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変な夢を見た。
夢の中でリーコと浩一が鍋いっぱいのとんでもない色の牛丼を勧めてきて、それから逃れると、今度は牛に乗ったアルフに追いかけ回され、やっと撒いたと思えばニッコリ笑顔のアリアが両手に牛丼を持って走って来て、なんの前触れもなく目の前で蹴つまずき、器から飛び出したアツアツでつゆだくの牛薄切り肉と玉ねぎが襲いかかり――
「うわ!?」
飛び起きた。しかしまたもや見知らぬ場所で、思わずため息が漏れる。それにしても変な夢だった。これも夢なのだろうが……しかし、牛丼である。これは相当、牛丼を食べたかったのかと自らの深層心理を疑いながら考え込んでしまう。
「翔太?」
「ッ!?」
驚いて再び大声を出しそうになった。声を掛けてきたのは夢の中で鍋の中身をぶっかけてきたアリアだ。心配そうな面持ちで翔太の額に触れてくる。
「よかった、熱はないみたい……すごくうなされてたよ? 悪い夢、みた?」
「……あぁ……見た」
「どんな夢?」
「牛丼の夢」
「ギュウドン?」
アリアは首を傾げていたが、ふと真剣な顔になって、
「翔太。あのね、調子が悪いなら断っていいんだけど……お話したいって人が」
「話? 俺と?」
「うん。アツシ・センザキって人。知ってる?」
「……いや、知らない」
不意にドアが開き、誰かが入ってくるのが見えた。見知らぬ顔だ。アリアが緊張に身を硬くするのが気配で分かる。歳は恐らく二十代後半から三十代前半の辺り。軍人のような服を着ている。微笑んではいるが、笑っているのは口元だけで目は注意深くこちらを眺めているようだった。
「ああ、ごめん。ノックした方がよかったかな――二人とも、そんなに警戒しないでいい」
背筋を真っ直ぐに伸ばしているが、そんなに背は高くない。日本人の平均といったところだろうが、しかし雰囲気というか、そういうものが見た目よりも身長を大きく見せている気がする。
その人は丁寧な動作で、こちらに向かって一礼した。気圧されて何も言えない。
「初めまして。次元管理局の仙崎です」
「……はぁ」
「まずはこれを」
そう言って仙崎と名乗った男がジャケットの胸ポケットから取り出したのは翔太の携帯電話と、透明な石だった。
「あ……りがとう、ございます……?」
とりあえず受け取りながらも言葉尻は疑問形になってしまう。仙崎はそこに込められた様々な疑問を、分かっているというように頷き、しかしあえてそこには触れずに切り出した。
「僕は君がどこから来たのかを、知っている。でもその前に、いいかな」
「……はぁ」
「君に古典魔法、広域殲滅用術式を使わせたのは、榊浩一、だね? 君のクラスメイトの」
浩一? どうして浩一の名前が出てくるんだ。
仙崎は翔太の方へ一歩、歩み寄る。
「君が混乱するのは分かる。だけど、これだけははっきりさせておかないと、僕らは君を守れない。答えてくれ、君に魔法を使わせたのは、浩一だろう?」
魔法を? 誰が? 使わせたって――浩一が?
