貳滴:ワルツ第零番ト短調”犬死のワルツ” - Death Metal Waltz -
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――船橋若松劇場。
創立100年以上の老舗劇場。
ドールハウスとは言ったものの、此処は本来ストリップ劇場。
客席数100席の小劇場だが心謎解色絲鬭開催日にはオールスタンドでキャパ150~200迄膨れ上がり、熱狂的な観客でごった返す。
狭い会場は空気が薄くなり息苦しく、空調の悪さの所為で矢鱈と蒸し暑い。
踊り子と殺戮士達の着けた香水で更に噎せ返る。
若松劇場の人気は、何と言ってもストリップ小屋らしい心謎解色絲鬭のカードが組まれる事。
この舞台に上がれる殺戮士は性転換を伴わない生来の女性に限られ、奴婢訓と呼ばれる特異なサービスが行われている。
奴婢訓――
女殺戮士達による心謎解色絲鬭により敗北した女性は、その生死に関わらず、生板ショーの対象、即ち、観客との性交が行われる。
特に敗死した殺戮士の体の解体ショーとバラバラにされた部位を客席に投げ、記念品がてらに持ち帰らせるサービス“破狡褸”は、正に狂気の娯楽戰斗。
この奴婢訓が実施されているドールハウスは、帝都外に多く見られ、主にストリップ小屋で開催されている。
東京5区では条例で禁止されている。
尤も、禁止されている、というだけの話だが。
風紀振肅社会が聞いて呆れる。
それくらい、世の中は腐りきっている。
C級殺戮士のギャラは一律6万圓天。
此処から色々引かれ、実際に殺戮士が手にする事の出来る額は4万圓天ちょっと。
これでも並の風俗嬢が稼ぐ額より多い。
ここに指名チケットの販売ノルマを越えた分、僅かにボーナスが入る。
残念ながらC級殺戮士には、客の賭け金は分配されない。
但し、奴婢訓の場合、別途客引きが出来る。
客引きを行い、特殊サービスを実施すれば、その売上の半金が手元に入る。
そういった状況から、女殺戮士達は奴婢訓有りの心謎解色絲鬭に出場する。
これが殺戮士の出演が後を絶たない理由である。
本日も亦、劇場の外に掲げられた香盤表には、多くの女殺戮士の写真と名が掲載されている。
その中に、仏蘭西人形宛らの美しい少女の写真とクローディアの名が掲げられていた。
――若松劇場の舞台上
今宵の大トリ、上手コーナーには、和装と洋装を組み合わせた様な露出の多い格好をした年増女が立つ。
花魁とギャルファッションに格闘ゲームの女性キャラクター宛らのコスプレ的な要素を掛け合わせたかの様な衣装。首には緩めに着けられた白金の鎖と板金。“Killing me Softly”と刻印されている。
踊り子としても舞台に上がる彼女は妖艶。
殺戮士名を、死儡赫映。閃光傾國の異名を持つ。
明らかに、他の殺戮士達とは雰囲気が違う。
踊り子を兼ねる殺戮士は、心謎解色絲鬭で命の遣り取りをしない、と相場が決まっている。
従って、幾つものルールが事前に取り決めされており、台本が用意されている事もある。
演者、と呼ばれる殺戮士で、E級、と揶揄される。
殺戮士はC級迄しか存在しない為、本来はC級殺戮士なのだが殺し合いをしないので、演技の頭文字からE級と呼ばれる。
ちなみに、殺戮士として心謎解色絲鬭の舞台に上がらず、ストリートファイトを行う者達をD級と呼ぶ事がある。
殺戮士ライセンスは帝國殺戮士評議會(IDC:Imperial Dor Council)が発行、運営、管理しているが、評議會に所属している劇場が仮発行、運用、管理する事も出来る。
