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何かとんでもないことが起きた。まるで他人事のように保は、そんなことを考えていた。
ティファナ大陸のラフィンテイルという都市には、領主より偉い人物が居る。どれだけ偉いかと聞かれると、この大陸に住んでいる人間のほとんどを管理下に置いてると言っても良い。つまるところ――城があり、国王がいる都市なのだ。
領主は領民の税を管理し法律も変えることのできれば、その領主に命令することで、領地を縮小することも奪うこともできる。そのため、与えられた権力の領主達は絶対的な権力である王には頭が上がらない。
保の住んでいた日本には直接的な権力を持つ国王というのが居なかったので、詳しくアキホに聞きたかったのだが、アキホはただ一言「領主の領主」と言っただけだった。その後も保なりに人に聞いたり調べたりしたが、確かにアキホの言っていることはストレートに的を射ていた。
何故、この世界でも前の世界でも一小市民である保が国のトップに立つ人間のことを気にするのかと言うと、現座進行形で保、リーア、アキホ、ゼルの前にはこの国の王――ザブリクス・アーノルド王が目の前に居るからだ。
それは、数日前まで遡る――。
※
苛烈過ぎたアグニマンとの戦いの傷も癒えた保は、少しずつだがこの世界のことを学んでいた。
リーアと共に買い出しに出かければ、嫌でもこの世界の現実を見せ付けられた。
法的には禁止されているはずの奴隷は街のあらゆるところで見かけることができるし、他種族が営業している店の前を通るだけで鼻をつまんで歩く子供が居たり、嫌悪の眼差しで見つめる大人も居る。それだけじゃない、きっと目に見えないところにはカビにもシミにも似た差別が目に付くのだろう。
一個一個に文句を言っていても何も変えられないのは、嫌というほど学んだ。ただし、実行する手段も無い。アキホに至っては元の世界のよしみで助けてくれてはいるが、一歩間違えば国家反逆罪とすら言われてしまいそうな保達の思想にはあまり協力的ではない。
自分のこれから進むべき道に悩む保だったが、今はやるべきことがある。――おつかいだ。
「……おっと、ここがパン屋だな」
ある店の前を通りかかった、看板の文字をなぞるように指差しながら立ち止まった。
「さすがタモツお兄ちゃんだな。文字はもう大丈夫そうだ」
感心したように隣のリーアが、我が子の成長を見守る親のような目で頷いた。
「よせよ、ようやく読めるようになったぐらいだ。未だにまともに本を読もうとしたら、一冊読むのに何時間もかかっちまうよ」
「しかし、それも成長であり、お兄ちゃんの努力の結果だろう」
相変わらずリーアのべた褒めは恥ずかしいので、照れ隠しのように保はそそくさとパン屋の扉をくぐった。
店内は甘い香りで満ちており、そこかしこに置かれたバスケットの籠にはいくつかのパンが並んでいた。
「嬉しそうだな、タモツお兄ちゃん」
「まあな、ここのパンは好きなんだよ」
この世界では砂糖は高価な代物になるらしく、すっかり現代の食事に慣れていた保は甘味に飢えていた。そんな時、アキホの紹介でパン屋『旅の朝』に来たのが始まりだ。
とにかく、ここのパンはケーキを食べるように甘いのだ。だが、そこに砂糖は使われていない。秘密は、ここの店主にある。
「いらっしゃーい」
間延びした声で店の奥から出て来たのは、エプロン姿の女性だ。
幼い顔立ちに低い身長のせいで、保よりも年下に見られるかもしれないが、首から下はしっかりと大人の女性であることをアピールしていた。ここまでなら、ただのロリ巨乳店主で終わるかもしれないが、彼女は――妖精族だ。
「こんにちは、オリフィアさん」
コックがしているような白い長靴をひっくり返して頭に被せたような帽子を脱ぐのは、パン屋『旅の朝』の店長であり妖精族のオリフィア。その頭には、全長五センチ程の小さな黄色の花が咲いていた。
