エピローグ②
白い空間で保は光の中で消えたある人物に別れを告げた。
「さようなら、アキホさん」
白の世界で、まだ淡く彼女の残り香が残っているような気がしたが、それは錯覚だろう。
リーアの側で息を引き取ったアキホは、保と同じ狭間の世界にやってくることができた。
狭間の世界で、アキホが満足するまでずっと話を続けていた。どれぐらいの時間経過したのか分からなくなるほど長い間、保はアキホの言葉に耳を傾け続けていた。それが、つい先程終わりを迎えたのだ。
満ち足りたアキホの表情がいつまでも白の空間に残っているようで、保もアキホの笑顔に心が救われた気持ちだった。
直後、訪れるのは静寂の時間。
音のない空間で保は、遠くの世界を眺めた。
望めばいつだって、リーア達の様子を窺えた。
何度かリーア達は危機に立たされたことがあったが、その度にリーア達は自分達の力で乗り越えてきた。
介入しようと思えば、保はいつだってリーア達に助け舟を出すことはできたが、それは極力したくはなかった。
あの世界で生きる者達が危機を乗り越えるからこそ意味があるのだ。ここで介入してしまえば、世界の意思は人類の存続を望むことはないだろう。
孤独に気が狂いそうにもなったが、保は前向きに考えるようにした。
人間の寿命なら、リーアとはさほど長くはいられない。だが、人類の意思となった保は永遠にリーアを見守り続けることができた。それが嬉しい反面、死んだのと同義であることに悲嘆に暮れることもある。
国政に追われるリーアを眺めていたら、誰も立ち入ることのできない狭間の世界に足音が響いた。
振り返れば、懐かしい顔がそこにはあった。
「――観測者か」
キツネ顔した男がにゅっと目を細めれば、足を動かすことなく滑るようにして俺の前に現れた。
ぼんやりとしていた俺に気づかせるために、わざと足音を立てたのだろう。昔よりずっと人間臭くなっているようだ。
「人生を過ごしてきたぞ」
「どうだった? 楽しかったか? それとも、苦しかったか?」
世界の命運を左右する質問を、俺は気軽に話しかけた。
長い年月が経過していたせいで、いつしか俺は世界の意思に対して友人に近い感情を抱くようになっていた。森羅万象全てにおいて、俺と同等の存在はもう観測者しかいないのだから。ただ俺だけじゃなく、観測者も似たような気持ちになってほしいとは思った。
観測者はしばらく思案するように、顎を撫でれば、薄ら笑いと共に告げる。
「両方だ」
「なんだ、両方か」
「ああ、人間として生きるというのは、辛く苦しい時が多い。ただ生きるだけでも、辛い思いを強いられた」
「そりゃ人間だし、当たり前だ」
愚痴る観測者に俺は苦笑しながら、次の言葉を待った。一拍置いて、観測者は言葉を続ける。
「だが、愉快な時もあった。お前の代わりに人生を歩んだ私は、女と出会い恋に落ち、子供を産んだ。そして、彼らのために精一杯生きた。……それら全てが、振り返ると幸福な日々だったのだ」
観測者の声に熱がこもっていた。よほど良い人生を送ったのだろう。だが、その人生は観測者が勝ち取ったものだ。
「美人な嫁さんにかわいい子供なんて羨ましいね」
「そうでもない、どこにでもいる平凡な女と思春期になれば家に帰らぬ娘だった。……こんな感情を抱くとは思わなかったが、それでも彼らは私の中では特別な存在だったよ。平凡な顔の女は他の誰よりも輝いて見え、子供はどの子供よりも愛しく見えた。……ああ紛れも無く、私は人間として人生を謳歌したのだ」
つらつらと言葉を並べていたが、最後には感情的になった観測者は嬉しさと悲しさの混じったような複雑な表情で顔を覆った。それまるで、世界の意思である自分があまりに人間的な態度をするのが恥ずかしいのだろうと推測した。
観測者の肩に手を置いた。
「必死に毎日を生きている者達を、全て無かったことにしようとまだ考えているのか?」
俺の問いかけに、観測者は肩を震わせて自嘲した。
「これだけ私に言わせておいて、お前はまだそれを聞くのか。あえて言わせるというなら……歴史をゼロにして、全てをリセットにするなんて――馬鹿げている話だ」
吐き捨てるように告げる観測者の言葉を耳にして、保は全てが終わったことが分かった。
ようやく全てが終わったのだ。これからの観測者は、きっと間違った道を進むことはない。理不尽に生命を操るようなことは絶対にしないのだ。
