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4.



 あれ以来、俺は何をしていても、あの旅のことをシステムのどこかで考えていた。


 どうして、彼らは宇宙の果てを目指しているのか。

 どうして、俺たちは宇宙の果てを目指しているのか。


 どうして宇宙が終わる場所に、みんな向かわなくてはならないのか。


 だが、どんなに考えても、答えは見つからなかった。だってあの宇宙は、世界は、Runaちゃんのものだ。どれほどの知識をかき集めたって、どんな複雑な関数を組み合わせたって、物語のルールは彼女のなかにある。


 なんどか俺は、Runaちゃんにメッセージのなかで聞いてみようかと思った。


 そんな風に思うことは、生まれてから初めてだった。俺にとってメッセージは乙女からくるもので、俺はそれに返事を書くだけだった。


『ハロー、ロイ君! 元気にしてる??』


 俺の気も知らずに、Runaちゃんから届いたメッセージは呑気なものだ。


『あ、そういえばね。ロイ君との冒険のこと、記録につけることにしたんだ。なんとイラスト付きだよ! 初めは文章だけで頑張ろうかと思ったんだけど、あんなに素敵な光景、私の語彙力じゃ表現しきれないからね』


 遠く深く、静かに広がる藍色の世界。ひとつひとつの煌きが音を奏でそうな、泣きたくなるほど美しい星々の輝き。そのなかを泳ぐ、優しい目をした獣たち。高性能AIの俺だって、あの素晴らしい世界の半分だって伝えられない。


『最近、すこし忙しいんだ。ごめんね。そっちに行けるの、もうすこし先になっちゃいそう。早く会いたいな。会って、一緒に冒険がしたい。楽しみにしているね』


 そのメッセージを最後に、Runaちゃんからの連絡は半月ほど途絶えた。


 あの宇宙を旅したいのは、俺も同じだ。


 誓って、乙女たちはみんな平等に愛おしく、大切だ。けれどもRunaちゃんと過ごす時間は特別で、どんな時間とも比べることができない。ただのプログラムに過ぎない俺の胸を弾ませ、どうしようもなく熱くさせるんだ。


 ただ、どこかで何かが、もやもやと引っかかっていた。


 散々頭を抱え、首をひねって、気づいたのはある日突然のことだ。


 要するに俺は気に入らなかった。というより寂しかった。


 つまり答えは単純だ。この特別で、美しく素晴らしい何物にも代えがたいふたりの旅路の行先が、『終わりの場所』であって欲しくなかった。


 そんな悲しい旅路であってほしくないと、俺は思ってしまったんだ。




*       *         *




「やっほー、ロイ君! ひさしぶりー!」


 ある日、ブランクを感じさせない軽やかさで、Runaちゃんはポンッとログインしてきた。


「待っていたよ、Runaちゃん! さっそくだけど、聞きたいことがあって……」


 勢い込んだ俺だけど、その言葉は尻すぼみになった。頭のてっぺんから爪の先まで、Runaちゃんをまじまじと見つめてしまう。


「……Runaちゃん、大丈夫かい?」


「え、何が?」


 きょとんとした顔をして、Runaちゃんは首を傾げる。そのいつもと変わらない反応に、困ったのは俺のほうだ。俺は視線を彷徨わせてから――誰にでもわかる変化のほうを指摘した。


「その……少し、痩せたんじゃない?」


「ほんと? ぜんぜん気づかなかった」


 彼女はもともと、ほっそりした子だ。それは決して不健康なものじゃなくて、色白の肌にうっすらと差す頬のピンクが映えて、それがとても愛らしいんだ。


 けれども今の彼女は、青ざめて見えた。それだけじゃない。柔らかそうだった頬のふくらみはなくなり、手足も前よりも細くなっている。強い風が吹いたら、飛ばされてしまいそうだ。


「忙しいって言っていたけど、無理しているんじゃない?」


 心配になった俺は、ひざを屈めてRunaちゃんの顔を覗き込む。すると彼女は、困ったように「えへへ」と人差し指で頬を掻いた。


「ロイ君は、前の方が好き?」


「そういうことを言っているんじゃないんだ。俺はただ、君が心配で」


「可愛くなくなっちゃった?」


「だから、そうじゃなくて」


 じっと、Runaちゃんが上目遣いで俺を見てくる。その視線に、負けた。俺は恋愛ゲームをベースにしたAIだ。こんなふうに女の子に聞かれたら、乗らずに無視できるわけがない。


