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領主になったアキホは、破竹の勢いで活躍をみせた。
領内の街や村全てを最短で周り、就任の挨拶に加えて領地の未来について熱く唱えた。
「差別を無くし、平等な社会を作りたい」
鼻で笑う者もいれば、嘯くなとなじる者もいた。しかし、少しずつだが多少の逆境を前にしても屈しない熱心なアキホの演説を信用する者も増えていった。熱心さに心打たれたのももちろんだったのだろうが、領主自らが領内を巡って挨拶をすることすら異例だったのだ。
それだけではない、未だに多くの問題を抱えた領内の町々の住人達の不安を聞いて、それを解消するために実質的な行動も始めた。
作物が育たないことで困っている土地の者達には、水を引いてやり水車の作り方を教え、肥料の調合法を学ばせた。
流行り病が蔓延している村に出向けば、病気の原因を調査して解明、そして治療薬を使って村人の命を救った。
領内で他種族間の争いがあれば、互いの言い分を聞いた上で会談の場を設け、血が流れる前に争いを集結させた。
一年の間だった。
それだけの短い時間で、アキホは多くの命を救い、笑顔を取り戻し、流れるはずの涙を拭い取る。いつしかアキホは領内の多くの支持を集め、『英雄』と称されるようになった。
そして、身を削る思いで仕事をしていたアキホは、とうとうある決断をするのだった。
※
一年前まで陰鬱そうな雰囲気だったアグニマンの屋敷には、もうそんな空気は微塵も残っていない。
花壇には花達が咲き、明るい日差しの中で、使用人達が時折談笑を交えつつ仕事に励む姿が日常的な光景になっていた。
執事服を着ていた保はジャケットを花壇の隣のベンチに置き、畑仕事に勤しんでいた。
屋敷の裏側にスペースが余っていたので、そこに畑を作ることにしたのだ。前の世界の野菜や果物を見つけて、それを植えるようにしたのだ。
「ああ、保様!」
大きな声がして振り返るとメイドのミストさんが、スカートをバタバタとさせながら駆け寄ってくる。
年齢は二十歳中頃。藍色の長髪に穏やかな眼差しは母性を感じさせる。リーアが美術品のような美しさを持っているなら、ミストは身近な美しさを感じさせてくれた。
「そんな慌ててどうしたんだよ、ミストさん」
「慌てますよっ、いつも言っていますが、土いじりは使用人にお任せください。新しい領主様になってからというもの、使用人達にはご主人様達を敬う気持ちが低下しているように思えます」
「でも、みんなよく笑うようになっただろ」
「それはそれ、これはこれです!」
苦笑いをして頭を掻いた保の髪に土が付けば、再びミストさんが両手で自分の頬を掴んで悲鳴を上げた。
空を見上げれば、それはどこまでも高い空。今のこの世界の季節は、春を過ぎて初夏に入ろうとしていた。眩しくてかざした指の隙間から陽光が零れ落ちれば、前の世界じゃ得られなかった生の実感をひしひしと感じる。
「タモツ様! ちゃんとお話を聞いていますか!」
「はいはい、聞いているよ。それより、俺に何か用があったんじゃないのか」
「あっ……そうです、あまりにびっくりしたので忘れてしまうところでしたよ。アキホ様が呼んでいます、お部屋で待っているのでお時間がありましたらすぐにお越しください」
「へえ、こんなに朝早くに珍しいな。仕事が一段落着いたのかな」
「存じ上げませんが、難しい顔をしていましたよ」
「アキホさんの難しい顔なんて見飽きたよ」
ミストからタオルを受け取った保は、それで汗を拭い泥を落とすと放り出していたジャケットを着てすぐに屋敷へ向かう。
一年間の間にいろいろあった。窓から屋敷の外を見ながら、楽しい重いでも辛い記憶もすぐに思い出せる。
最初は石を投げられたり、アキホのやり方が気に食わない他の領主達に命を狙われたりしたが、リーアやゼルといった心強いボディガード達によって助けられた。
それからアキホは町や村の問題に直面するたびに、頭を抱えて一晩中悩んで、そして平然とした顔で救い出す。彼女の苦しみを知っているのは、おそらく身近に居た保達だけだろう。
保達もアキホに協力して、身を守ることはもちろん、領主の代役として各地を回ることもあった。それは、最もアキホの考えを理解していたらからこそ、できた仕事なのだ。皆それぞれできる仕事をして、ようやく辿り付いたのが今の状況だった。
アキホの為にも少し休暇でもとろうか、なんてリーアと話をしていた。一年間も全力で働き続けたアキホに休暇が必要なのは誰が見ても一目瞭然だった。
屋敷の階段を上がり、一番奥の部屋で待つアキホの元へと向かう。
「お、もしかして呼ばれたのか?」
