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早足で居なくなってしまったローザの後ろ姿を見送ってから、さて次はどこを訪問しようかと首を傾げた一行の耳ににわかに騒がしい音が聞こえてきた。
誰かの溌剌とした声はどうやら階下から響いているようで、声のする方へと足を向けた先の玄関ホールには、黒いローブを頭からすっぽりと被った似た背格好の小柄な二人の人影がある。
玄関ホールのテラスから身を乗り出して階下を見下ろしたアッシュは瞳を丸めた。
「おーい双子! 今日は国境の侵略軍おさめに行ってたんじゃないのかよ!」
そのアッシュの問いかけに、きゃいきゃいと二人で楽しそうな声をあげていた人影は揃ってパッと上を見上げた。
揃いのルビーのような真紅の瞳がまっすぐに三人を射抜いた。
黒のローブに隠された髪は朝露に濡れる蜘蛛の糸を思わせる白銀だ。ふくふくとした、男女の境も曖昧なような年頃の、鏡合わせのようにそっくりな二人は十を数えたばかりに見える。
ニーナとパトリシアは予想外に幼い二人に目を丸めた。
「あれー、知らないお姉さんがいる!」
「アッシュ……。流石に女遊びが過ぎても王城にまで引っ張り込むのはさ……」
高い声をあげて嬉しそうに顔を輝かせた片割れと、呆れたようにまるい瞳を諌めた片割れ。アッシュは、ちげーよ、新しい魔法使い! と慌てたように弁明をしながら一階へ続く螺旋階段を降りていった。ニーナとパトリシアもそれに続く。
この双子の言を信じるなら、やはりアッシュの女癖はとことん悪いらしい。パトリシアはますます胡乱げな視線を目の前の男に送る。
双子がアッシュの言葉にきょとんと目を丸めてパトリシアを見た。
「ほんとだ! このお姉さん魔法使いだ! わーい後輩だ後輩だ!」
「こっちの人は……シスター? 魔法使いじゃないよね?」
じろじろと遠慮なげな好奇に満ちた視線を送る双子に、パトリシアはかつりと前に出ると丁寧な所作でスカートの裾を持ち上げ礼をする。
「はじめまして。パトリシアと申しますわ」
「私はニーナと申します。こちらのお嬢さまの従者としてやって参りました」
にこりとニーナが微笑むと、ふたりは揃いの仕草でぽんと手を打った。そして俄然興味がそそられたのか、てくてくと近づいてくるとニーナとパトリシアの周りをぐるぐると回りながら口を開く。さながら大きな黒いてるてる坊主に包囲されてるようで、ふたりは目を回した。
「あのねーあのねー、ルルはルルっていうの! お姉ちゃんなの!」
「おれはロロ。ルルはお姉ちゃんぶるけど、おれたちどっちが先に産まれたか分かんないんだ。でもルルがお姉ちゃんって言うからおれは弟だよ」
「そ、そうなの。でも一旦止まってもらえると……、目が回ってしまうわ」
「あ、ごめんね!」
くらくらとふらつくニーナがそう言うと、双子はその場でピタッと止まった。それからおもむろにフードを取ってにっこりと笑う。
ルルとロロはふたりとも同じくらいであろう胸下あたりまでの長さの銀髪を、ルルは耳の横でふたつのおさげに、ロロは下の位置で後ろに一つ結びにしていた。きっと髪を下ろしていたならどちらがどちらかいよいよ分からなくなってしまうこと請け合いだろう。
ふたりは仲良く手を繋いでじっとニーナとパトリシアを見上げている。ひとり蚊帳の外だったアッシュがわざとらしく咳払いを落として、それで、と言い募った。
「ルルとロロは今朝からしばらく国境の制圧だったろ? なんでもう帰って来てるんだ?」
アッシュのその言葉に、双子はそっくりの顔でムッと眉根に皺を寄せる。
「それがねー聞いて、酷いんだよ! ルルたちせっかく久しぶりにお外で遊べるって思ったのにねー!」
「突然ルイスが来てさ、一瞬であたり全部一掃しちゃった」
「それにねそれにね! ルルとロロ置いてそのまま転送魔法で帰っちゃったの!」
「どうせならおれたちも連れて帰ってくれたら良かったのに」
「おかげで行きと帰り合わせて四時間ずぅっとお空飛んでるだけだったんだよ!」
「おれはルルと色んな街や森見ながら飛ぶの楽しかったからいいんだけど」
「えー! そんなのルルもだよー! でもでも、やっぱり酷いよルイスー!」
口々に不満を募らせる(後半はそうでもなかったが)双子は、最後はそう言うと、ホールに設置された革張りの長椅子にばっと目を向けた。
つられてそちらに目を向けると、長い脚を組んで手元の分厚い本を熱心に読み耽っている男が、いつから居たのか、あるいは最初から存在を消していたのか、そこに居た。男は自分に場の集中が向いたことに露骨に面倒臭そうなため息をついて、パタンと手元の本を閉じる。その風圧で男の黒い前髪がふわりと揺れた。ゆっくりと男は顔を上げる。
その瞬間、ニーナの胸でドクンと激しくナイフで突かれたような衝撃が走った。
