5
食事のあと、箱を持って出かけた。
お弁当は2人分、先輩が持ってくれた。
澁澤夫人が用意してくれたつばのひろいストローハットをかぶり、遮光コートを着込んで、僕と先輩は別荘の裏手の小山を登った。
夜明けのあかりは思ったよりもずっと明るい。
ゴーグルを通して、その暖かい光はなおまばゆかった。
「…黄金の夜明けだな。」
先輩が言った。
「…ほんと。」
僕は言った。
僕らは踏み固められただけの獣道を歩き、山をのぼりつづけた。
間もなく道は険しくなって、息があがってきた。…なにも喋る余裕がない。つらかった。
辺りは日が登るにつれ、だんだん暖かくなっていった。
コートの下には汗が滲んだが、コートは遮光用なので、脱ぐわけにはいかない。
帽子はありがたかった。
けれどそうした紫外線に対する恐怖の他に、僕は不思議なものをいろいろ感じていた。
森の匂い。
それは土の匂いであったり、緑の匂いであったりした。
みずみずしい湿度。
朝露の輝き。
やがて小鳥がさえずりはじめ、虫が動き始め…。
…小さいが豊かな森だった。
何時間かしゃにむに登って、やがて僕らは小山の頂上にたどりついた。
「…少し向こう側におりたいです。海が見えるんですよね?」
「…行ってみるのはかまわないが、あまりオススメしない。」
「どうして?」
「…海風が痛い。有毒だし。…山も向こう斜面は荒れている。…見た方がはやいな。少し休んで、それから行こう。」
僕らは揃いの麦わら帽子で並んで倒木に腰掛け、飲み物で水分を補給した。
それから、もうすこし歩いた。
眺めのよいところまでやってきて来て、…僕は少し胸を痛めた。
山は先輩のいう通り、海に面したほうだけ、赤茶色になっていた。…枯れているというほどでもないのだが、有毒な風の害を受けているのは明らかだった。
天然の海、とくに沿岸や近海からは、魚影は消えて久しいという。今朝方食べた魚も、プールで養殖されたものだ。
僕が昔、初めて見た海はやはり魚影のきえた大西洋だった。
でもそこは紫外線であらゆる生物が死滅した、濃い紫色のきれいな海だった。
…ここの海は悲しい。沿岸は一面富栄養化して、プランクトンで緑と赤にまだらに染まっていた。
風も臭う。
「…戻りましょう。」
僕は言った。
先輩は、黙ってさっきの倒木のあたりまで、また僕を連れて行った。
荷物のなかから移植小手を出した。
僕らは2人で一本の大きな桜の古木の根元に、小さな穴を深く深く掘った。
掘っているうちに涙が出てきた。
ゴーグルをはずして目をこすると、先輩が濡れた小さなタオルをだして、ふいてくれた。…こすったせいで泥がついたらしかった。
僕はゴーグルをはずしたまま、木陰の地面を掘り続けた。面倒なので、出てくる涙はそのまま放っておいた。涙は下をむいていたせいもあって、そのままぽとぽと地面に落ちた。
穴がだいたいの深さになったところで、先輩は周囲から、今朝開いたばかりの山の花を摘んで集め始めた。僕も、少しそのへんを歩いて、何本かあつめた。
先輩は集めた花の花びらをはずして、穴のなかに入れた。僕もそうした。穴の底が花びらでいっぱいになったところで、僕は箱のフタをあけた。
中に入っていた白っぽい灰色の砂のようなものを僕はじっと見つめた。そして箱のフタをしめると、紙の箱ごと穴の底の花の上にそっと置いた。
それから残りの花を、またばらして、その上に重ねた。
花が全部なくなると、僕ははなをすすった。
「…おやすみ。」
僕がそう言うと、先輩は言った。
「…春季を守ってやってくれな。」
僕らはそれから、土で穴を埋めた。
花はそなえなかった。そこを掘ったことがわからないように、ぎゅうぎゅうと土を盛固めて、落ち葉で覆った。
「…来年にはまた桜が咲きますよ。きっと。」
「…ああ、毎年咲いてるから大丈夫だ。」
また涙を拭ってしまい、また先輩に顔をふかれた。
先輩は山の中を少し歩いて、僕をある廃屋の庭に連れて行った。
「…去年来たときは水道が生きてたんだが。」
そういって蛇口をひねると、赤い水が溢れ出た。
少し流していると、水はすぐにきれいになった。
僕らはそこでシャベルや手を洗い、先輩はおしぼりも洗った。
庭の隅にのこっていた雑草まみれのベンチに座って、お弁当を食べた。