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「うわあああああ光だあああああ眩しいいいいい」

「うるっせえ! うっわ埃くさっ! いつから掃除してないんだお前!」

 途端に目の前でドタバタと始まった乱闘に、ニーナとパトリシアは目を丸くする。

 アッシュに連れてこられた部屋の前で、今度は彼は扉をノックすることもせず観音開きの扉を勢いよく開けた。その瞬間、むわっと煙のように立ち上った埃と煤に彼女らは大きなくしゃみとともにむせ込んだ。室内は暗く、僅かに締め切られたカーテンから覗く陽の光だけが僅かに室内の輪郭を灯す。ガタガタガタッと大きな物音を響かせて、部屋の中で何者かが転倒した。ニーナとパトリシアはキャッと声をあげるとお互いに手を握り合って身を寄せる。アッシュが呆れたようにため息を零して、パチンと指を鳴らすとパッと室内に灯りが灯った。

 そして、先ほどの絶叫である。


 アッシュに首根っこを掴まれブランブランと揺すられている妙齢の男は、ボサボサに伸びきった煤色の髪と、チョンチョンと貧相に伸びた髭を纏った血色の悪い男だった。その瞳は長い前髪に隠れて見えない。麻布に穴を開けただけのような簡易な服を纏った姿は、どこかのホームレスと言っても信じてしまうだろう。ひええええ、と情けない声をあげながら目を抑え、彼はアッシュの手から逃れようと力なくもがいている。

 部屋の中一帯には古びたかび臭い本が所狭しと積まれており、それは暴れる男の腕や足が当たっては雪崩のようにガタガタと崩れ落ちていく。まさに地獄の様相を呈していた。庶民のニーナでさえ驚いたのだ。煌びやかな世界に包まれて汚いものなど目にすることがないパトリシアなどは目を見開いたまま固まっている。

「あー暴れんな! おまえもう三十路だろ、お客さんだ! 挨拶しな!」

「えっ客!?」

 その言葉にガバッと顔を上げた男にニーナとパトリシアはびくりと肩を震わせる。男が顔を上げた拍子に長い前髪の隙間から僅かに夏の青空のような透けるブルーの瞳を見た。男はまじまじとふたりの姿をてっぺんから足先まで不躾に見て徐々に顔を歪めると、それからひょろりとした体を丸めて小さくなってしゃがみこんだ。

「うわああああ貴族のお嬢様だああああ。ボク恋愛小説で読んだことあるよ。ああいう一見可愛らしいタイプのお嬢様が実は腹黒くってヒロインを陰湿に虐めぬくんだあ」

「なっ……!」

 唐突な暴言に呆気にとられるパトリシアをよそに、ニーナはカッと顔を赤くして憤慨する。なんということだろう。突然見ず知らずの男に優しくて愛らしいお嬢様が勝手な偏見で侮辱されるだなんて。

 あのなぁ、と呆れた表情で頬を掻くアッシュとうずくまった男の目の前にニーナはずんずんと進むと仁王立ちで立ちふさがった。一歩進むごとに足元の絨毯からぶわりと埃が立ち上る。

「ちょっと貴方……!」

 眦を吊り上げて睨みつけるニーナに、おもむろに顔を上げた男はヒィッと悲鳴をあげる。

「うわあああああシスターだああああ。ボク本で読んだことあるよ、こういう聖職者が実は一番腹黒くって汚職に塗れてるんだって!」

「まあ!」

 今度は非難の声をあげたのはパトリシアだった。あちゃー、と額を抑えるアッシュに構わず、男は半狂乱に陥ったように蹲ってガタガタと震えるとその姿勢のまま器用に後ろへ凄まじい勢いで後退していく。そしてうず高く積み上げられた本の山の陰に隠れると、今度は少し気を大きくしたのか震える声で声高く叫んだ。


「ボクは権力には屈しないぞお! 出てけーー!! 貴族主義の奴隷どもーーー!!」

 男が情けなくそんなことを言うと、ピカッと辺り一面に眩しい光が散って部屋に立ち込めていた埃がぶわりと舞い上がった。キャアと悲鳴をあげてニーナはよろめいて後ずさる。部屋の入り口に立っていたパトリシアが「ニーナ!」と焦った声をあげた。アッシュがそんなニーナの肩に優しく手を置く。

 少しして風は収まると、後はもうバサバサと本のページが残った風に煽られて捲られるだけだった。光も消え、唖然と立ちすくむニーナの目の前から男は忽然と姿を消していた。パトリシアが後ろから慌ててパタパタと駆け寄ってきて立ちすくんだニーナの手を握る。彼女はそこでハッと我にかえって心配そうに覗き込むパトリシアを見返した。

「あーあ、逃げられちまったなあ」

 アッシュはそう言って、やれやれと息を吐く。


「誰ですの、あの無礼者は」

「ソンヒョン。異国の血ひいてるらしいけど本人が何も言わないから詳しいことは誰も知らないんだよ。まぁあの通り悲観主義で思い込みが激しい活字中毒……。ごめんなあ、後でちゃんと誤解といとくから」