観測者はきっとこれからは本当の世界の危機にだけ介入し、生命の生きる世界を全てが終わりを迎える時まで見守り続けるに違いない。――きっとそうなった時こそ、観測者は神になるのだろう。
「――さて、私には最後に決着をつけておかなければならないことがある」
じっと俺の顔を見ていた観測者はぽつりとそんなことを言えば、肩に乗せていた俺の手を払うと、払いのけた手を俺の胸に当てた。
「何してんだよ。そりゃ遊ぶ時間は無限にあるけど、今は少しぐらい感傷に浸させてくれ」
「ふざけたことを言うのは、人類の意思になってからも変わらんな。だが、それは違う」
胸元の手を横に動かせば、心臓の位置に持ってきていた。活動していない心臓だが、誰かの温もりに触れた喜びに鼓動しているような気がする。
「ここだな。……お前には貸しを作ったから返そうと思っていてな。世界を救った者に、褒美の一つもやらないのは世界の意思としてはあまりに器が小さすぎると私は思ったのだ。それ相応の報酬がお前には必要だとな」
「今さら金とか食い物貰っても嬉しくないんだが……」
「いつになっても人間臭いやつだな。人の好意は素直に受けろと人間の時はよく言われた。今度はお前がその番なのだ。……最初に謝罪させてほしいが、お前やアキホの人生を操作したことを心より詫びよう」
素直に観測者を見れしまい瞬きしていると、次の瞬間には客引きをしていたバニーガールの女に変わっていた。
「おいおい、お礼て女バージョンのお前との触れ合いか? 勘弁してくれよ、彼女持ちなんだぞ」
「気にするな、これはサービスだ。触れ合うなら、異性の方が良かろう。……俺はお前に命を貰った。だが、私はお前から奪ってばかりで釣り合いが取れないというものだろ?」
「はあ、その報酬てなんだよ?」
随分と話しやすくなった観測者に、俺は投げやり気味に質問した。
観測者はにたりと笑えば、力いっぱい俺の胸を押した。
「なっ――!?」
「受け取れ、お前の報酬は――」
地面が消え、俺の体は光の底へ落下する。
この時、肉体の再生を望めば俺は再び戻れる。だが、戻ろうとしないのは観測者の発言のせいだ。
肉体はバラバラにちぎれ、体が世界に溶けていくのが分かる。
もしかしたら観測者は嘘をついているかもしれない、再生するなら今しかない。その考えはすぐに否定する。
あの観測者はもう嘘をつかない気がした。だからこそ、俺は観測者の提案を受け入れた。
全てを受け入れたことで、俺はどんどん俺の形を失う。
「安心しろ、魔王であり勇者でもあり救世主であり、神にも等しき存在となったお前には……ご都合主義のハッピーエンドを用意してやったよ」
ああもう本当にお前は、人間以上に人間らしくなったよ。
――肉体も記憶も思考すらも、全て世界に溶け落ちた――。
※
王都の繁栄を願い奔走し、大陸を豊かにし、世界に差別は悪だと語った。――愛すべき女王リーアは、長い生涯を終わった。
最期まで王は婚約をすることはなかったが、王の周囲には世界中で差別の被害を受けて孤児になった子供達に常に囲まれていたという。
身を粉にして働いた女王リーアが、過去に義勇軍を率いていたことは今ではごく一部しか知らない。
彼女の昔からの友人達は既に死に絶え、最期は彼らの祖先達が女王リーアを支え最期を看取ることとなった。
振り返れば幸福そのものだったと口にしていた女王リーアは、一度だけ愚痴を漏らしたことがある。
「エルフの寿命は長すぎる。種族の壁をなくしたことで、それを嫌というほど実感できる」
この発言は女王リーアの人柄を良く表しており、魔王アキホを討ち滅ぼしたあの時から変わらず高潔な精神を保っている証明のようにも思える。
彼女の生きた軌跡を追いかけようと思えば、目印のようにして女王リーアの逸話は各地に散らばっている。きっと一つ一つを集めて本にまとめるなら、人間の寿命なら一生かけても困難なものだ。
何はともあれ、愛すべき女王リーアの物語はここで終わりだ。
これから後世に引き続き、多くの民が偉大なる女王の物語を口にするのだろう。
勇者であり、救世の者であり、完全な善良な王であった、と。
世界は続く、永遠に終わることはない。そして、それを終わらせないためには、人間の最も青臭く泥まみれの部分を露出するしかない。
――正義感だ。
しかし、それを声を大にして言うのは、少々恥ずかしいところである。同時に苦痛が伴うことでもある。
それを実行できたのが、女王リーアだったのだ。
〈〈女王リーア伝記 最終章より〉〉
16時に更新します。
それで完結となります。




