參滴:惡魔の契約 - Pacta Sunt Servanda -
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――心謎解色絲鬭
特異点爆発(SE:Singularity Explosion)以降、鬱積した憤懣を解消する為に國家主導で作り上げられた現代の劍鬭士、“殺戮士”達による殺戮鬭技會。
賭場に代わる大衆娛樂として劍鬭士発祥の地、伊太利亞帝國で考案され、獨逸第三帝國で流行した。
当初、國營のみであったが間もなく大英帝國で民閒に開放され、企業による興行主による心謎解色絲鬭が爆発的に人気を獲得し、一気に世界中に広まった狂気の祭典、惡魔の催事。
大日本帝國には民間主催の心謎解色絲鬭が先んじて興行され、國營興行は其れに遅れて開催される事になる。
現在では大晦日にテレビ各局で中継される程の人気を博しており、臣民的娛樂の一つに成っている。
風紀振肅社会が全世界的に進められているにも関わらず、此の様な血生臭い享樂が國家で容認されているのには大きく七つの理由がある。
一つ、内乱や紛争の多発や政策への反対他、辟易とした社会への瓦斯抜き。
一つ、暴力に因る社会不安を取り除く為の捌け口。
一つ、世界人口増加に因る食糧不足解消目的の口減らし。
一つ、特異点爆発に因る遺伝子欠陥種等、魑魅魍魎の類の収容先確保。
一つ、非合法組織や脱税者からの税収間接徴収と経済効果。
一つ、人材発掘調査と生体実験素材確保。
一つ、危険人物や違法技術、魔術、薬物等の発見と調査対象。
併し、是等は心謎解色絲鬭成立の真意ではない。
其の眞の存在理由は他でもない。
人間は本能的に鬭爭と殺意、悅樂に滿ちており、自身の身の保全が確証されている時、是を慾する、と云う浅ましき生命に他ならないからで有る。
倫理と法と社會性とに束縛されず、身の危險を回避する絶対的な信賴が約束されれば、人は何処迄も慾望の虜に為る。
そうした人間心理の奥深くに有る歪んだ本能が、心謎解色絲鬭と云う地獄を生み出した。
惡魔は、人の心にこそ潛んでいるのだ。
その惡魔の囁きが齎した萬魔殿の具象化、其れが“心謎解色絲鬭”。
今宵も亦、美しき屠殺劇場が官能的に自虐的に、鮮血く足搔苦染まる。
――閑話休題
此の手の服しかない。
ゴスロリ、と云うんだっけか。
妹の好む服装、其の傾向、そして、傾倒。
はっきり云って俺には良く分からない。
矢鱈嵩張り、小物も多く着辛く、動き難く、重く、暑い。
黒を基調とし、差し色はあるにしても女の子らしいカラフルさは皆無、暗い印象。
孔版画や白黒写真の様に深みはあるが味気ない。
併し其れでいて少女趣味的。
只一つ分かっているのは、親父と一緒に過ごしていた時、まるでお姫様の様なドレスを好んで買って貰っていた事。
よく遊んでいた人形と同じ様な服を欲しがっていた。
彼の頃は桃色や橙色、白、緑、黄、青…実に色彩豊か、鮮やかだった。
其れを考えれば、彼の頃の趣味の一部が引き継がれているのか、或いは投影されているのか。
もしかしたら、妹なりの叛骨と愛情が“是”に現れているのかも知れない。
良く分からない。
良く分からないが、今は其れさえ愛おしい。
其の少女、クローディアに妹の服を渡す。
何時迄も裸の儘では居させられない。
迚も今風とは呼べない不自然な服飾、偏った趣味の其の服を彼女は素直に着てくれるのだろうか。
只、何となくだが彼女には、其れが似合いそうだ。
少女は目を丸くして装飾華美な衣装をまじまじと見詰める。
生地の触感を確かめ、線帯を指で擦る。
何故かクンクンと鼻を近付け、匂いを嗅ぎ、舌先でチロッと舐める。
未知なるモノを品定め為る様。
人がそうすると云うよりは、仔犬や仔猫がする仕草に近しい。
奇妙な感覚。
「…ヴィクトリア朝ノ衣装ヨリモ遙カニ洗練サレテイル。コレハ好イ」
少女は日本語をほぼ完璧に理解でき、喋る事も出来る。
只、音素や音調は出鱈目。
知識や情報として備わっているが実際の使用例が少ない、或いは、ほぼ無い、そういった印象。
「気に入ってくれたのかい?」
「君ノ妹ハ、感性ガイイ。ボクニ献上スル裝束ハ全テ此ノ類ノ物ヲ」
「気に入ってくれたのなら良かった…」
妹の服を無断で貸す、というのは複雑。
併し、是しかない上、今、妹は是を身に纏う事は出来ない。
妹だって、着てくれる者が居てくれた方が喜んでくれる筈。
――ん?