前にアキホから種族のことを聞いた時に、頭に花が咲いている妖精族のイメージがうまくできなかったが、実物を見るとまさしくその通りである。ただの人間だが、バッチリ頭の上には花が咲いていた。妖精族の頭の花は切られても抜かれても時間が経てば花が生えてくるらしいが、妖精族はその花から光合成などをしてエネルギーを補ったりもするので、無くなっている間はずっと体調が悪い状態になる。オリフィア曰く、風邪のような状態なのだそうだ。
「あら、アキホちゃんのところのお二人ね。そうそう、今新製品のパンができたばかっりだから、食べていきなさいな」
「い、いいんですか!?」
「アキホちゃんにはお世話になっているし、常連さんにはご贔屓にしとかないとね。ちょっと待っててー」
頭の花を左右に揺らしながら、オリフィアは奥に消えていった。
「嬉しそうだな、タモツお兄ちゃん」
「ああ、正直胸が熱くなるぜ……」
数分もしない内に、木皿の上に二つのパンを乗せてオリフィアがやってきた。
甘い香りが鼻を通って脳に染み渡り、頭の中をどろどろに溶かしてしまいそうな錯覚に陥る。
「優しい甘さを追及したわ、名づけてはちみつパンよ」
見た目はトーストのようだが、本来は白いはずのパンの耳の内側は黄色に変わっていた。明るい黄色なので、最初は驚くかもしれないが、鼻腔を刺激する香りは明らかに食欲をそそるハチミツの匂いだ。むしろ、やや奇抜な見た目は好奇心へと繋がる。
「「いただきます」」
声を揃えて保とリーアがパンを手に取てば、一口かじる。
「むむむっ!?」
「こ、これは……」
保とリーアは互いに目を輝かせて、辛抱が堪らないといった様子であっという間にパンを口に運び終えた。
余韻に浸るように保とリーアは鼻から息を吐けば、いつの間にやら用意したのかオリフィアが差し出したティーカップを受け取る。
「どうだったかしら? これからの定番商品にしようと思うのだけど」
ずずっと先程までの濃厚な甘さを包み込むような、優しい紅茶の味に舌鼓を打つと、保はオリフィアにすぐさま答えることにした。
「絶対にした方がいいですよ! 毎日だって、俺が買いに来ます!」
「あら、嬉しいわねぇ」
どことなく満ち足りた表情をしていたリーアはティーカップをオリフィアに返せば、真っ直ぐにオリフィアの目を見ながら感想を返した。
「ああ、こんなに美味しいパンはオリフィアさんぐらいしか作れないだろうな。これも精霊達が材料を?」
「ええ、そうよ。精霊ちゃん達の力があるからこそ、うちのパンは輝くんだから」
精霊、それは魔障の密度の濃い場所で生まれる種族の一種だ。魔物が魔障が闇に染まった結果だとしたら、魔障が光に染まった結果が精霊だ。
人間からしてみれば伝説のような生き物であり、エルフから見れば神様のようなものであり、妖精族からしてみれば友達のような存在だった。
妖精族は花や綺麗な川が流れる場所に昔から住んでおり、清らかな魔障が満ちている場所で生活していることが多い。特徴としては、植物と意思疎通ができたり、争いを好まず性根の優しい性格をしている。
そして、彼らのもう一つ大きな特徴こそ、精霊と昔から交流があるのだ。互いに謎多き種族ではあるものの、敬い合い共存していることは世界の共通認識となっていた。
オリフィアは砂糖に近い調味料を用意することができる理由だが、それは妖精が花の蜜を掻き集めてくれるからだそうだ。妖精から貰った花の蜜を粉末に加工して、それをパンに混ぜる。たったそれだけのことが、現代の濃い目の味に慣れてしまった保の舌も唸らせたのだ。
「精霊か……一度見てみたいな……」
「蜜のお礼に、作ったパンをあげているんだけど、もし良かったら今度会わせてあげてもいいわ」
「え、本当すか!?」
「ただし、見えるかどうかは別だけどね。精霊は心の清らかな人か、妖精にしか見えないから」
「心の清らか……」
「タモツお兄ちゃん……」
「て、何で俺のことを残念そうな顔で見るんだよ!? リーア!?」