評議會への会費も馬鹿にならない為、多くのC級殺戮士は評議會ではなく、各劇場に所属するのが通例となっている。
今、この舞台に上がっている彼女は、本物。
B級2組に属する彼女は本物の殺戮士。
生死の狭間を生き抜いてきた彼女の舞踏は、ストリップでありながら芸術の域。
若松劇場の花形の一人。
赫映は命の遣り取りから台本迄熟せるオールマイティ。
勿論、本気の勝負で負けた事は一度も無い。
その彼女が、今日の大トリでは生死を賭けた勝負をしない、というセーフティールールを提案した。
その理由は、対戦相手が心謎解色絲鬭初デビュー戦、且つ、幼い少女だから。
少女のキャラ付けは、吸血鬼人形。
不健康そうな自棄に白い肌にゴスメイク、若干のパンク要素を取り込んだゴスロリ衣装に身を包む其の様は、ギミック通り、寧ろ作り込み過ぎと迄云える。
安直だが的確、在りがちだが適切、当たり前だが適当。
初めての舞台でのギミックとしては、是で十分。
無論、本物の吸血鬼であったとしたら間違いなくA級以上の殺戮士だが、そんな稀少種はほんの一握りに過ぎないし、この劇場では荷が重い。
本物等、誰も求めていない。
そう云う時代、そう云う世、そう云う世界、否、其れが舞台。
幼い少女がストリップ劇場で開催される心謎解色絲鬭に出場する事自体が稀有。
この非常に珍しいケースであれば大トリに相応しく、生死迄は問わないセーフティールールでも十分盛り上がる。
奴婢訓や破狡褸は、一部の勘違いした強いと思い込んでいる女殺戮士達だけでいい。
この少女には、今後も劇場を盛り上げて貰う為にも、E級で活躍して貰わねば。
下手コーナーに立つ少女は、正しく“人形”。
ゴシック&ロリータと呼ばれる衣装を身に纏う其の姿は、何とも幻想的で退廃的で耽美的、其れでいて少女趣味。
彼女の其れは、正統なゴスロリ・ファッションとは違うらしい。
らしいと言うのも、其れを詳しく知る者がいないから。
そんな事より、驚くべきは彼女の演技力、表現力、演出力。
子役も真っ青な程、糸繰り人形の様な実に古典的で相似形な絡繰りの様な動きで舞台に登場する辺り、演者に向いている。
現代の自動式機械人形は人間と全く見分けが付かない為、いっそ彼女の方が人形らしい。
舞台司会の殺戮士紹介に応じ、赫映と少女は張り出し舞台に歩を移し、観客席のほぼ中央で対峙する。
軈て、ファイトの掛け声がかかり、サイレン音が谺し、試合が始まる。
セーフティールールを採用したとは言え、台本は無い。
そもそも、心謎解色絲鬭初出場の少女に台本を覚えさせるのは困難。
投了するか、行司の10カウントによる気絶判定か、TKO判定で勝敗は決する。
素手での戰いに限定し、兇器の使用を認めない。
扨と――
どうやって此の少女に勝たせる、か。
あたしの見せ場も作りつつ、少女の魅力と危機を演出しつつ、逆転劇からの少女の勝ち。
是が好い。
身長差があるので上段攻撃は本来無意味だが、見栄えが良い上、少女が躱しているかの様な錯覚を与える事も出来る。
少女の頭上ギリギリを掠める様な危うく鋭い攻撃を基本に試合を組み立てる。
そんな処。
対峙して多少の間。
緊迫感も演出の一つ。
焦りは禁物。
焦らす事が観客の興奮を搔き立てる。
舞台の上も寝台の上も同じ。
視線から感じる興奮の高鳴りを一身に感じ、赫映は動く。
見逃さない、絶頂の瞬間を。
――シッ!
