第8話 町中のエンカウント
「……と、いう訳で仕事をしよう!」
今のところ特に目的のない時也とリムは、このゲームの世界でしばらく生活することにした。
生活するうえで必要になるのは金である。金がなければ何もできないのはどこの世界も同じだからだ。
「でもどこで何の仕事をするんですか?」
「それをこれから探そうと思ってさ。クエストみたいに探せばなんかあるんじゃねーかなって」
「時也さん……そんな、ゲームじゃないんですから……」
「そうなんだけどさ。なーんか現実味がないんだよなー。売ってる物とか金とかは別だけど、モンスターとか俺らの装備やスキルはゲームと同じだし」
「確かに、言われてみるとそうですが……それでもここは現実ですよ。お腹も減りますし、HPが0になればきっと死にます。傷を受ければ血が出ますしね」
リムの言う通り、ゲームとは違って傷を受ければ出血する。変な衝撃を受ければ脱臼や骨折だってするだろう。
その証拠にデスドラゴンと戦った時、時也は何度も出血した。【不死の輪】が常に回復し続けてくれたおかげで傷はすぐに塞がったが、その事実のおかげで、時也は自分の体がゲームのものではなく、現実を生きる自分のものであると確信した。
「確かにリムの言う通りなんだけどさ。でもその辺の人がNPCにしか見えないし、俺のスキルとか見ちゃうとやっぱり現実だと思えないって言うか……」
「その考え方は危険ですよ、時也さん。ここがゲームと同じだと考えてしまえば、いざという時……死にますよ。あっけなく」
そう言ったリムの目は先程とは違い、ある種の冷たさや悲壮感を孕んでいたように見えた。
リムの言葉を聞いてリムの目を見た時也はゴクリとつばを飲み込む。リムから恐怖のようなものを感じたからだ。
「分かってくれればいいんです! 時也さんが死ぬのはイヤですよ?」
「あ、ああ」
リムの目はいつものような元気溢れる明るい目に戻っている。先程のリムの目はまるで別人のようだった為、時也は少し困惑してしまう。
「……それじゃ、まずはギルドに行こうぜ」
ギルドとはプレイヤーが集まる施設のことだ。ギルドの掲示板には町の住人からの依頼書が多数貼り付けられており、プレイヤーは基本的にギルドでクエストを探すことが多い。
それ以外にクエストを探す方法はいくらでもあるが、ギルドで探すのが一番早くて簡単だ。
「そうですね! ギルドになら私たち以外のプレイヤーがいるかもしれませんし!」
そうして時也とリムは町の人にギルドの場所を聞き、ついにギルドを探し当てることに成功した。
時也とリムはそのままギルドに入りクエストの依頼書を探すが――
「……掲示板が無い」
そう。依頼書が貼ってある筈の掲示板がどこにも無いのだ。なので時也はギルドの受付にいる女性にクエストについて聞いてみる。
「すみません、クエストを探してるんですけど……」
「クエスト、ですか? もしかしてお仕事をお探しでしょうか?」
「えーと、まぁ……はい」
「では、どのようなお仕事を希望されますか?」
「そうですね。特定のモンスターを討伐する仕事とかがあったらそれで」
「それでしたら、こちらになります」
受付の女性が差し出してきたのは4枚の書類。それぞれの書類にはモンスター討伐と書かれており、報酬も書かれていた。
だが、その中身は――
「やっす!!」
報酬の額はそれぞれ3000~5000コル。
この町の宿屋の1泊分の金額が平均2500コルで、レストランでの食事が1食500コル前後だと考えると、これらクエストの報酬は安い。
ちなみにトラオをプレイしていた時の時也の全財産は100億エン。それが全部使えていれば苦労はなかったのだが、使えないものは仕方がない。
「時也さん、流石に3000コルでは辛いですよ」
リムも時也と同意見なようで、彼に耳打ちした。
「確かに3000はなぁ……すみませんが、もう少し高い報酬のクエストはありますか?」
「これ以上ですと……きゃああっ!!」
