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エリアに入るのは、出るよりも数段大変だった。
降り続いていた小雨をふりきってエリアに入ったとき、すでに公安官は不法侵入者を10人単位で捕まえていた。
「…すーごいなー。」
「買い物ビザで入って永久に居着くやつとかも多いらしいけど…もっと大胆にはいるやつも多いみたいだな。…エリアはドームと違って境目があるわけじゃないから、侵入を禁じるのが難しい。入ってくるのはいいが、出て行かないから困るんだよな。…雨が止まったってことは…エリアに入ったな…。」
エリア地区は上空に「パネル」と呼ばれる遮光層を人工的につくりだすことで、紫外線から地上を守っている。遮光層は小雨程度なら分解してしまう。だから雨は少ない。
…人工のファイナルエデン。
無数の人工衛星でそのシステムを支えている。
パネルの下に住むのはドームの中に入ることより難しい。エリア地区は、日本州の州都地区、北アメリカの東州都地区、中国の商業地区、そしてインドの北西…世界で4箇所しかない。
連邦市民で、高額納税者で、かつくじにあたった家族だけが住める…僕らの最後の海。
「…でも…長生きしたからどうってもんでもないし、澁澤さんみたいに暮らすのも悪くないですよね。」
「…あそこ、気に入った?」
「…いいところです。」
「TVもはいんないのに?」
「あんまり見ないから。僕。」
「ふーん、じゃ俺があの別荘もらったら、お前管理人になる?」
「いいですね~。是非。…猫屋敷にして先輩のお越しをお待ちしますよ。」
「…いいかもしんない。」
先輩は想像しているのか、ちょっと上のほうを見た。
別荘を出るときはまだかなりへこんでいた先輩が、幾分元気になったようだったので、おそるおそる僕は尋ねた。
「…あのう、先輩。」
「…うん?」
「…僕…先輩に暴力ふるいました?ひょっとして。」
すると先輩は首を軽く左右にふって否定した。
僕は少しほっとした。…もし思いっきり強姦とかしてたらやだな、と、それを一番心配していたので。
でも、きっとそんなんじゃなかったはずだ、という確信のようなものもまた、あった。
少し覚えている先輩の手の感じが…とてもそんなふうなときにはあり得ないであろう感触だったから。…優しい手だったから。
列車がエリアの最初の駅についたとき、沢山のエリア侵犯者がぞろぞろと下ろされていった。
州都中央の駅で僕らがおりたとき、あたりは見慣れたエリアの夕暮れだった。
…僕らの楽園は、賑やかで、きらびやかで、沢山人がいた。明るくて、活気があって、笑顔があった。でも、ここが最後の輝ける場所なのだ。人類にはそんなに時間が残されていない…外から戻るとそれは予感ではなく、確信だった。
先輩の買い物につきあって、家電屋へ行った。
先輩は今年のロボコンの「人間型・格闘部門」に自作をエントリーするとかで、その人形に使う高価なチップを買った。なんとなく聞くと、いろいろ説明してくれたので、ついついいろいろつっこんで聞いてしまった。とても面白そうだった。先輩は模型や組み立てキットのロボットを作るのがとてもうまい。今度は自分でデザインするらしかった。
「…暇なら見にこいよ。来週くらいから組み立てるから。」
結局そういうことになった。
いつも別れる公園まで、僕らはだらだらと歩いた。道端で顔なじみの猫に会えば、一緒に遊んだりもした。
分かれ道で立ち止まり、僕は先輩に礼を言った。
本当に忙しいひとなのに、まる3日、週末を僕のためにあけて、しかも別荘に招いてくれて、やまをのぼって、埋葬につきあってくれて、めそめそ泣く僕に親切にしてくれて、…酔っぱらいとコトにおよんでくれたのだ。…当分頭が上がらない。心から礼を言った。
「いや、俺ものんびりできて、いい気分転換になったよ。また機会があったら誘うから。今度は将棋かオセロでももっていこう。」
先輩はのほほーんとそう言った。
手をふって…こっちは御辞儀して歩き出して…それからまた立ち止まって、ふりむいた。
先輩の背中に、僕は思いきって言った。
「先輩、…今度、しらふのとき、…行ってもいいですか。」
先輩はちょっとだけふりかえって言った。
「いいよ。」
そして、少し笑うと、そのまま行ってしまった。
パネルの下の適温の楽園で、僕は満たされた気持ちと裏腹に、なぜか唐突に寒さを感じた。
ほどなく気がついた。それは先輩が身を翻して僕の手をすりぬけたせいだと。
…その冷たくしなやかな手ざわりに。
僕はぞくぞくと震えた。
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