妹。
今、彼女は確かに“妹”と云った。
本当に聲が聞こえていたんだ。
超感覚的知覚(ESP:Extrasensory Perception)の類だろうか。
俺には“無い”能力。
俺は――無能。
無かったからこそ、親父から疎まれ、お袋と妹迄巻き込んでしまった。
妹がこんな目に遭ってしまったのは、俺の所為だ。
なんて、俺は無能なんだ。
「ドウダ君、似合ウテオルカ?」
――美しい。
磁器製球体関節人形を彷彿とさせる神秘的な可憐さ。
特徴的なゴスロリ衣装の所為か、妙な不安感を煽るものの、実に品がある。
幻想的で神々しく、何処か背徳的で退廃的。
バロック的な画法で描かれた死の舞踏をテーマとした天使、否、堕天使か、そんな印象。
色彩変化が少ない、その所為だろうか、矢鱈と儚げ。
白過ぎる肌に透ける様な銀髪、僅かな金属光沢を放つ白い瞳に黒を基調したゴスロリ衣装。
現実の雑味に満ちた色彩の中にポッカリと開いた陰画が浮き上がる。
差し色の赤と藤色以外、白黒。
暫し、目を奪われる。
「――…う、うん…凄く、似合ってるよ…」
微かに少女は笑みを浮かべた、そんな気がした。
「扨、君ノ妹ハ何処ニ居ルノダ?」
「…ぁあ、こっちだよ」
築百年になろうかという安共同住宅の間取りは三部屋。
三部屋ある内、その一番奥の部屋、其処に妹を寝かせている。
安い組み立て式の寝台に、妹は寝ている。
窶れたか細い少女は、穏やかな表情。
今、容態は安定している。
時折、苦しそうな咳をするものの、一見、深刻そうには見えない。
併し、彼女の体を蝕む病巣は深刻。
特發複合性擴張型心筋症第壱號症例。
心拡大と収縮機能障害を齎す心筋の病気で、原因不明なものを特発性、遺伝子バリアントによる評価で近親者が二名以上いる場合には家族性と診断される。
妹の症例は、遺伝性と非遺伝的要因の複合例で国内では初めての症例。
実はお袋が拡張型心筋症で亡くなっている。
お袋は、仮称魔力性拡張型心筋症という病。
非遺伝的、後天的な要因、其れも特殊な魔力に因る影響と診断された。
妹が発症した心筋症が全く同質であった為、遺伝的、且つ、魔力を起因とした症例と認定された。
特異点爆発以降、魔力に起因した免疫障害が引き起こされているが、是に有効な治療法は未だ確立しておらず、人工心臓か補助人工心臓を使うしかない。
心臓移植や遺伝子治療は凡そ、成果が見られないと醫師達は云っている。
是は別の魔力性症例の治療において移植手術や遺伝子治療に効果が見られない為、そう推測された。
魔力起因の心筋症症例とその治療法が無い為、人工心臓が唯一効果のある治療だと考えられている。
特異な症例である為、大學や医療センター、著名な醫師達は無償で治療を行うと提案してきたが、研究対象として一生外に出られない条件が何処も同様に提示されていたので断った。
妹は、病理実験体じゃない。
少女はベッドに横たわる妹を一瞥し、
「心臟ヲ患ッテイルノネ」
「――よく分かった、ね…」
「治ス事ハ出来ナイネ」
「……」
「デモ生カス事ハ出来ル。君ガ考エテイル機械ノ心臟ニ置キ換エル方法モ其ノ一ツ」
「うん、今の処、是しかないんだ」
「デ、具体的ニ君ハドウスル心算ダイ?機械ノ心臟ハ高額ナノダロウ?」
妹の寝室から居間に移動し、少女に手招きする。
テーブルに置かれたノート型パソコンのスリープを解き、モニタに映ったウェブサイトを指差す。
「殺戮士になるつもりだ。心謎解色絲鬭に出て賞金を稼ぐ」
サイトには殺戮士募集の広告が載っている。
其処には魅力的な賞金額が表示され、誘っている。
少女はモニタにちらりと視線を落とすが、表情を変える事なく話を続ける。
「心謎解色絲鬭ネェ。彼ノ無粹ナ競技會ニ挑ムノカイ?彼レハ人殺シノ祭典。君デ勝チ殘レルノカイ?」
「云っても分からないかも知れないけど、うちの家系は、とある剣術の宗家なんだ。なので、幼い頃から親父…父親に技を仕込まれたんで、少しくらいは戦える筈なんだ。
以前から何度か考えた事はあったんだけど、妹の世話をしなければならないから出られなかった。
クローディア、君が助けてくれるのであれば、俺が怪我を負っても俺の代わりに妹の面倒を看て貰う事が出来る」
僅かに少女は表情は曇らせる。
