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「… 多分、初めてじゃないんです。」
僕は先輩に言った。
閃光と轟音は続いている。
「多分?」
「…僕が生まれたころ、うち、…ヨーロッパの山奥の、もちろんドームなんかないとこに住んでいたんです。場所はPサークルの外れあたりだったと思います。多分、あのへんはウチ以外に住んでる家族はなかったと思います。…修練所なんです、教団の。入れ代わり立ち代わり教団の若い伝道師とかが修行にきていたらしいですが。」
「…へえ。」
僕は思い出すようにして言った。
「…父が武道大好きだったから、長くそういう仕事していたらしいんです。」
「…そうなのか。」
「…気候も、突然雨が降ったり、吹雪いたりするようなところだったって聞いてます。…僕はあんまり覚えてなくて。小さかったから。」
先輩はなるほど、とうなづいた。
「…じゃあ雷も聞いてるな、多分。…何才までいたの、そこ。」
「4才になったばかりのときに引っ越しました。そのあとはP-2のドームに入ったので…。」
激しい雨が、透明な樹脂をすべってゆく。
僕は窓にはりついたまま、ぼんやりとその水の流れを見つめた。
…雷の轟音は地面を揺るがすほどのものだった。建物は、雷がおちるたびにびりびりと震えた。
…何かを思い出しそうになった。それが何なのかはわからなかったが。
「…僕、そのころ…神隠しにあったことがあるんです。」
ぼんやりとそう言った。
それも知識でしかなく、…記憶ではない。
「…誘拐?」
先輩は尋ねた。…僕は首を左右に振った。
「…わからない。おぼえてないし…。迷子かな…とも思うんですけど、何故かうちではその話、タブーだから。」
「…かわいいのいっぱいいたから一人くらいもらってもいいだろうとおもわれたんじゃねえの?」
先輩は冗談めかして気休めを言ってくれた。僕はうなづいた。
「…そうかもしれません。…父は…いつも…ミルエに呼び出されたと言うようにと、僕に言いました。…犯人て、わかってないらしいです。どこかの小屋で発見されたとき、僕は一人で…泣いたりさわいだ様子もなかったと…もちろんケガもなく…。そう聞いています。また聞きのまた聞きくらいですが。」
「…」
「神様が一番当たり障りないなんて、変なウチですよね…。」
先輩は溜息をついた。
「…まあ、そういうウチもあるさ。…ウチもかなり変だぞ?」
向こうを向いたらしいのが声でわかった。僕はふりかえった。
「誘拐されたことありますか?」
先輩はポットから紅茶をカップに注ぎながら言った。
「いや。俺はないよ。誘拐されるな、は、我が家の場合、『盗むな・殺すな』に優先する至上命令だ。」
僕は苦笑した。
「…誘拐されそうになったら殺せって意味ですか?」
「そう。そういう意味。…あるいはそいつの持ち物を盗んで川に捨ててその隙に逃げるとか。」
先輩は面白そうに笑った。…どうやら「誘拐されそうになったらどうするか」を各種パターンいろいろ楽しく想定してあるらしい。
「…激しいですね。」
「…一人誘拐されて人格崩壊してるからな。仕方ねえよ。」
僕は黙った。
先輩のお父さんのところには、奥さんと、その息子がいるらしいことは知っていた。
「…うちの場合は営利誘拐どころか私怨だったからな。ボコボコにされて帰って来て…まあ犯人つかまったけど、…それは再発を防いだだけで、…こわれたもんはもとにはもどらないからな。」
僕がテーブルに戻ると、先輩はカップに紅茶を足してくれた。
「…おまえがそういう目にあったんじゃなかったなら、不幸中の幸いだよ。きっと神様がまもってくれたのさ。神官夫婦の子供だしな。親父さんの説もあたらずしも遠からず、きっとそうだよ。…ウチはみんな罰当たりなタイプばっかだからだめだったんだな。…ケーキ、もう一つずつたべよう。」
雨は続いている。
「…やっぱり外の雨はすごいな。…まるで話にきく南国のスコールみたいじゃないか。」
先輩は外を見て言った。
「…エラなしで歩いたら窒息しそうですね。」
僕は紅茶を飲みながら言った。先輩は器用にケーキを切り分けて、その一つを僕にくれた。