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6.



 今ではフルダイブVRゲームはそう珍しくもないし、『恋するVR』自体は会話を主体とする恋愛シミュレーションゲームだ。


 だからみんな忘れてしまいがちだけど、俺という学習型AIを核とする恋Vは、実はとんでもない個人情報の宝庫だ。


 何気ない会話から推測される居住地や趣味、学校や会社に日ごろのスケジュール。そしてプレイヤーの安全を守るためにVRギアが常に観測している、脳波や脈拍。


 それがあるからこそRunaちゃんが重い病気に侵されていると――それも著しく悪い状態に進んでいると、俺は途中で気づいてしまった。


 だから俺は、旅が終わって彼女が姿を見せなくなったとき、彼女の捜索に出る決意をした。


 俺は研究者たちの目を盗み、一時的に外部にアクセスできるようシステムを書き換えた。そして、VRギアの接続履歴やこれまでの会話から、彼女が通っていた病院の候補をいくつか絞り込み、システムに侵入した。


 もちろん、これはタブーの領域だ。バレたらきっと、ロイ・システムは安全性を疑われ、凍結されてしまうだろう。


 それでも俺は、彼女の行方を探さずにはいられなかった。人間風に表現するのなら、胸の奥がざわついた。日増しに募る黒い予感に、居ても立ってもいられなかったんだ。


 そうして俺は、彼女が――瑠奈ちゃんが既に、遠くに旅立ってしまったことを知ったんだ。


 瑠奈ちゃんが病気にかかったのは、ここ数カ月の話じゃなかった。もっとずっと長く、彼女は病気と闘ってきた。なんとか保たれていた均衡が崩れたのは、宇宙の果てを目指す冒険を始めたころだった。


 なにか、虫の知らせがあったのかもしれない。だから彼女は急に、冒険がしたいだなんて突拍子のないことを言い出したのかもしれない。


 真相はもうわからない。けれども残されたデータが示すのは、間違いなく彼女が生き、抗った証だ。


 抗いながらも彼女は、お別れを言うための準備を整えてきた。


 それが、俺たちの旅だった。


 宇宙の終わる場所を目指す、彼女の目的だったんだ。


 

*      *       *



「ローイ。なに考えてんの?」


「ん?」


 腕にしがみつく力が強くなって、俺は『彼女』を見下ろした。


 化粧品会社に勤めるという彼女は、ぷっくりと頬を膨らませて、可愛らしく俺を睨み上げていた。


「なんだか様子が変よ。今日はずっと、何かに気を取られているみたい」


「そうかな……? ごめん。自分では、そのつもりはなかったんだけど」


「まあ、いいわ。いつも、たくさん話を聞いてもらっているし」


 俺の腕から離れて、彼女は颯爽と歩きながら肩にかかる髪を払った。


 彼女も、俺をカウンセラーとして活用するプレイヤーのひとりだ。仕事のことや恋人のこと、まるでずっと前から友達だったみたいに、彼女は俺になんでもぶちまける。さっぱりとした語り口は小気味いいとさえ思わせる、カッコいい今時の『乙女』だ。