人形のような中世的な美をたたえた端正な顔立ち、光の加減で色を変える艶やかな烏の濡れ羽色の髪、吸い込まれるような鈍い光を秘めた不思議な金の瞳、それはまさしくニーナが庭園で出会った黒猫の魔法使いであった。ドキドキドキと否応無しに心臓が高まっていく。途端にかぁっと頬が赤くなって、ニーナは貞淑な修道服の裾を強く握りしめた。
「おっルイス、今日も相変わらず美人だな〜!」
「アッシュは相変わらず気色悪いね。死んだら?」
「そのゴミ見るような目がたまらねーんだよな〜、ほんと下半身隠したらオレの理想の女だわ〜」
「やっぱりとんでもない変態でしたのね、この男……」
あまりの情緒のかけらもないアッシュの言葉に、突然のルイスとの再会によって熱に支配されかけていたニーナの脳が冷水をかけられたかのように静まり返る。隣のパトリシアが露骨に顔をしかめて、ニーナの手を掴んで二、三歩距離をとった。しかし双子はこんな二人のやりとりも日常茶飯事なのか動じない顔で、むしろぷんぷんと頬を膨らませている。
「ルイスってばどうして今日はルルたちの邪魔したの!」
「邪魔したつもりはないよ。今朝唐突に新しい魔法思いついたから実戦で使えるか試しただけ」
「その唐突に思いついた魔法で一撃で当たり一面焼き野原にしたんだ。困っちゃうよ。一応正式にはおれたちがやったって事にしなきゃいけないのに」
「双子がやってても結果は同じだったでしょ。君たちが遊んだ後は大概クレーターだらけになるんだから」
「むーー!!」
ぽんぽんと繰り出される会話に置いていかれていたパトリシアはそこでハッとして、アッシュから若干距離を取ったままルイスに向き合った。真正面からその美貌に相対した彼女はわずかに息を飲んだ。
「あっあの、ルイス様。私、チェスター男爵が娘パトリシアと申します。昨日付でこちらにやって参りました」
少し緊張したのか、やや固い動作でお辞儀をしたパトリシアに、ルイスはやっとそこで新人が居たことに気がついたかのような愛想のない動作で視線を送る。その時にきっと彼の視界に入ってしまったであろうニーナは身を固くした。またじんわりと手のひらに汗が滲んで頬がかっかと熱くなる。一体どうしてしまったというのだろう。
「そう、よろしく」
しかし彼からは簡潔にそう返事があっただけだった。甘やかなアルトは一瞬耳を掠めただけで、その先の社交辞令も挨拶もない。唖然とするパトリシアを置いて、ルイスは長椅子から立ち上がると本を小脇に挟んでそのままホールを後にしようとする。
ニーナは慌ててその背中に声を投げかけた。
「あの、私はパトリシア様のお付きのニーナと申します……! えっと先日はご無礼を……!」
追いすがるようにかけたその声に、ゆっくりとルイスが首だけで振り返った。そして頬を真っ赤にした彼女の爪先から頭の先までに視線を巡らせてから、興味もないような顔をして長い睫毛を瞬せた。それだけの動作に胸の鼓動がまた早くなっていく。
「キミ魔法使えないよね」
しかし彼から返ってきたのは予想外の言葉だった。ニーナは当惑する。
「は、はい……。私はただのお付きですので……」
「じゃあ魔法使えるようになったら言って」
「えっ」
彼はそれだけ返すと今度は一度も振り向かないまま去って行ってしまった。取りつく島もないその様子にニーナは胸に抱いていた浮ついた気持ちがしゅるしゅると萎んでいくのを感じた。アッシュが困ったように、あちゃーと頭をかいた。
「その……とてもうつくしい人でしたけれど、とても無愛想な方ですわね」
「まぁ稀代の天才だからアイツは。魔法以外興味ないっていうか、魔法使いになるために生まれてきたっていうか」
「魔法以外、興味がない……」
ニーナは呟くように復唱する。
「あのねー、あのねー! ルイスって凄いんだよ! 魔法石発明したのってルイスなの!」
「おれたちよりも年下の時に発明したんだってさ」
「ま、そんな訳でちょっととっつきにくいけど悪いやつじゃないから! 天才だって鼻にかけてるとこもないしな。魔法に関する事なら大体あいつに聞けば分かるぜ。まぁ教えてくれるかは別として……」
「なんだか、浮世離れした方ですわね。あんなにうつくしい方ですもの。乙女なら是非ともお近づきになりたいけれど、なんだか難しそうね。ねぇニーナ。……ニーナ?」
呼びかけるパトリシアの声でニーナはハッと我に帰る。
「そ、そうですね。お近づきになるには……少し難しそうな……」
そう曖昧に答えながらも、ニーナの思考は再び暗い海の底を漂っていた。
魔法にしか興味のない天才。
そうであるならば、魔力をもたない、魔法を使えないただの人間であるニーナなんて、いったいどうなるだろう。
彼にはきっと眼中の外だ。「魔法が使えるようになったら言って」なんて。そんな時は一生こない。だったらきっとニーナは一生彼に話しかける資格すらないのだ。
ニーナはパトリシアのためここにいる。そうなのに、どうしてうつくしいあの人の目に止まらなかった事がこんなにショックなのだろう。ニーナにはいくら考えても分からなかった。