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私は不向きなことしかない人間かもしれない

作者: itaru

 会田仁美かいた ひとみは寝る前でなく、夜のシャワーで打ちひしがれるタイプの人間だ。


 シャワーの時にふとしたことが思い浮かんでは消えていく。だから彼女のシャワー時間は長い。

 そしてそのこと自体が、シャワーに入ろうと思い立ってから、実際にお風呂場に入るまでの時間さえも長くさせている。


 仁美は、とある IT 系企業のプログラマとして勤め 3 年目になる。新型コロナウイルスの影響でリモートワークとなり、今週はいつもよりシャワーに入る時間が早い。


 洗う順番は決まっている。たとえ考え事をしていたとしても、2 度もシャンプーをしてしまうようなミスはしない。

 しかし、今日はシャンプーを終えた後、自分が本当にシャンプーをしたのかどうか確信が持てなかった。


 仁美はここのところ、シャンプーだけでなく、仕事でも家事でもそうした気分になる。自分の意識がモヤの中に包まれたまま、時間だけが過ぎていくかのように。まるで自分が自分を操縦していないかのように。


 トリートメントを長い髪の毛につけながら、仁美は今の仕事について考えてみた。


 仁美の場合、プログラマといっても実際プログラムを書いている時間より、会議や調整、進捗管理アプリケーションの更新、社内チャットを触っている時間の方が多い。

 とりわけプログラマはコミュニケーションの苦手な人が多い。

 その中でも仁美は比較的接しやすいため、別部署との調整的な役柄が多くまわってきてしまう。


 でも仁美は今の仕事に不満はない。プログラムを書くのが特段好き、というわけではない。


 しかし、過去のどの時点かハッキリ言語化はできないけども、仁美には職人的な仕事が向いているのではないかという想いが心の片隅にずっと停泊している。


 仁美の言う職人的な仕事というのは、もっぱら自分が創り出す対象と向き合い、創る技術を極めるというプロセスによって、調整力やらコミュニケーション能力やら人脈の多さなどの煩わしい部分が欠如していても、ある程度許される人間へと転生していけるという類の仕事だ。


 -----


 長いシャワーから出て、仁美は一切自分の更新はしない Instagram を開き、他人のストーリーズをチェックしていた。


 まるでベルトコンベアに乗っている商品に、ちょっとした手を加える流れ作業のように他人のストーリーズを流し見し、指でのタップが 10 回超えたあたりで大学時代の友人のストーリーズにたどり着いた。

 薄ねずみ色をしたマットな単色の背景に、少し赤みがかった茶色の文字で


「自分を愛せる人間が他人をも愛せる」


 といった意味の英語が、ちょっとしたディナーコースのメイン料理にかかっているソースのように、手書きタッチでかつ線が一定の細さではない字で書かれていた。


 当時バカにしていたものの、彼女は恥ずかしげもなくインスタグラマーを気取った投稿を大学時代から続けているので、仁美は今や彼女のこういった投稿を見ても気持ちがザワついたりはしない。


 仁美は、「自分をまず愛すこと」「自分を信じること」「ありのままの自分がもっとも美しい」のような女性向けの名言に勇気づけられたことはなく、むしろ嫌悪感さえ感じてしまう。


 -----


 仁美は次の日もなんとか早めの時間にシャワーを浴び出すことができた。


 髪につけたシャンプーを流している時、自分が職人的な仕事 - 仁美が向いていると個人的に考えている - に就けるようにはまだ動けていない事についてふと考えた。


 もし自分を信じ、職人的な仕事をやってみても、本当は向いてなんかいなかったら?


 仁美が女性向けの名言に嫌悪感を感じるのは、どの名言も「自分はもともと素敵な人間なんだ」という前提に立っており、その前提は間違っているかもしれないと考えてしまうからだ。


 そう考えた時、急にシャンプーを流す手の感覚が、自分の頭皮にリアルに感じられた。


 向き不向きは誰しもある、という前提が間違っていたとしたら?

 不向きなことしかない人間も存在するとしたら?

 不向きなことしかない人間が自分だったとしたら?


 自分は、あらゆることに不向きかもしれない。


 だとしたら、自分が他の人間よりも積み上げてきた事のみで戦うしかない。

 だとしたら、早く積み上げ始めなければならない。

 だとしたら、高く積み上げなければならない。


 シャワーから出ると、仁美のあらゆる感覚は仁美に戻っており、仁美の操縦席には仁美が座っていた。

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