伍滴:敎會 - Ecclesiastica -
――――――― 2 ―――――――
「挾間田さんは何方に?」
「蓼丸警視!敬称をお付け下さい。挾間田神父とお呼び下さい」
――馬鹿な事を。
敬称を重ねて呼ぶ方が愚かしい。
是だから何も分かっていない奴は嫌なんだ。
こんな奴等が同僚かと思うと反吐が出る。
内務省警視廳刑事部搜査六課特別管理官、蓼丸武斗警視は、千葉縣警察部組織犯罪對策本部國際搜査課と所轄の千葉中央警察署からの応援要請に因り、千葉市に訪れていた。
搜査六課は、特異点爆発(Singularity Explosion)以降に七課と共に新設された部署で、主に超能力や魔術、祕學他、超常的な犯罪を担当する。
特異点爆発に因る異能や異形の実在は、六課と七課の存在を否応無しに高め、其の若き新進氣銳として蓼丸は期待されている。
『東京灣千葉港漂著物に於ける識別と行衛依賴に係る共同搜査本部』が設置されたのは三日前。
共同搜査本部には、國際搜査課國際搜査情報センター國際遺失物係長西岡警部、同センター係長補佐田町警部補、千葉中央警察署刑事課課長心得鈴本警部、同課搜査七係係長永江警部補他、応援組として、刑事課搜査三係係長日吉警部補、鑑識課係長山崎警部、特別高等課外事係調査官久我警部、然して、蓼丸も其処に居た。
「で、何方にいらっしゃるのですか?」
「神父は只今、到著が遲れている模樣です」
――そら、是だ。
是だから外國人は嫌だ。
時間に支度氣無な輩が多過ぎる。
抑々、共同搜査本部が外國の宗敎の依頼によって設置された事すら気に食わない。
而も、合同搜査ではなく、共同搜査とは。
明らかに俺を形式的な扱いとして据え置く腹。
御負けに、特高迄居る始末。
こんな下らない捜査に俺を配属するとは、一体、“上”は何を考えているんだ。
「いらっしゃいました、挾間田神父です」
挾間田と呼ばれる男は、明らかに外人。
伊太利亞人なのかどうかは迄は分からないが、一見して白人と分かる。
創氏改名適用外の大東亞民が通稱として日本名を名乗る事はよくある事だが、白人で通稱を名乗るのは珍しい。
尤も、宗敎者は國内での布敎活動の都合上、大昔から通稱を名乗る事は有る。
併し、挾間田は法迪坎からの來訪者。
是は、偏に異質である。
無論、蓼丸は此の男の通稱の意味を理解しているのだが。
「ヤア、皆サン、Salvete!今日ハワタシノ爲ニ集マッテ戴イテGratias vobis ago」
「…ハッ!恐縮であります」
西岡が敬礼をする。
続け様に他の同僚達も敬礼。
蓼丸と久我だけは会釈に留まる。
國際搜査情報センターの係長が此の有様とは、恐れ入る。
明らかに此の外人は、吾々を舐めている。
195cmは在ろうかという身長に筋骨隆々、目許に影を落とす程彫りが深く、整えられた髭が凜々しい。
身長差を考慮しても、此の男の下目遣いと其のぼってりとした唇を僅かに開け、時折、舌先をチラつかせる様は一見して典型的な差別主義者の其れ。
東洋人を蔑む気質が無意識に態度に表れている。
人種的差別撤廢提案採擇の聖地、千葉市に迄よくやって来られたものだ。
西岡も西岡だ。
大戰の眞の勝者は吾が帝國だ。
伊太利亞等、況して法迪坎等、納粹に粘著いて勝ちを拾っただけ。
同盟國とは云え、其処迄遜る必要は毛頭無い。
其れに比べると特高とは云え、久我だけは多少増しか。
西岡は経緯を説明している。
漂著物である拾得物、即ち、小さめの柩に関しては既に引き上げ、保管済み。
直ちに法迪坎に返還する用意がある旨を告げる。
併し、問題はその内容物。
共同搜査本部設置前、加特力千葉敎會が遺失物として当該漂著物の主張をして来たのだが、其の内容物に就いて默祕していたので返還は見送られていた。