時也が受付の女性と話していると、突然、地面が大きく揺れた。その揺れはとても大きく、それによりギルド内の置物や家具が倒れ、ギルドはめちゃくちゃになってしまう。
地面が揺れたのは一瞬だけだったのでもう揺れはないが、多数の悲鳴が外から聞こえてきた。
「何だ!?」
「時也さん! 一度外に出ましょう!!」
「ああ!!」
時也とリムはめちゃくちゃになったギルドから出て、外の様子を確かめる。
そこで時也たちが見たものは――
「バアアアオオオオオオッ!!」
体長100メートルはあろう巨大な龍が町中で空に向かって吠えているという異様な状況だった。
「「……」」
時也とリムは無言になってその龍を見る。
龍は細長く、手や足のない蛇のような体を持っている。体の色はエメラルドグリーンで、顔と顔の周りに生えている体毛は白い。
「なぁ、リム」
「なんですか? 時也さん」
「あれって、海翠龍だよな?」
「そうだと思います」
「あいつってさぁ、レベル1000のレイドボスモンスターの中でも最大級のモンスターで、クエストの最大参加可能人数が一番多い50人だったよな?」
「そうらしいですね。私は戦ったことがないので知りませんが」
「それがさ、なんで町にいるんだ?」
「……あのドラゴンが落としたんじゃないですか?」
リムは右の人差指を空に掲げた。リムが指差した先にいたのは、体長15メートルほどのレベル1000レイドボスモンスターであるスカリディアドラゴンだった。
スカリディアドラゴンはトラオのモンスターの中でも異色のモンスターであり、武器を使う二足歩行のドラゴンだ。
飛びぬけた攻撃と防御のステータスを持ち、何種類もの武器を使う為、かなり手強いモンスターだと時也は認識している。
さらにスカリディアドラゴンは翼を使って空を飛ぶことも出来るので、かなり厄介なモンスターとして有名であった。
「クルウアアッ!!!」
上空で飛んでいるスカリディアドラゴンも海翠流と同じように吠える。
「どうやらあの2体が戦っているようですね。その途中でこの町の上を通り掛かり、たまたまここに落ちたのではないかと」
「もしかしてあいつら、このまま町中で戦うつもりか?」
「見たところそうでしょうね。モンスターにとっては人間なんてどうでもいいでしょうし。どうしますか?」
「……逃げるか」
「分かりました。それでは今すぐ逃げましょう。顔や匂いなどを覚えられたら厄介ですから」
時也とリムは2体モンスターを避けるように走り出し、急いで町の出口へ向かった。
この状況で逃げるのは当たり前の行動だ。そこら辺にいる中級や上級のモンスターであれば倒してやるが、レベルカンストのモンスターが相手となれば時也とリムの2人では分が悪い。
どちらか1体が相手であるなら、デスドラゴンを倒した時也とリムの2人が頑張れば勝てる可能性は高いが、2体を同時に相手するのは流石の時也たちでも辛い戦いになる。
それに、時也にはここであの2体を倒してやる義理はない。だから時也は早く町を脱出させてもらおうと言ったのだ。
だって時也は、まだこの世界の人間をNPC、コンピューターが作り出した仮想人間だと認識しているのだから。
時也とリムは、町を出るために走り出した。
「……それにしてもひどい有様ですね……」
しばらく走った後、リムが町の様子を見て呟く。
町は海翠龍の墜落によりあちこちが壊れていて、今も町の人々の悲鳴や誰かを探す叫び声を時也の耳が拾う。
「あの! すみません! 5歳くらいの茶髪の男の子を見ませんでしたか!? 息子なんです!」
走っていると、1人の女性が切羽詰った表情で時也に尋ねた。
「……すみません。知らないです」
「っ! もし、もし見掛けたら教えてください!」
女性はそのまま走り去る。
ギルドの外で2体のドラゴンを見て走り出してから、時也もリムも、今みたいなことを何度も聞かれていた。誰かを探しているという言葉を何度聞かされたのか、時也はもう覚えていない。
誰もが離れた家族や友人を探し、誰もが傷つき、泣いている。
今もなお、破壊され続ける町には負の感情しか存在していない。
