゃんにあんなこと言われるなんて思ってなかった。どうして急にいなくなっちゃったのか不安になったけど、また会えたらきっと笑顔で話してくれるって思ってた。だから、悲しかったよ」
彼女は何も言わない。でも、私の話をちゃんと聞いてくれている。それは分かった。
「でもね、私が全部悪いんだ」
私は言葉を続けた。
「リンちゃんに言われてやっと気づいたの。私……知らないうちに調子に乗ってたんだなって。レイに出会えて、知り合えたとき、すごく嬉しかった。リンちゃんが応援してくれたお陰で良い関係になれた。それなのに……リンちゃんとの約束も忘れて……私、最低だったよね」
「どうして」
彼女は流れていく私の言葉を突然遮った。
「どうしてヒナタが謝るの」
「え?」
戸惑いを隠せなかった。彼女は、私に怒っていると思っていたものだから。
「全部……私が悪いのに」
彼女もまた、自身の中に溜まった言葉を流れ出させるように話した。
「私も正直に言うよ。私、氷崎さんに嫉妬してたんだ」
「……!」
「最初は嬉しかった。ヒナタの願いを叶える手助けを出来ることが。ヒナタの『大好き』を私も一緒に好きになれそうで。……でも、何でもできて人気者で、私なんか到底及ばなくて、その上ヒナタと同じ趣味を持った氷崎さんがヒナタの傍にいたら、考えずにはいられなかったの。ヒナタのこと取られちゃうんじゃないかって。その内ヒナタも私のことを忘れてしまうんじゃないかって。それが、すごく怖かった」
「リンちゃん……」
「自分でも、馬鹿なことしてるなって思ったけど……ヒナタに捜しに来てほしかったんだ。私のことを捜してここへ来てくれたら『ヒナタは私の一番の親友だ』って胸を張って言えると思った。また私だけの友達になってくれると思った。だから、来てくれたとき、すごく嬉しかった」
彼女は笑っていた。それは私には心からの笑顔に見えた。自分のしたことを心から悔いるような、とても悲しい笑顔だ。
「だけど、一緒にいた氷崎さんの姿を見たとき、私……」
次の瞬間、彼女の笑顔はどこかへ消え、頬を涙が伝っていた。
「ヒナタは結局氷崎さんと一緒にいるのが一番なんだって。結局ヒナタにとって大事なのは氷崎さんの方なんだって。そんな風に考えてしまったの」
「……」
胸が痛む。
自分が無意識のうちにやっていたことが彼女をこんなにも悲しませて、傷つけていたなんて。
自分が心から楽しんでいる時、彼女は心から苦しんでいたなんて。
「ごめんね……あんな酷いこと言って。私はヒナタと一緒にいたい。その気持ちは変わらないから」
涙交じりの声を耳にした途端、胸をぎゅっと掴まれるようだった。
私がレイの家にいたときも、二人一緒じゃなかった朝も、リンちゃんは、私のことをずっと想ってくれていた。それが嬉しくて、悲しい。
私は大きく首を横に振った。滴が私の周りへと散っていく。
気づかないうちに私も大粒の涙を流していた。
「私もリンちゃんと一緒にいたい。一緒にいるよ」
本気だった。
出会った頃から変わらない、純粋な気持ちだ。
「無理しないでよ。ヒナタは氷崎さんと一緒にいた方が、きっと楽しいよ」
彼女が私に投げかけたのは、優しい言葉だった。でも、その優しさは受け取れない。
「そんなの、私は嫌だ」
私だけが楽しくて、彼女が苦しい思いをして良いわけがない。
「ずっと一緒にいた大切な親友と、ずっと追いかけていた憧れの人。私はリンちゃんのことも、レイのことも、どっちも大好きだから、どっちも大事にしたいの! リンちゃんだけの友達にはもう戻れないけど、それでも、私は一緒にいるよ! あんな風に約束破っておいて、信じて……もらえないかもしれないけど……どんなことがあっても、絶対にリンちゃんのこと忘れたりなんかしないから!」
どうか届いてほしい。
必死になって紡いだ、嘘偽りない言葉。
「どうして……だって、私には、私にはもう何もないよ? バレーだって、きっと氷崎さんの方が上手だし、あのゲームのことだって、私少しも分かんないし。こんな私より、氷崎さんといた方が絶対に良いのに」
「そんなわけ……ないじゃん」
「えっ?」
「馬鹿にしないでよ。これでももう4年は一緒にいるんだよ?」
私は抱えていた荷物を地面に置いた。
────────────────
「!」
目を開くと、視界には一面、白色が広がっていた。
「氷崎さん、良かったです……」
ベッドに横になっていた私にそう声を掛けたのは結城さんだった。ここは保健室だ。
私は、何をしていたんだっけ……
「心配しましたよ……急に氷崎さんが廊下を走ったかと思えば、その直後に倒れていて――」
ああ、そうだった。ヒナタを追いかけて、私は柄にもないことをしてしまったのだ。まさかそれによって今度は自分が保健室へ運ばれる側になろうとは思いもしなかった。
「あなたがここまで運んできてくれたのね。軽くめまいがしただけだから、もう平気よ」
身体を起こし、ベッドを降りようとするも、湯浅先生に押さえられた。
「駄目よ、まだ大人しくしてなきゃ。めまいには色んな原因があって、決して軽い症状じゃないんだから」
「湯浅先生の言う通りです。氷崎さんは……もっと休んだ方が良いですよ」
結城さんの瞳は不安げに私へと向けられる。彼女は不自然なくらいに私のことを気にかけてくれる。今回ばかりは余計なお世話などではなく本当に助けられたが。
「……分かったわ」
身体に疲れがたまっていく一方なのは原因も含めて分かっている。無暗に抵抗せず、私は再び横になる。
「とにかく、あと三十分はここにいるのよ?」
「はい」
医薬品の匂いを振り撒きながら、湯浅先生は私の傍から離れていく。私と結城さんの他に生徒の姿はなかったので、ありがたく休ませてもらうこととした。
「にしても気になるわあ…」
「……? 何がですか?」
答えの代わりに、彼女は身を乗り出すように、一瞬にして私との距離を詰める。
「!」
「どーーしたらそんなに発育の良いJKになれるのかしらっ? 私、羨ましくて羨ましくて」
それまでと打って変わり、彼女の息は荒くなり、瞳孔は怪しい光を放っていた。
「……遺伝です」
「氷崎さん……」