後日、法迪坎から大使館を通じて遺失物の正式な捜査の申し入れが届き、共同搜査本部が設置されたのだが、其の内容物に関しては國家機密扱いとなり、法迪坎の代理人の到着を待っていた処であった。
「――と云う訳でありまして、拾得物に關しましては手續が済めば直ぐにでも返還出來るのですが、申し入れの御座居ました内容物に就きましては挾間田神父よりお傳え戴く由になって居り…」
「日本語ハ難シイネ。柩ノ内ニ就イテ話セ、ト云ウ事デスカ?」
「…平たく申しますと然様に御座居ますが國家機密に在る旨、小官共も重々承知しております。
併し、内容物に就きまして些少でも伺っておきませんと搜査が進まず頓挫し、益々ご迷惑をお掛け致します故、何卒、開示可能な範囲でお話を、と」
「少女態デス。飽ク迄モ姿形ハ、ト云ウ意味デ、現ニ人デハ無イノデ、精留鍊成人型ノ類ダト思ッテ戴ケレバ差シ支エ無イデス」
――成る程。
俺が呼ばれたのはそう云う訳か。
だが、精留鍊成人型の類であれば七課であろう。
六課の俺が呼ばれたと云う事は――
敎會對策、が本命か。
特高の外事課も凡そ、其の為。
恐らくは、“上”も腹を立てているのだろう。
外壓で遺失物回収を強制して来ている癖に國家機密扱いで捜査対象を秘匿する其の態度に苛立ち、形式上搜査本部を設置し、その実、加特力の國内での動きを監視するのが目的。
そんな処だろう。
まぁ、こんな事に巻き込まれて今此処に居る俺が一番噦ついているんだがな。
「寫眞等、公に出來るものは御座居ますでしょうか?」
「――寫眞?彼ノデスネェ~、機密事項デスヨ!ハッハッハッ……Stulti」
神父は愛想良く笑みを浮かべ乍ら答える。
西岡も釣られて照れ隠しをするかの様に微笑み、頭を搔く。
――全く話にならん。
「Mihi ignoscas、彼は國家機密級の眞意を履き違えて居り、大変失礼な質問を為てしまいました。
小官が責任を以て搜索致しますのでご安心下さい」
蓼丸が答える。
神父は僅かに眉を顰め、蓼丸を覗く。
「Quod nomen tibi est?」
「Mihi nomen est Taketo Tademaru.
もし宜しかったら、羅甸語、或いは伊太利亞語でお話しましょうか?」
「ハッハッハッ、日本語デ問題アリマセーン。羅甸語ハ會話ニハ不向キデス。
ワタシモ早ク日本語ノ音調ヲ覺エタイノデス」
矢張り、此奴は舐めていやがる。
此奴が保有している國際資格も厄介だ。
尤も、既に食細菌型発信器を仕掛けた。
此奴自身も対象者って事に気付いてはいない。
愚か者は、此奴自身、だ。
扨、神父との接触と追跡は是で終い。
本廳の科學搜査硏究所の特別捜査官世良警部補に連絡。
千葉市内に設置された監視カメラに残された記録を洗い出す。
容易い――
来週中にでも本廳に帰還だ、な。
――千葉中央警察署刑事課喫煙室
千葉縣警察部本部廳舍から署に戻った鈴本と永江の二人は、共に帰った部下達と分かれ、喫煙室に居た。
「永江さん、どう思いますか?」
カリンカリン、とシルバーが擦れ合う重い響きをリズミカルに繰り返す。
ジッポーの蓋を世話しなく開閉する鈴本。
考え事をしている時に出る、余り上品とは云えない何時もの癖。
永江は其の様を指差し、軽く諫めつつ、片手でマッチを点火し、右頰脇から咥えた煙草に火を点ける。
「鈴本、お前は賢いから何かと言葉を割愛しちまうが、俺には何の事を云ってるか、サッパリ分からん」
鈴本は永江より階級や役職は上だが後輩。
所謂、準キャリアとノンキャリア。
鈴本は永江を慕って刑事課への配属を願った。
永江も二人きりの時は敬称も役職も付けずに呼び捨て。
暗黙の了解。
永江は鈴本を信用しているし、鈴本は永江を信頼している。