赫映は、息を素早く吹きつつ、下段回し蹴り、途中で膝を外側上段に折り畳む様に掲げ軌道変更、袈裟斬りの如く上段回し蹴りを蹴り抜く。
伯剌西爾蹴り――体感は基より、軸足の使い方、股関節や膝関節の柔軟性、平衡感覚、修練に至る迄、完全なる格闘術、手練れ。
其れだけで本物と分かる。
少女の頭上に鋭い蹴りが繰り出され、其の風圧で小帽子髪飾りがカサリと揺れる。
見っとも無い――
髪飾りだけ蹴り飛ばそうと振り抜いた心算の蹴りだったのに、掠める事すら出来なかった。
試合の組み立てに気を取られ、精度が落ちている。
こんなんじゃ、少女に怪我を負わせ兼ねない。
「…オバSAN、考エ事為テルノ?」
「えっ!?お、おば……喋れるのかい、アンタ」
戦いの場には相応しくない程、装飾った爪を口許に近付け、
「オバSANニハ敵意ガ無イ。害意ガ無イ。殺意ガ無イ」
「――ふ~ん…で、あたしにその気がなかったんなら、アンタはどうすんだい?」
「カンケーシ」
「ん?…どういう意味?」
「オバSANニ戰鬭ノ意思ガ無クテモ関係無イ」
「フフッ、それじゃあ、どうするんだい」
不意に少女はフラリと蹌踉ける。
床板に躓いた訳でも足が縺れた訳でもなく、力なく少女が前倒りになる。
「えっ!?」
赫映は倒れそうになった少女を抑えそうと手を伸ばす。
其の小さな体躯を抱えた赫映は、カラコン越しに爛々と輝く少女の眼差しにハッと息を呑む。
「――コウ為ル」
――ザンッ!
赫映の顔が血に染まり、左腕が重力を失ったかの様に宙を舞う。
張り出し舞台から吹き飛ばされた片腕は回旋鏢の様にくるくると回りながら観客席へと投げ出される。
観客達は挙って其の持ち主を失った腕の所有権を求め、我先と奪い合う。
餓えた豚より浅ましい光景。
悍ましい餌の取り合いから一瞬遅れ、舞台から劇場内を悲鳴が包む。
――ギャアアアァァァーーーッ!
肩口近くの上腕から夥しい鮮血が吹き出す。
赫映は右手で傷口を押さえ、舞台上を転げ回る。
暴れれば暴れる程、その前衛的な朱の能書で舞台を染め抜いて行く。
ジタバタと暴れる赫映の横顔を厚底の御凸靴で踏み付ける少女。
少女は血塗られた装飾爪を舌先で舐め、赫映を見下ろす。
「命迄ハ奪ワナイデ上ゲルヨ、オバSAN。
戰意ガ無カッタカラ、オバSANハ負ケタ。惡意ガ無カッタカラ、オバSANヲ助ケテ上ゲル」
既に赫映は気絶している。
周章き駆け寄る行司は読上する事なく少女の勝利を告げ、舞台医師と治療班を呼び込み、赫映を舞台裏へと搬送する。
外様の殺戮士であれば此処迄遽しくはならない。
赫映は此の劇場の花形、自ずと関係者達は慌てる。
本来であれば大トリの後にストリップショーで締める筈の舞台は、不慮の事故の影響で中止となり、若松劇場は火を落とす。
観客達からの野次がなかったのは、偏に花形スター赫映の片腕が破狡褸となったから。
千秋樂結びの壱番でもないのに最高級の奴婢訓が行われた事に、寧ろ観客達は満足して劇場を後にした。
関係者がバタバタしている最中、龍也は舞台袖からクローディアの試合を覗いていた。
張り出し舞台迄は距離がある上、袖幕で光源が遮られている為、はっきりとした様子は分からなかったが、クローディアが勝利した事は明らかだった。
こんな怖ろしい心謎解色絲鬭の舞台で、而もストリップ劇場と云う場所での戦いに彼女を巻き込んでしまい、少年は自責の念に駆られていた。
併し、取り敢えず今は彼女の勝利を祝おう。
其れしか少年には出来ないのだから。
ほっと胸を撫で下ろし、クローディアを待つ。
少女は何食わぬ顔、と云うより、端から無表情の儘、舞台袖に戻り、
「オ腹減ッタ」
と、ぼそりと囁き、楽屋通路を奥へと進む。
其の一言で察する事が出来る様になる迄、もう少しだけ時間が必要だった。