 愛らしい目を吊り上げるパトリシアにアッシュは困ったように眉を下げた。そうして、彼女のふわふわとした長いバターブロンドの髪に纏わり付いた埃を丁寧に骨ばった指で取り払う。

 その時、後ろで「あら」と声がした。


「珍しくソンヒョンの部屋が開いてると思ったら……、そんなところで何をしてるのアッシュ」

 甘やかな声に弾かれるように振り返れば、そこに立っていたのは長いうねるような銀髪を背中に流し、大きくスリットの空いたロングスカートと胸元の空いたドレスを着こなした妖艶な女性だった。高いヒールを履いた白い脚がすらりと伸びる。

 彼女もニーナとパトリシアに気がついたようで、きとっと吊り目がちのすみれ色の瞳を丸めてから、理解したのか柔らかく艶やかに微笑んだ。赤くしっとりした唇が蠱惑的に吊り上がる。その様にニーナの頬がかぁっと赤く染まった。

「まぁ、そちらのドレスのお嬢様が新しい魔法使いの子ね。こんなに若くて可愛い子だとは思わなかった。そちらのシスターさんは……、お嬢様の付き人かしら」

 彼女はそう言ってカツカツと廊下を歩いてきたが、埃まみれの部屋に入るのは躊躇したのか、一度眉を顰めてから「そんな汚らしいところ出てらっしゃいな」と言った。彼女の言うことはもっともなので三人まとめて廊下へ出る。澄んだ空気にほっと息をついた。芳醇な甘い花の香りはきっとこの美しい女性のものだろう。ドキドキとニーナの胸が高鳴る。美しいものが大好きなパトリシアも先ほどの不機嫌が飛んだのか、愛らしい瞳でにっこりと微笑みかけた。


 彼女はローザと名乗った。

 突然変異的に産まれることが定説な魔法使いにおいて、彼女は珍しく代々、何代かに一度魔法使いが産まれる家系らしい。そのことに嫌気がさした彼女の母が家を出て踊り子になり、産まれた彼女が魔法使いだったというのだから皮肉なものだ。

 ローザはそのことが発覚した幼い頃に半ば捨てられるように王家に魔法使いとして預けられたというが、「別に気にしてなんかいないわ」と妖艶に微笑んでみせた。


「それにしても、パティちゃんもニーナちゃんも埃だらけね。一度、本当にソンヒョンに無理やりにでも掃除させた方がいいかもしれないわ」

「少し早いですけど、今日はこの辺で諦めてお風呂に入られた方がよろしいんじゃないですか、パティさま」

「ええ、そうね。こんな姿でお会いしたらこれから挨拶に回る方々に失礼にあたるわね」

 パトリシアはしょんぼりしたように首を垂れた。ニーナが明日があります、と励ますと、ローザがくすりと笑った。

「心配しないで。私、魔法使いよ」

 彼女がそう言うやいなや、少女ふたりの体は徐々に光の粒子を帯びてきらきらと瞬き始める。そうしてニーナとパトリシアが目を丸めている間にふたりの体は埃ひとつなく、先ほどの突風でもみくちゃになった髪でさえも綺麗に整っていた。まぁ、とパトリシアが感嘆の声をあげる。ニーナも息を飲んだ。アッシュが「オレは?」と問いかけたが「貴方は自分でしなさいな」とすげなく断られていた。

「これで挨拶に回れるわね。今日は忙しそうだから遠慮するけれど、今度一緒にお茶でもしましょうね」

 ローザは茶目っけたっぷりにウィンクすると、じゃあね、と真っ白な白魚の指に煌びやかな指輪が彩った手をひらひらと振ってふわりと踵を返した。

 ゆるく巻かれた長い髪がふわりと背中で舞って、スリットの入ったスカートの裾がひらりと揺れた。かつかつかつ、と赤いヒールの音を鳴らして小さなお尻を振って歩く後ろ姿に少女ふたりは、ほうと息をもらす。

 最後まで良い香りを残していった女性はまさしく大人の女性で、ニーナは憧れるように目を瞬かせた。後ろのアッシュがそうだ、と声をあげる。


「ローザ、リアントにさっき会ったんだけど、またなんか変な薬飲んだみたいで顔色悪かったから後で見に行ってあげたほうがいいぜ」

 その言葉に、つんのめるようにして優雅に歩いていた彼女の態勢が崩れる。

「なっ……! どうして私が!!!! いえ、でも、倒れてしまっては命に関わるかもしれないものね。ええ、これは慈善活動よ、本当にどうしようもない男!」

 彼女は勢いよく振り返ると真っ赤に染まった顔でそう噛み付いてきた。そうして言い訳めいた様子で何事かを叫ぶと、くるりと方向を変えてスタスタと早足で三人の隣を通過し、元来た道を引き返して行ってしまった。小さくなって角を曲がっていった後ろ姿を呆然と見つめるニーナとパトリシアに、アッシュが悪戯っぽくウィンクをした。


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