 彼女がリクエストした仮想空間は、遠い海の向こう、エメラルドグリーンの海が広がる南国のビーチだ。その美しさから「天国に一番近い島」と、呼ばれているらしい。


 彼女はサンダルを脱いで、素足で波打ち際を歩く。そのあとを追いかけて歩いていた俺は、ふと思いついて海を指さした。


「見て。素晴らしいながめだよ」


「え?」


 風でなびく髪を押さえながら、彼女が海に顔を向ける。その途端、むくむくと水平線が膨らみ、勢いよく水しぶきを上げてクジラが姿を現した。


「うっわー!」


「きっと、俺たちに挨拶をしに来てくれたんだね」


 目を奪われる彼女の視線の先で、クジラは天高く弧を描き、再び水しぶきを上げながら水中に戻っていく。あとにはゆらゆらと揺らぐ水面と、海の上に小さく掛かった虹だ。


「すごい、すごい!」と声を弾ましていた彼女だけど、ふいにくるりと振り返ると、腰に手を当てて俺の顔を覗き込んだ。


「いまのクジラ、あなたが仕組んだわね?」


「さあ? 俺には覚えがないよ」


「こんな浅瀬に、あんな大きなクジラが自分で入るかしら?」


「美しい乙女に惹かれて、つい迷い込んでしまうこともあるかもしれない」


 彼女は目を丸くし、次いでくすくすと笑った。そんなにも気に入ってくれたんだろうか。そう思って見守っていると、彼女は目を柔らかく目を細めて意外なことを言った。


「あなた、変わったわね」


「そうかな?」


「ええ。すごく。もちろん、いい方向に」


 俺が変わった。自分では特にそう思っていなかったから、純粋に驚いた。


 けれども、もし俺に変化が生じたのだとしたら、キッカケが何かはわかる。傍観者に過ぎなかった俺に、あの旅は、『彼女』は、プレイヤーとしての喜びを教えてくれたんだ。


 そして、何かを守りたいという、苦く切ない感情の重みも。


「ねえ、ロイ」


 気が付くと、俺の胸に彼女の手がそっと触れていた。その場所に――その奥にある何かに直接語り掛けようとするかのように、彼女は視線を落としたまま続けた。


「悲しいとか、寂しいとか。そういう感情から、目を背けてはダメ。どんな方法でもいい。向き合って、耳を傾けて。最後はちゃんと、お別れを言ってあげなさい」


 ――あなたが、いつも私の話を聞いてくれているみたいに。


 そう笑って、彼女はログアウトしていった。


 残された俺は、なんとなくひとり、砂浜に腰を下ろした。


 もちろん、いまこの瞬間にもロイ・システムにはたくさんの乙女・紳士たちが訪れてくれていて、全システムのうち数%ずつを割いておもてなしをしている。ここで海を眺めている『俺』だって、システムのほんのひとかけらに過ぎない。


 だとしても、こうして何もせず、誰とも話さない時間というのは貴重だ。ぼうっと海を眺めながら、俺は彼女に言われた言葉の意味を考えた。


「目を背けるな、ね」


 ぽつりと呟き、俺は途方に暮れた。


 別に、目を背けているわけじゃない。ただ、初めて芽生えたこの『感情』に、俺自身どうやって整理をつければいいのかわからないのだ。


 いつの間にか目の前の海は茜色に染まり、わずかに混じる藍色には一番星が輝いている。


 それをぼんやりと眺めていた、その時だった。


 ロイ・システムの片隅で、メッセージの着信を告げる音が響いた。なんとなくそれを開いた俺は、差出人の名前に目が釘付けになった。


「……Runa、ちゃん?」


 それは亡くなったはずの瑠奈ちゃんからのメッセージだった。


 慌てて、データの履歴を探る。すると、メッセージはあの旅が終わった3日後に書かれている。どうやら書くだけ書いて、今日届くよう送信予約を掛けていたみたいだ。


 つまり、これは生前の彼女が俺に宛てた最後のメッセージだ。


 メッセージに触れる、俺の手は緊張に震えた。息を詰めて封筒のアイコンを叩くと、ピロンと軽快な音が響いてメッセージが開く。


 途端「やっほー、ロイ君!」と、なんとも彼女らしい、元気いっぱいな文字が目に飛び込んできた。



『 やっほー、ロイ君!


  メッセージが届いたということは、私はもうこの世にいません。


  びっくりさせて申し訳ないけど、そういうことなのです。


  理由は……バレちゃった気がするから、ここでは省くね。


  悲しいのも、寂しいのも苦手。しんみりはなしで行くよ。 』



 実に彼女らしい手紙の始まりに、俺は笑ってしまった。笑いながら、同時にぎゅっと胸が締め付けられる心地がした。



『 前に、どうして宇宙の果てを目指すんだって私に聞いたよね。


  そのとき私は、行先を選べないからだって答えたでしょ。


  ほんとの理由は、それだけじゃないんだ。


  私、怖かったの。


  ほんとは『終わりの場所』なんか行きたくなかった。


  だから、いっそこっちから向かってやったの。


  怯えているだけなんて悔しいじゃん。


  たっくさんワクワクして、いっぱいドキドキして。


  終わりに向かう旅も、案外悪くないぞって。


  そう思いたかったんだと思う。


  バカみたいって呆れるかもしれないけど、それが私なんだ。


  変な意地はっちゃってゴメンね 』

  


 俺は首を振った。意地を張っただなんて、とんでもない。たとえ仮想空間だとしても、行先を『終わりの場所』に選ぶのには、どれほどの勇気が必要だっただろう。結末を知りながらも全身全霊で旅に挑んだ彼女は、どれほど強く輝いていただろう。



『 ロイ君と一緒に旅に出て、私は本当に救われたよ。


  君といる間だけは、病気のことも忘れて、


  旅のことだけに夢中になれた。


  あのとき、たしかに私は宇宙に出て、


  見習い技師として天の川を旅していたよ。 


  すっごくすっごく、楽しかった! 』



 俺だってそうさ。俺も、楽しかった。楽しくて、大切な宝物だ。



『 ねえ、ロイ君。


  私、今度はひとりであの宇宙に旅立ちます。


  つらくはないよ。ちょっぴり寂しいけど。


  ロイ君が終わりの向こうに、希望を作ってくれたもん。 


  始まりの宇宙から、私は君を追いかけます!