「すみません。挾間田神父の事です。どうにも彼の人物、信用に値しない、と云うか。人を食った態度が気になります」
ジッポーの回転鑢をカリカリと回す鈴本。
手持ち無沙汰と僅かの雑音が鈴本の思考速度を高める原動力。
知ってはいるが煩わしいので永江は指先を手首のスナップで振り、亦も諫める。
「そりゃそうだろ。外國の、況して宗敎屋の言なんて何一つ信用ならん。大事な事なんぞ何一つ話ゃせんだろうし、恐らく、勝手しやがるだろうさ。
それより…気をつけなきゃならんのは、警視廳のあんちゃんと特高外事の小僧だ」
「六課の管理官と特高の調査官ですか?確かに、多少常識に缺き、前者に至っては才覺を鼻に掛ける節は見られましたが、其れ程、濫りに動く樣にも思えませんでしたが」
永江はショートピースを吹かし、眉毛を環指で撫で付ける。
永江の癖。
煙草を母指と示指で摘まみ、上側に向けて持つ癖がある為、眉毛を撫でる時は環指と相場が決まっている。
「エリートのあんちゃんは紅毛人に發信器を、外事のガキはあんちゃんに盜聽器を忍ばせおった。
共同搜査だっちゅーのに、協力關係に在る仲間を探っとる樣じゃ、見付かるもんも見付かりゃせんわ」
「追跡けときますか?」
「否、其れより地取りだ。目撃者を洗う」
忙しくなるぞ、と呟き喫煙室を一足先に出る永江の背を眺める鈴本。
――頼もしい先輩だ。
殆ど情報開示されない上、外國の宗敎絡みの面倒な事件だが、永江が居てくれるだけで安心感が増す。
俺は俺で遣る可き事を。
恐らく確實に存在するであろう閒諜から搜査を守らねば。
点けたばかりの煙草を吸殻入れに投げ捨て、喫煙室を後にした。
――千葉縣警察部特別高等課
外事係調査官久我舜警部は自分の机に着いていた。
凡そ、千葉縣警察部で自身のデスクをマルチディスプレイで囲んでいるのは、コンピュータ犯罪捜査官を除けば、久我くらいなものだろう。
キャリア組として警視廳特別高等警察部から出向して来た新人の身ではあるが、本廳から大役を仰せ付かってしまった。
<敎會犯罪組織を曝け>
敎會マフィアと云うのは、飽く迄も俗称に過ぎない。
『Fiat eu stita et piriat mundus(正義は為されよ、縱や世界が滅ぶとも)』と云うのが正式名称で、コーサ・ノストラ、カモッラ、ンドランゲタ、サクラ・コローナ・ウニータと並ぶ伊太利亞五大犯罪結社の一つ。
加特力敎徒は十三億人も居る為、其の影響力は計り知れない。
実の処、國内では加特力系敎會マフィアの影響力は微々たるもの。
國内には八九三がいる。
毒をもって毒を制す、ではないが、闇社会は監視対象として行き届いた八九三の方が具合が良く、この非合法組織によって海外勢への牽制になっている。
併し、問題となっているのは朝鮮系敎會や新興宗敎に紐付いたマフィア。
國内で影響力の乏しい加特力系敎會マフィアを吊し上げるのは、外壓を掛けて来た伊太利亞への牽制に加え、宗敎系マフィアの一掃。
その為に、挾間田には人身御供になって貰う。
予定外だったのは、蓼丸警視の存在。
聞けば、帝大の先輩との事。
真逆、俺より早く挾間田本人に目を着けるとは、流石に切れ者。
敎會マフィアの件は特高外事からの特命。
如何に本廳からの応援とは言え、そんな話を知る由もないだろう。
にも関わらず、本件の遺失物ではなく、神父を追うとは、中々面倒。
だが、そのお蔭で此方の存在が先方にバレずに済む。
蓼丸を追えばいいからだ。
既に仕込んだ盗聴器から科搜硏に連絡済みなのも把握している。
成る程、な――
神父と遺失物、双方共に追っている。
“出来る”男、だ。
尤も、二兎を追う事が出来るかな?
「…近付くか」
ぼそり、と独り呟く。
いかん!