「君ハ何カ勘違イヲシテイル様ダネ。扶ケルトハ云ッタケド、ボクハ君ノ侍女デハナイ。君ガボクノ執事ナンダ。召使イノ身内ヲ主人ニ看サセルノハオカシイダロ。妹ノ面倒ハ君自身ガ看ナヨ。
其レニ剣ヲ習ッタト云ッテイタケド、此ノ家ニハソモソモ剣ガ無イデハナイカ」
刀は疾うの昔に売ってしまった。
生活費と妹の薬代、お袋の葬儀代を捻出する為に売らざるを得なかった。
そもそも、何かを犠牲にして迄、持っておく程の価値、否、意味はなかった。
「妹の面倒を今迄通り俺が看るとなると…心謎解色絲鬭には出られない……五体満足、怪我無く、常に勝てるなんて流石に思っていない…」
負ける心算は毛頭無い。
だが、無傷で勝てるとも思っていない。
俺が死ぬだけなら其れでいい。
併し、俺の死は妹の死に直結する。
妹は誰かの手によって世話されなければ生きては行けないのだから。
「着想ハ惡ク無イ。貧困層ノ少年ガ大金ヲ稼グ事ナンテ非合法ナ生業カ、心謎解色絲鬭デ運良ク勝チ殘ルクライシカナイ」
「ああ、うん」
「デハ、君ノ代ワリニボクガ心謎解色絲鬭ニ出ヨウ。召使イノ生活ノ面倒ヲ保證スルノハ主人デアルボクノ役目ダ」
「ええっ!!危ないよ!」
「ヤハリ勘違イシテイルナ?ボクハ君ガ千人掛カリデ襲ッテキテモ皆殺セル」
「…そ、そうなんだ…」
「デ、是ガ重要。君ヲ資金的ニ扶ケル代ワリニ、君ハボクニ“血”ヲ提供スル事。普段デアレバ血ハ一滴アレバ十分」
「――ああ…」
――血。
そうだった。
少女は“吸血鬼”。
メディアでしか見た事はないが、吸血鬼の身体能力が凄まじいのは知っている。
あれ程の疵が一瞬で消え失せ治癒したのも、俺を突き飛ばした時の膂力も、尋常ではなかった。
この少女を見掛けの儘判断してはいけない。
併し、余りにも愛くるしい其の姿に、妹の姿が重なってしまう。
似ても似つかぬ容姿なのに。
「ソール!」
「!?」
「君ノ名サ。龍也ッテ名ハ呼ビ辛イ。天道モ言イ辛イ。
天道ッテ此ノ國デハ太陽ヲ意味スル言葉デショ?ナノデ、天道ッテ呼ブ事ニスル」
「…俺は君を何て呼べばいいの、かな?」
「忠誠ハ態度デ示セバイイノデ別ニ敬称ハイラナイ。其ノ方ガ自然ニ見エルカラ。
クローディアデモ、クレアデモ、ディアデモ、ディディデモイイ」
俺は少し考え、
「――クロ、ってのはどうかな?」
「…クロ?」
「今君が着ている服の色も“黑”。迚も似合うし、綺麗だし、肌が白いから黑がよく映える」
「…君ノ瞳ノ色モ黑。君ノ瞳モ美シイ」
「あぁ、是は日本人なら、と云うより亞細亞人や阿弗利加人みたいな有色人種であれば皆黑い瞳を持ってるよ」
「……ソウ…」
少女は口を噤んだ。
何か癇に障ったのだろうか。
テーブルに置かれたPCを覗き、タッチパネルを操作する少女。
暫し沈黙が続き、モニタの光源だけが色取り取りに変化する。
軈て彼女はモニタから指を離し、1つのウェブサイトを指差す。
其処には『船橋若松劇場』のサイトが映し出されている。
殺戮士募集記事。
「此処ニシヨウ」
「ちゃんと見て確かめてみてからのがいいよ!もっと近場にも劇場はあるし、ちゃんとした劇場は幾らでもあるよ。其処はストリップ小屋だ。奇異の目に晒されるだけだよ」
「――君ハ何モ分カッテイナインダナ。違法・非合法ノ方ガイイ。君ハボクトドウヤッテ出会シタノカ、モウ忘レタノカイ?」
「あっ!?」
「ヒッソリト、目立タズ、悟ラレナイ様ニ、コネクションヲ作ルンダ。ソウシナイト君モ妹モ生キテハイケナイ。無論、ボクモ」
「…わ、分かったよ」
注意力、否、配慮が足りない事を痛感した。
衝撃的な少女との出会いから此処に至る迄、夢でも見ているかの様で、地に足がついていない、そんな感じ。
もう、昨日迄とは違う。
そう、俺は彼女と、其の吸血鬼の少女と出会ったしまったんだ。
平常ではいられない。
そんな事くらい気付いて然るべきなのに。
心臓がバクバクする。
不安と恐怖からなのか、それとも心躍っているのか、どちらに起因した鼓動の早さなのか分からない。
脈打つ様が、心音が五月蠅い。
俺の焦りを余所に、少女は涼しい顔を浮かべている。
モニタ色に染まる彼女の横顔は、妙に神秘的。
其の超然とした少女の表示を見て、俺は“覚悟”を決めた。
船橋に発ったのは翌日の事だった。