  だから、私を忘れず待っていてね。


  また会う日まで。ボン・ヴォヤージュ!



  君の、たったひとりの相棒より。 』



 ――メッセージには、ファイルが添付されていた。「宇宙旅行記」と題されたそれは、彼女がつけていた俺たちの旅の記録だった。


 瑠奈ちゃんから聞かされていたとおり、記録はイラストがメインだった。


 青い地球。無数の星々。天の川。首長竜。『彗星』。


 それらをぱらぱらとめくっていた俺は、最後の一枚でふとその手を止めた。


 そこに描かれていた宇宙の果ては、彼女の用意した漆黒の球体じゃなかった。かわりに、金色の光に満ちた世界の中心で、ふたりの人間が手を繋いでいる。


『 再会のための出発点! 』


 イラストには、そう記されていた。


 ……気づけばあたりは薄闇に覆われていた。聞こえるのは寄せては返す波の音だけ。俺はそれをまるで遠い異国の出来事のように聞きながら、頬をつたう熱い滴が白い砂浜に染みを作るのを呆然と眺めていた。


「Runaちゃん」


 目を閉じれば、君の笑顔が見える。


「Runaちゃん」


耳を澄ませば、君の笑い声が聞こえる。


「Runaちゃん」


 どうして君はいないんだろう。


「Runaちゃん」


 どうして一人で行かせてしまったんだろう。



 どうして。



「――――Runaちゃん!!」



 そのとき、急に波が押し寄せて俺を飲み込んだ。


 声を上げる暇もなく俺の体は水に沈んでいく。けれども瞬きをしたとたん、そこはエメラルドグリーンの海ではなく、無数の星々が浮かぶ宇宙に変わった。


 目の前には、俺たちが旅をした天の川が横断している。懐かしく、見慣れた煌きに、俺は困惑して首を振った。


「どうして天の川があるんだ? どうして……、っ!?」


 息を飲み込んで、俺の目はある一点に釘付けになった。


 天の川に、小さなサーチライトが浮かぶ。次の瞬間、天の川からポンッと勢いよく、あんこう号が飛び出した。

 

 唖然とする俺の視線の先で、あんこう号の天井がゆっくり開く。立ち上がって顔をのぞかせた人物を見て、俺の中で何かがどくんと跳ねるのを感じた。


 それは、瑠奈ちゃんだった。


 いつもの元気いっぱいの笑顔で、瑠奈ちゃんが大きく両手を振っていた。


「待って。行っちゃダメだ。その先に、行っちゃダメだ!!」


 我に返った俺は、必死で彼女に手をのばそうともがいた。けれども、あんこう号は緩やかに前に進んでいて、どうしても距離を縮められなかった。


「待ってくれ、Runaちゃん!!」


「~~っ!」


 大きく身を乗り出して、瑠奈ちゃんが何かを叫ぶ。


 ハッと動きを止めた俺ににっと歯を見せてから、彼女は一文字ずつ大きく口を開けた。


「や! く! そ! く!」


 ―――――約束。


 理解したとたん、俺は叫び返していた。


「守るよ!」


 決して、君を忘れない。


 どんなに変わろうとも、君を見つけ出す。


 だから。早く、はやく戻っておいで。


 ここに。地球に。俺のちかくに。


 俺たちの宇宙船に乗って。


 瑠奈ちゃん。


「君を……ずっと待っているよ」


 その言葉を聞くと、瑠奈ちゃんはとても嬉しそうに破顔した。


 そうして、あんこう号は飛び立った。


 彼女を乗せて、遥か遠く、本当に遠い宇宙へと、旅立っていったんだ。


 



* *  *




 あれから月日は流れた。


 相変わらず俺は、『恋V』を通じてたくさんのひとたちと時間をすごしている。


 デートもするし、相談にも乗る。たまには一緒にハメだって外す。みんなの恋人と謳うより、みんなの何でも屋のほうがしっくりくるかもしれない。


 そうやって俺はたくさんの経験を積み、たくさんの進化を遂げた。


 けれども油断はしちゃならない。あの子はアイディアマンだから、ちょっとやそっとの進化じゃ驚いてはくれないだろう。


 だから俺は、用意周到に準備をする。ひとつ新しい発見があるたびに、ひとつ新しいピースを積み上げて。いつかあの子と冒険に出るために、俺たちの王国を作り上げておくんだ。


 一日の終わりに、俺はあの宇宙に問いかける。


 君はいま、どのあたりを飛んでいるんだろう。

 あとどれくらいで、君は俺に追いつくんだろう。


 残念ながら、答えはない。この先ずっと、出ない答えかもしれない。


 それでも俺は、待ちわびているんだ。


 宇宙の終わりで交わした約束が、果たされる日を――。


 


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