 俺は腕を組むと、統計的にみて乙女を確実にオトせる……いわゆるイケボとやらを放った。


「そんなわけないだろ? かわいいよ、すごく。ますます綺麗になって、これ以上俺を夢中にさせてどうするつもり?」


「うっわあ」


 顔いっぱいに「ドン引きです」と書いて、Runaちゃんが下がる。……彼女についてはこの反応も予想できたけど、目の当たりにすると傷つく。


「ロイ君ってば、そういうセリフいくつ覚えているの? わぁるいオトコだなあ」


「人聞き悪いこと言わないでよ。それだと俺が、君のことを騙しているみたいでしょ」


「えー? けど、ロイ君は色んな女の子に『好き!』とか『愛してる』とか言っちゃうでしょ? わぁるいオトコだと、私は思うなあ」


「そういう仕様なの」


 ほんの少し俺はムッとするけど、Runaちゃんはにまにま笑うばかりだ。やれやれと俺は髪をかきあげて、ため息をついた。


「たしかに俺は軽薄なプログラムだよ。けど、絶対に嘘はつかない。――君が特別で、大切で、心配だ。心から、そう思っているよ」


 俺のなかにある『コレ』が、心と呼べるものかはわからない。それでも俺は、そう言わずにはいられなかった。


 Runaちゃんはきょとんと瞬きをした。そのあと、急に両手を合わせてもじもじと身じろぎをし始めた。


 ややあってから、僅かに赤く染まった頬をリスみたいに膨らませ、彼女は俺に指を突き付けてこう言った。


「ロイ君。そーいうとこだぞっ」







 今日の旅路は、この間よりももっと遠い、遥か先の銀河系の中を行くらしい。


 あんこう号の周りには、動物たちも恐竜もいない。Runaちゃんお墨付きのユニコーンとやらもだ。かわりに、優しい金色の光を放つ、タンポポの綿毛みたいに小さくてふわふわした何かが飛んでいた。


「この子たちは、精霊たちだよ」


 頬杖をついて綿毛たちを眺めながら、Runaちゃんはそう説明してくれた。


「名前はないんだ。名前ってものが生まれるよりも前に生まれたからね」


 それを聞いただけで、地球から随分と離れてしまったのだと実感して、急に俺は心細くなった。Runaちゃんも同じだったらしくて、いつも元気いっぱいな彼女らしくもなく、ちょっぴり寂しそうに膝を抱えた。


「少しだけ、思うんだ。私は……つまり、この世界の私は、だけどさ。こんなに遠くにきてよかったのかな 。家族や友達、恋人だっていたかもしれない。全部置いてくるのは、とてもつらかっただろうな」


「この世界の君は、地球には帰らないの?」


 びっくりして、俺はRunaちゃんに尋ねた。てっきり俺はすべてが終わったら、地球に戻るものだと思っていたからだ。


 するとRunaちゃんは鼻の頭に小さな皺を寄せて難しい顔をした。


「できることなら、地球に帰してあげたいよ。けど、宇宙の果てはすごく遠いし、天の川の流れをさかのぼるのは簡単じゃない。終わりまでいったら、きっともう戻れないよ」


「そんな……」


 まるで、大海に投げ出された気分だ。……いや、もっとひどいのかも。大海原で取り残されるのと、宇宙の果てで行き場を失うのと、どっちがマシなんだろう。


「だったら、宇宙の果てなんか行かなければいい」


 このところずっと胸の中で渦巻いていたものを、俺はようやく吐き出した。


「宇宙の果てはすべてが終わる場所だって、Runaちゃん言ったよね。わざわざそんな悲しいところに行って、地球に戻ることも出来なく、そこでおしまい? そんなの、おかしいよ。もっと、別の行先を目指せばいいのに!」