つい、考え事が言葉に出てしまう。
上手い着想が浮かぶと、うっかり口にしてしまう。
落ち着く為、何時もの様にトローチを一錠、口の中に放り込む。
トローチを舐めている間、此の独り言は出ない。
幼少の折から雑念を払う為の久我にとっての必須アイテム。
併し、舐めきる前にボリボリと噛み砕いてしまう。
是も何時もの事。
だが、落ち着いた。
よし、蓼丸に近付こう。
調畧、だ。
――加特力千葉敎會聖堂
「是は是は、ピエトロ・ダキーラ神父。お待ち申し上げておりました」
千葉敎會の主任司祭、谷山神父は法迪坎から來客を歓迎した、表向きには。
望まれざる客。
谷山は嫌厭していた。
“柩”の件で敎區長から対応を迫られ、警察との折衝で辟易。
彼から碌に寝ていない。
法王聖座から擔當者が來る事は知っていたが、國務省外務局からではなく、聖職者省什一獻金局からというのが益々、彼を悩ませていた。
「Salve、谷山神父。気軽ニ挾間田トオ呼ビ下サイ」
ニコニコと満面の笑みを浮かべる挾間田だが瞳に表情は無い。
谷山は直感する。
この男、可成り“深畏”処から来た、と。
囘收屋が独りで動く訳がない。
三位一體が基本。
彌撒に紛れているのか?
「先刻カラ瞳ヲキョロキョロトサセテイマスガ、此方ニ参ッタノハワタシ独リデスヨ」
「…いえ、禮拜に來られた信者の皆樣を見て居りました」
「――本當デスカァ?」
何と鋭い人物か。
俗世に想いを巡らせば、悟られてしまう。
主への祈りを捧げ、気を紛らわせるのだ。
AMEN――
「ドウシタノデスカ谷山神父ゥ。酷ク汗ヲ~、搔イテイル樣ジャァナイデスカァ」
見上げる程の大男、挾間田が急に顔を近付ける。
――ベロリッ!
ザラリとした感覚が額を這う。
行成り、谷山の額を其の大きな舌で舐め付けた。
「うッ、うわぁ~ッ!!な、何をっ!?」
「精神性發汗!エクリン汗腺以外ニアポクリン汗腺ガ働クアドレナリン作動性發汗。ストレス、緊張、自律神經ノ亂レ他、情緖刺激ニ伴ウ發汗作用。
頭皮、髯周リ、掌、足裏、腋、外耳道、鼻翼、鼻前庭、臍、乳輪、外陰部!脂質ヤタンパク質ヲ含ム爲、大變臭イノデス」
突然、何を云っているんだ。
冷や汗、の事を云っていのか?
挾間田の瞳はチカチカと明滅するかの様。
「是ハァ~、頗ゥ~ルゥ……臭イッッッ!」
「えっ!?」
「嘘ッ!ウソッ!ゥゥウ~~~ソォヲツイテイルゥ、味ガスルゥーッ!!」
「ヒィッ!!?」
「ワタシニ、否、主ニ仕エル者ガ嘘ヲツイテハイケマァ~センッ!
ア~、ユゥ~、エェェ~ィメェン?」
笑顔、という表情を浮かべるものの、蔑む様な下目遣いには怒りの色しか見られない。
笑顔の仮面の下には、怖ろしい本性が潜んでいる。
危ない。
この男、“敬虔過ぎる”。
「赦シマス!1度ノ嘘ハ赦シマス。主ハ寬容。子羊ノ罪ニ寬容ナノデス。
併シ、其レガ赦サレルノハ2度迄。主ハ寬容デスガワタシハ其処迄寬容デハ無イノデス!」
「す、すみませんでした…」
素直に連れが居るかどうか、尋ねておけば良かった。
不用意な嘘や言い訳は返って疑われる。
併し、これで分かった。
敎會にとって彼の遺失物は“重要”だと。
慎重に事を進めねば。
努めて冷静に遣り過ごさねば。
挾間田による評価は其の儘、使徒座に報告されてしまう。
神よ、吾を祝福し賜え。
「扨~、是カラワタシハ散策ニ参リマス」
「え?長旅からの休養を取られてからの方が宜しいのでは…」
「イエイエ、是非トモ見テミタイノデスヨ」
「な、何をで御座居ますか?」
「異敎徒ノ豚共ノ憐レナ樣ヲ!AMEN!!」