建物が崩れたことにより人は傷つき、家を失う者がいる。2体のモンスターの戦闘により壊された町には炎が広がり、全てを燃やす。
誰もが、苦しんでいる。誰もが、泣いている。
時也は顔をしかめて走り続けた。それを見続けたリムは、覚悟を決めたような顔をして立ち止まる。
「時也さん。本当は、助けたいんじゃないですか?」
リムの言葉を聞いた時也は足を止め、無言で立ち尽くす。
「時也さんはさっきからずっと、町や人を見ては泣きそうな顔をしています。何とかしたいと、そう思っているんじゃないですか?」
時也は、この世界が現実のものなのかゲームという仮想世界のものなのかを判断しかねていた。
だから彼はこの世界の人間がどうなろうと関係ないと考えようとしていたし、簡単に見捨て逃げられると思い込むことにしていたのだ。
しかし、今時也の耳に入る叫びや泣き声は本物だ。確かな苦しみが時也には聞こえる。それは、時也の聞きたくないものだった。
今の時也の目に入る人々の姿は本物だ。みんなが血を流しながらも誰かを助けようとしている。それは、時也にはとても素晴らしいものに見えた。
(俺は、本当に彼らを見捨てていいのか? 本当に彼らはゲームの中の存在で、現実じゃないのか?)
その答えは……否。
時也は理解していた。自分の思いを。自分の願望を。
「時也さんには確かな力があります。この状況をひっくり返せる強力な力が。それを誰のために、何のために使うかは時也さん次第です」
「……ああ」
「もし時也さんがこのまま逃げると言うのなら、私はそれでも構いません。私はあなたに付いて行くと決めたのですから。ですが、もし時也さんがこの町とこの町に生きる人々を助けたいと思うなら、私は全力であなたと共に戦いましょう」
時也は考える。自分は今、どうしたいのか、と。
助けたいのか、このまま見捨てるのか。
そもそも、時也は自分の人生で何をしたかったのか。それを彼は考える。いや、思い出すと言った方が近いだろうか。
(俺の願望……それは、『手を差し伸べること』)
時也は助けたい誰かを前にした時に、助けることが出来なかったから。時也は助けて欲しかった時に、助けて貰えなかったから。
だから時也はいつだって、困っている誰かに手を差し伸べることに決めていた。
しかし、現実は厳しかった。時也がいくら救いの手を差し伸べても、彼の手を取ってくれる人は少なかった。それに、救いの手を掴んだ時也を責めた者も少なからずいた。
しかし、ゲームの中で時也の差し伸べた手を握り返してくれたプレイヤーは多い。そして時也が助けを求めた時、多くのプレイヤーが彼を助けてくれた。
(そんな俺が、ここで逃げるのか? 助けて欲しいと伸ばされた手を、払いのけるのか?)
それはダメだと。時也はしっかりと理解している。
時也がこの世界を現実だと認識していなかったのはただの現実逃避だ。ならば逃避を辞めた今、ここが現実であると知った今。時也のやるべきことは、決まっている。
(もう迷うのは終わりだな。ここは紛れもない現実だ。俺は、救いを求める人間の手を掴む!)
時也はこの世界を現実と認識した。つまり、時也はこの世界での事象を適当に考えることを止めたのだ。この世界の人間の救いを求める手を掴むことを、彼は決めた。
今の彼に、迷いはない。
「……リム。力を貸してくれ」
「はい」
「一緒に、あの2体をぶっ倒すぞ!」
「はい!」
リムの顔に笑顔が戻る。リムは時也に逃げてもいいと言ったが、本心では時也にみんなを助ける道を選んで欲しかったに違いない。
その期待を裏切らずに済んでよかったと、時也はそう思った。
「気合を入れろ。相手は2体のレベルカンストのボスモンスターだ。デスドラゴンと戦った時よりも厳しくなる。覚悟はいいか?」
「はい! 私と時也さんなら! 絶対に大丈夫です!!」
「一緒に生きて勝つぞ! リム!!」
「勿論です。信じてますよ! 時也さん!!」
ここから始まるのは死闘。だが、今の時也なら大丈夫。だって今の時也には、進むべき道が見えているのだから。