恐らく一生見ることはできないのだろうなと、いつか女湯に入れなくなった日のこととダブらせて保は悲しくなった。
※
一通り買い物を終えた保とリーアがゼクスィまで戻ってくると、ドアノブ押してみたり窓から店内を覗いたりしている女性が目に留まった。行動から考えるに、どっからどう見ても不審者にしか見えない。
何か武器を探そうとするリーアを制止し、意を決して保は女性に声を掛けた。
「あの、うちに何か用ですか」
びくん、と分かりやすく肩で驚きを表現した女性はゆっくりと振り返る。
垂れた眉にフレームの無いメガネ、髪は紫を淡くしたような色をしていた。外見年齢は二十代後半から三十代前半に見える。顔から下を見てみると、黒いジャケットとズボンに上着の下からは白いシャツを着ており、おかしなことにそれは執事のような格好をしていた。
「いや、あのぉ、えとですね……」
おそらく店の鍵を閉めて外出してきたから、入れなくて困っていたのだろうと保は推測する。しかし、客なら客だとはっきり言えばいいのに、言い淀む姿は妙に怪しい。
「どうする、タモツお兄ちゃん。切るか? 斬るか?」
少し目を離した隙に、リーアはどこからか木の棒を調達してきたようで腰の辺りに手を添えてすぐにでも抜刀できる体勢になっていた。さすがの剣士リーアは、既に目の前の女性を威嚇することに成功していた。
「こらこら、無闇やたらりに攻撃態勢とるのは、やめなさい」
「私にはゼクスィの家族を守る義務というものが……!」
「いいの、その時はみんなでみんなを守るんだから」
アグニマンの件から、攻撃的になっているリーアをなだめながら、保は溜め息を吐いた。最近リーアは肩肘を張りすぎていたので、アキホが気を遣って保と一緒に外出を進めてくれて出かけてはみたものの、さほど効果は無かったようだ。
保は前進すると、明らかに怯えている女性の前に立った。
「落ち着いてください、ほら深呼吸して」
「ヒッヒッフーヒッヒッフー」
ラマーズ法だ。
「なんてベタな……。やばいな、ベタ過ぎて、むしろこっちの常識が揺らぐ……」
「ふらふらして、どうしたんだタモツお兄ちゃん!? おのれ……やはり、敵か!」
「少し眩暈がしただけだから、大丈夫。……いや、たぶん悪い人じゃないよ。こういうのは、悪い人にはできないはずだし」
ブルブル震えながらラマーズ法をする器用な女性に今一度、なるべくゆっくりと丁寧に話しかける。
「俺はタモツ、こっちはリーア。二人とも、このゼクスィの店員兼居候だ。最近はいろいろと物騒で警戒しているんだよ。……ちゃんと貴女のことを教えてくれたら、怖がらせるようなことはしない。後ろめたいことがないなら、正直に話してほしいんだが」
まるで迷子に話しかけるようだと内心思いながら語りかける保の努力が実ったのか、泣きそうな顔でようやく女性は意味のある返事をくれた。
「わた……私は、イトラと申します。こちらは国家魔法薬師のアキホ様のご自宅でよろしかったでしょうか」
さっきからそう言っているんだが、お前の耳は飾りか。なんて思うが、さすがにそんなことを言ってしまえば、同じことの繰り返しになりそうだったので、素直に話を促すことに努める。
「そうだよ、アキホさんの家だ」
わざわざ声に出して、「ほっ」と言いながら、文字通り胸を撫で下ろすイトラ。どこまでもベタな人だと思いつつ、タモツは言葉を待つ。
「あのですね……実は、ある方の命令でこちらに来たんです」
「ある方?」
僅かな時間逡巡した後、手にしていた皮の鞄から便箋を一枚取り出した。
「実は、アキホ様にザブリウス王から出頭命令が出ているのです」
大切に包まれた便箋の角には、ザブリウス・メルティオの名前が記され、横に王室の印が押されていた。
リーアはすぐにザブリウス王の物だと気づき言葉を失ったようで、保はといえば、どういう顔をしていいかただただ手紙とイトラを交互に見ることしかできずにいた。