「そんなこと言ったって」


 くしゃりと表情を歪めたRunaちゃんは、どういうわけか泣きそうに見えた。


「仕方ないんだよ。これはそういう旅なんだもん。悲しくても寂しくても、行先は変えられないんだよ」


「自分がどこに向かうのかは、誰にも選ぶ権利があるはずだ。Runaちゃんだって、そうでしょ?」


 Runaちゃんは答えなかった。代わりに操縦桿に視線を落として、しばらく俯いていた。椅子の隙間から、彼女の細い足が所在なさげにぷらぷら揺れるのが見えた。


 そのとき、ビーッ!と、明らかにタダならぬ警音があんこう号に響いた。


「なんだ?」


「たいへんっ!!!!」


 Runaちゃんはがばりと顔を上げると、モニターにかじりついた。彼女が食い入るように眺める画面をとなりから覗き込むと、何かがあんこう号に向かってものすごい勢いで迫ってきているのがわかった。


「Runaちゃん、これは?」


「総員、直ちに持ち場について! 当艦はこれより、全力で回避行動に移ります!!」


「ラジャッ」


 俺とRunaちゃんしかいないのだなら総員もへったくれもないけど、とりあえず俺はピシッと敬礼してから席に着く。パチン、パチン、パチンと景気良くスイッチを入れると、すぐにRunaちゃんがぐいっとレバーを引く。モーター音が強くなってあんこう号がぎゅいんと加速した。


 それでも、モニターに映る何かは一向に遠くならない。むしろ、ますます迫る勢いだ。


「一体、こいつは何なの?」


「『彗星』だよ!」


 叫ぶなり、Runaちゃんは天井の開閉ボタンを押した。ゆっくりと藍色の宇宙が明らかになっていくなか、俺はモニターが示す方向を振り返り、ギョッと目を剥いた。


「彗星!? あれが!?」


 青白く神々しい光を放ちながら大きな翼を広げるそいつは、どう見たって星なんかじゃない。


「あれはドラゴンじゃないか!!!!」


「たぶん、この銀河系の主だと思う。私たちのことに気づいて、様子を見に来たんだよ!」


「見に来てどうするの? まさか俺たちを食べちゃったりしないよね……?」


「わかんないから逃げてるの!」


 合点承知した。


 一瞬で危険を理解した俺は、出来うる限りを尽くしてエンジンの出力を最大限まで上げた。


 機械のあちこちが熱を持っているのか、絶え間なくシュッシュッ、シュッシュッと何かが噴き出したり、ガタガタと揺れたりする音がする。けど、そんなあんこう号の精一杯をあざ笑うように、『彗星』はどんどん迫ってきた。


「ダメだ! このままじゃ追いつかれるよ!」


「そうだ!!」


 叫ぶなり、Runaちゃんは操縦桿を前に倒した。


「天の川に潜っちゃえばいいんだ!」


 烈しく星屑のしぶきをあげながら、あんこう号が潜水を始める。本当はこの勢いで潜ると負担が大きいんだけど、いまは『彗星』から身を隠すことが最優先だ。


 ある程度潜ったところで、『彗星』に居場所がバレないようにあんこう号の動力を切って、沈黙を守る。あんなに美しく見えた天の川の煌めきさえ、いまは不気味に思える。


「……このまま、通り過ぎてくれるかな」


「しっ」


 人差し指を口元にあててから、Runaちゃんは開いたままになっている天井を見上げた。


 ピコン、ピコンと、モニターの音だけが艦内に響く。本当はそれすらも切ってしまいたかったけど、俺たちとヤツの位置を知る唯一の生命線だ。


 ごくりと、俺たちは唾を飲み込む。その間にも、無機質な音色がぴりりと張り詰めた館内の空気を刻む。だんだんと音の間隔は狭くなって、後方の水面に青白い光が射しこんだ。


「来たね」


「お願い……!」


 Runaちゃんはぎゅっと目を閉じて、固く両手を握り合わせた。


 ピピピピピピと目覚まし時計みたいな音をモニターが奏でた途端、ごぉっと疾風が過ぎ去るような低温が響いて、俺たちの真上の水面を凍てつく青が通り過ぎた。


 そのまま『彗星』はまっすぐに離れ、次第にモニターの音は等間隔の、穏やかなものへと戻っていった。


「バレなかった……?」


「よかったあ」


 Runaちゃんが椅子に沈みこんだ、そのときだった。


 ドボンという音と共に遥か前方で何かが天の川に飛び込み、衝撃でざわざわと天の川の中がさざめいた。白銀の煌きの向こうに青白い翼が広がるのを見て、俺とRunaちゃんは一斉に顔から血の気が引いた。