部屋の前に居たのは、猫耳を生やしたギララ族の少年。名前は、アキラ。ギララ族の年齢は人間に近いので、外見からして十二歳ぐらいだろう。領内では禁じたはずの人身売買の市場が行われていたことを知り、アキホ自らが出向いた際に救出した少年だ。それ以降、すっかりアキホに懐いてしまい、さながらアキホを守る騎士のようだった。
アキラは長い睫毛で一度瞬きをして保を見た。
「そうなるとタモツもか。僕も、『姉上』に呼ばれた」
アキラはアキホの義理の弟になったのだ。アキラは生まれつきの奴隷だったが、その凶暴な性格と高い戦闘能力から貰い手が見つからず、もちろん私兵として雇いたがる金持ちは多く居たが、アキラは彼らに尻尾を振るようなことはなかった。誰も信用できなかったアキラを救ったのはアキホであり、最初に屋敷に来たばかりのアキラは片時もアキホに離れたくないといった様子だったのを見かねたアキホは、「だったら、私の弟にしちゃおう」と軽いノリで決めてしまい、今に至る。
事実、黒い髪と猫耳に知性を感じさせる顔つきはアキホの弟だと言われてもそれほど違和感が無い。ちなみに、そこまで考えていたのかは不明だが、奴隷市場から救い出した少年を弟にするという行為は大きなアキホのイメージアップへと繋がっている。つくづく、運も努力で勝ち取るタイプなんだなと保は感嘆の息すら漏れてしまいそうだ。余談だが、アキラというネーミングセンスは奴隷時代に名前の無かったアキラにアキホが名付けたものである。
「先に中に入ればいいんじゃないか」
「みんなが集まってから話をすることになっている。僕にとって、姉上の願いは絶対なんだ」
「やーい、シスコーン! シスコーン!」
「意味はよく分からないが、僕を侮辱する発言だというのは理解した」
アキラは苛立ちながら右手の指を広げれば、そこから五センチ程の長さの爪が生えてきた。ギララ族は、刃物のような鋭さを持った爪を指先に隠しており、感情の変化に合わせて伸び縮みするようにできているのだ。
「ご、誤解だ、アキラ! シスコンというのは、姉想いの良い弟さんですねって意味なんだ。つまり褒め言葉んだよ!」
「たあ」
ブスリ、と保の額にとりあえず爪を刺すアキラ。
「いだっ!? 何で刺すんだよ!」
「意味とか本当どうでも良くて、ついムカついて」
「痛いのは本当勘弁してほしい……」
「――タモツー」
小走りで近づいてきた影が保の背中に飛び乗った。前のめりに倒れそうになるのを堪えた保は顔を背後に向けた。
「うわっと! なんだ、ゼルか」
「なんだは失礼。この間も、保はリーアになんだって言ってて怒られていた」
肩の辺りから顔を半分ひょっこりと出しながらゼルが言う。領主の身内であるゼルはいつ来客があってもいいように、スカートの辺りが膨らんだ橙色のドレスを着ていた。最初は嫌がっていたゼルだったが、前に比べれば慣れているようだった。もしくは、諦めとも呼ぶのかもしれないが。
「イヤッフォォー! ゼルちゃんゼルちゃん! まさかこんな風にゼルちゃんに会えるなんて、僕ちんサイコー!!!」
「……タモツ、反応が大きすぎる。引くね、これ」
「待ちに待った感じでやってみたんだけどな」
ゼルの言う反応が大きすぎるという感想は、確かに一理ありまくる。保は場の雰囲気を変えるように、一つ咳払いをした。
「コホン、冗談は程々にして、リーアはまだ来てないのか?」
「タモツの冗談は時々面倒な時がある」
だな、とアキラが相槌を打っていると、アキホの部屋の扉が開いた。
「やけに外が騒がしいと思っていたら、みんな来ていたのか」
開いた扉の先から顔を覗かせたリーア。アキラが集まるよりも先に、アキホの部屋に入ってきていたようだ。そもそも、待ち合わせ時間には三十分以上前から待機するリーアが遅れてくるわけなんてない。
リーアも保と同じ執事服を着ており、未だに執事服に着せられている感が抜けない保とは違って、リーアは男装すら着こなしていた。下手をすれば、舞台の上で男役をしても映えるかもしれない。
「よく考えたら、外で待っている必要なんてないんだよな。まったく、カッコつけて扉の前で待っていたアキラにいっぱい食わされたぜ」
「うるさい」
ブスリ、と保の後頭部に痛みが走る。保の頭には、不満そうな顔をしたアキラの爪がバッチリ刺さっていた。
「あいだっ!? 不意打ちはないだろ!」
「姉上の前で変なことを言ったら、爪でぐりぐりするからな」
「イタイノダメー!」
部屋の奥からアキホの「早くしろー」という急かす声が聞こえてきて、尻尾を振る犬、いや、猫のような瞳に線の入った目を大きくさせてさっさとアキラはアキホの部屋へと入っていった。
いつか爪切りでアキラの爪を平らにしてやろうと内心企みつつ、タモツとゼルはアキラの後ろに続いた。
「わざわざ、来てもらってごめん。みんなの力を貸してほしくてね」
どっしりとした仕事机に両肘をついて、椅子に腰掛けるアキホはすまなさそうに言った。