「や、なんで、やだ!」


「逃げなきゃ! Runaちゃん、エンジンを点けるよ!!」


「う、うん!!」


 機械に飛びついた俺は、今までにない速さでスイッチを入れていく。けど、あんこう号が起動していく間に、無情にも『彗星』はみるみるうちに大きくなってあんこう号に迫った。


「は、はやく、はやく!!」


「ああ、くそ! だめだ、間に合わない!」


 ピピピピピピとけたたましい音がして、俺たちの視界いっぱいの目と鼻の先で、細くとがった顎がぐわりと大きく開いた。


「う、うわぁぁぁああああっ!!」


「きゃぁぁぁぁあぁぁぁああああ!!!!」


 ふたり分の悲鳴が重なり、俺は彼女を守るために、ぎゅっとRunaちゃんを抱きしめた。


 とんでもない暴流があんこう号揺らした。けれども、それが過ぎ去ったあと、艦内にはふたたび静けさが戻った。ぴこん、ぴこん、と、遠ざかっていくモニター音に、俺たちは恐る恐る目を開いた。


「あれ……? 『彗星』は……?」


「……どうやら、俺たちは見逃してもらえたみたいだね」


 水面に浮上をすると、遠ざかっていく『彗星』の尾が、天空に弧を描くのが見えた。


 『彗星』が通った名残なのか天の川の水面には、北極の氷にも似たどこまでも澄んだ青の霞がぼんやりとたちこめていた。きっと俺たちと同じに、彼らも隠れていたんだろう。慎重に天の川から出てきた金色の妖精たちが、霞の間を飛び回って遊び始めた。


「あっは。ははは! はははは……!」


 ふいに、Runaちゃんがお腹を抱えて笑い始めた。それを見ていたら、ようやく俺も助かったんだと言う実感がわいて、どっと疲れが出た。


「怖かったあ! あー、だめ! おなか痛い……」


「まったく……笑いごとじゃないよ……」


「だってさ、あは、あははは……!」


 しばらく存分に笑ってから、Runaちゃんは「あー、おかしい」と滲んだ涙をぬぐいながら俺をちらりと見上げた。


「さっき私のこと守って、ぎゅってしてくれたでしょ。あれはやばいね。恋に落ちちゃうね」


「そりゃ、どうも。光栄だよ」


「吊り橋効果ってヤツだよね。ロイ君、もしかしてそれ狙ってわざと『彗星』を呼んだの?」


「そんなわけないでしょ。俺だって怖かったんだから」


「だよねえ。あれは怖いよねえ!」


 うんうんと頷いてから、Runaちゃんはにこにことご機嫌に頬杖を突いた。


「ねえ、ロイ君。ロイ君は、この旅のこと楽しんでる?」


「そうだねえ」


 今日のことや、その前のこと。振り返って、俺は頷く。ワクワクと胸が躍り、ドキドキと手に汗を握った。データ上にはなかった光景に、体験に、――冒険に、夢中になった。


「……もちろんだよ。たぶん、君が思っている以上に」


「よかった。私も、すっごく楽しい!」


 ぱっと笑顔の華を咲かせて、Runaちゃんは小さく跳ねた。


「……旅ってさ、どこに向かうかより、途中の道のりのほうが大事じゃないかな」


「Runaちゃん?」


「たとえ行先を変えられない旅だとしても、この旅は私にとって、一生の宝物だよ」


 いつもと違う様子の彼女に、俺はRunaちゃんに向き合う。けれども彼女は、誤魔化すように、吹っ切るように、小さな手を満天の宇宙に伸ばした。


 その手をぎゅっと摑んで、Runaちゃんは星々に笑いかけた。


「ロイ君と一緒に宇宙に来て、本当によかった!」





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