「姉上の頼みなら何なりと! ぜひ、僕らにお任せください」
命令されることすら喜びに感じるアキラは、はっはっと息を荒げながら大きく前に出る。
「じゃあ、裸で屋敷を一周しろて言われたらするんだな」
煽るように保が言えば、流されるようにしてアキラはグッと拳を握り締めて語りだす。
「ぐっ……姉上にそんな趣味があるのなら、例え僕は他人から後ろ指を指されようとも!」
「子供か……。頼むから、本題に入らせてくれ」
頭を抱えるアキホだったが、本気で嫌がるような素振りは感じられない。普段のアキラなら、保のあんな冗談は無視するか爪をブスリとするのかのどちらかなのだが、アキホの為に冗談に乗ってくれたらしい。
空気が少しばかりほぐれた所で、アキホはメガネを掛け直した。
「みんなのお陰で、私の領地は他の領主からも一目置かれる存在になったわ。小耳に挟んでいるかもしれないけど、他の近隣の領主の土地も私の領地と統合しようという動きもあるようね。これからはもっと、忙しくなるに違いないわ」
努力が実を結んだのだと全員の胸中には達成感が満ちていた。全員の誇らしげな顔を満足そうに見たアキホは、メガネを外すとレンズを布で拭き始める。
「最初は差別を無くすなんて無理だと思っていたけど、頑張ってみればやれるものね。……でも、領地を広げる前に私にはやらなければいけないことがあるわ。……それは、エルフ達タカ派の解散よ」
アキホの発言に全員が電流でも走ったように、各々で驚きを表に出していた。ただし、リーアに限っては、驚きは無くただ黙って視線を落としていた。
「この大陸には、私が知っているだけで約二十のエルフの集落がある。その内、タカ派と呼ばれている集落は五つ。族長の意見によって方針は変わる為、潜在的な差別意識を持つ者には少しずつ意識を変えていかないといけなくなるわ。運良く……かどうかは分からないけど、各地のタカ派を統べる長が居ることが分かったわ。そのタカ派の代表の意識を変えることができれば、せめて各種族との対立関係だけでも変えることができるかもしれない」
「ちょっと待ってくれ、その代表が見つかるまでエルフの集落をしらみ潰しに探すつもですか? こう言ったらあれかもしれないけど、命がいくつあっても足りませんよ」
リーアの父でありエルフ族族長のギマリスの恐ろしさを知る保が、慌てて口を挟んだ。アキホは保の方を見ることなく、磨いていたメガネを掛け直す。そこで初めて、保の顔をじっと見返した。
「いいえ、代表は私の領地にいたわ。……リーアの父であるギマリス。彼が、タカ派の代表よ」
「ギマリスが……。だから、運良くて言い掛けたんだな……」
知らず知らずの内に保の口から乾いた笑いが漏れた。目の前でギマリスの恐ろしさや凶暴性を知っているからこそ、あの男が自分の意見を変えるなんて想像もできなかった。保に向けられた殺意と憎悪は間違いなく本物であり、奴がタカ派の代表だというなら、あっさりと納得できた。
「姉上、その男を殺せばいいのですか?」
「アキラ、アンタにはまだまだ常識を教える必要がありそうね。ギマリスはリーアの父親なのよ、私を殺すだなんだで誰かが言っていたらアンタだって嫌でしょう?」
「むむむ……確かにそうですね。もしそんな奴が居たら、二度と喋られないようにしてやりますよ。……では、すいませんでした」
深々とアキラはリーアに頭を下げた。種族によって謝罪の形が違うが、とりあえずアキホがアキラに悪い事をしたら謝るように教えた結果が、この日本風の謝罪の仕方である。保的には、この見事な謝罪のポーズには一目置いていた。
凶暴なアキラを知っているリーアとしては、ギャップを前に引きつった笑みで「き、気にしなくていいぞ」と言っていた。
「よくできました、アキラ。後で頭を撫であげるわよ」
「ごろにゃーん」
えへへぇ、とゆるみきった顔のアキラはもうアキホに撫でられることしか考えていないようだ。もうこうなれば、アキラにはまともな思考ができないと思っていいだろう。
「話が逸れたわね。もちろん、殺害なんてしない。でも、タカ派は必ずどこかで私達の障害になるわ。将来的に強すぎる力を持てば彼らを警戒させてしまうし、他の領地のエルフ族集落と結果的に友好関係になったとしても種族間での余計な不和を呼んでしまう。だからこそ今なのよ。……今、ギマリスを止めなければいけない」
本気か? なんてことは愚問だった。アキホは領主になってから、こうすると決めたことは必ず実行し成功させてきた。こんな時はいつも疲労を重ねた顔の瞳の奥には強い輝きが灯っている。そして、今回もそんな顔をしていた。
次に反論する者も正気を疑う者も居なかった。アキホは、全員の閉ざした口から肯定の意思を感じ取っていた。
自殺行為とも呼べる行動を前に、アキホは不敵な笑みを浮かべた。
「――ギマリスとの会談の席を設けましょう」