「わかりません」
気がついたら答えていた。
「浩一からケータイに着信があったのは覚えてるけど、何を話したのかは……途中から覚えてません」
仙崎はしばらくの間、翔太をじっと観察するように視線を合わせたまま無言でいて、翔太は訳もわからずに見つめ返す。間に挟まれたアリアがオロオロしているのに、内心申し訳なく思いながら。
やがて仙崎は静かに頷き、アリアに向かって丁寧に話しかける。
「どうやら彼に責任能力はなさそうです。この少年に掛けられている全ての違反容疑と身柄の拘束を解除するよう要請させます。姫、もう心配はいりませんよ」
「は、はいっ! ありがとうございますっ!」
慌てて立ち上がったアリアはぺこりと頭を下げて、しかしまだ不安げに、
「それで翔太の……」
「そうですね。けれど、まずは彼に説明しないと」
そして翔太に向きなおり、
「長い話になる、お茶でも飲みながら話そう。よろしければ姫様も。……翔太、起きられるかな?」
言いながら浮かべた笑みは、先ほどとは違ってまるで友人にでも向けるような親しげなものだった。
* * *
「何から話そうかな……そうだなぁ。この世界の事から説明しようか」
繊細なティーカップを音も立てずに皿に置いた仙崎は、テーブルに置いてあるケーキを切り分け、にこやかに問いかけた。
「甘いものは好きかな?」
「嫌いではないです」
本当は割と好きなのだが、なんとなく仙崎への警戒が解けずにいたので、ぶっきらぼうに返答をしてしまう。しかしそんな返答に気を悪くするどころか、どこか嬉しそうに見える仙崎は、アリアと翔太の皿にケーキをサーブした。
「どうぞ」
「わ、ありがとうございます!」
「……話ってなんですか」
「まぁ落ち着いて。そのショートケーキ、うちの局員の手作りなんだ。感想を貰えると喜ぶと思う」
手作り、と言う割にはかなり本格的だ。真っ白な生クリームはキメが細かく、赤いイチゴがとても鮮やかだ。フランス生菓子にはうるさい浩一がここに居たなら、批評の一つや二つを並べていただろう。
――それにしても。
どうして自分は呑気にティータイムなぞしているのだろうか。さりげなく周りを観察してみる。どうやら先程まで居たお城のような場所とは違うらしい、と、高級感よりも実用性のある家具と調度品から推測する。
隣を見ると、アリアが上にのっているイチゴを食べようとしている。キラキラと大きな目を輝かせ、嬉しそうに、フォークに真っ赤な実を丁寧にのせて口へ運ぼうとして――
「? ……あっ!?」
視線に気づいて翔太を見た瞬間に、イチゴがぽろりとフォークから転がり落ちた。そしてテーブルを転がり、床へ。反応しきれずに受け止め損ねる。
翔太が拾うと、アリアは慌ててそれを受け取る。
「ご、ごめんねっ。ありがと」
「いや、別に」
なんというか、気まずい。
アリアは見るからにしょんぼりしている。見かねた翔太は自分のイチゴをアリアのケーキにのせた。
「え、いいの!?」
「ん」
「ありがとう!」
ぱぁっと笑顔になるアリア。案外子供っぽいんだな、なんて思っているとクスクスと笑う声が聞こえたので思わず素で睨みつけてしまった。
「……なんなんですか」
「いや、仲がいいなと思ってね」
何がおかしいのかよくわからないが、ひとしきり笑った後、仙崎はようやく話し始めた。
「翔太。君は、ここをどこだと思う?」
「どこって、何かの建物の中……」
「そうじゃなくて、もっとワールドワイドに」
「って言われても」
アリアがイチゴをぱくっと食べて、幸せそうに頬を押さえている。こんなに美味しそうにケーキを食べる人を初めて見た。窓からの光に照らされた、柔らかな金色の髪がキラキラ輝いていて、すごく絵になる。
翔太はアリアを眺めながら、少し考えて、答えた。
「外国、ですかね。百歩譲って、ですけど。色々変な事が多いけど、まぁそれはそれで」
「なるほど」
「それが何か?」
仙崎は息を吸い込み、一拍溜めて、吐きだした。そして静かな声で告げる。
「実はね、ここは日本なんだ」
「……は?」
「惑星規模で見ると日本と同じ緯度、経度に位置している。だけど違う次元にある。つまりここは、言わば――」
言葉を区切り、言う。
「異世界、かな」
言葉を失った。
「地球とは違う、けれど同じ惑星。それがここ、アストロニカ。そしてここはその世界の中の国の一つ、アルビニオン王国。科学ではなく、魔法で成り立っている国だ」
意味が分からなかった。相当変な顔をしていたのか苦笑されたが、そりゃあ、誰だって驚くだろう。
異世界って。魔法って。
なんだそれ、だ。
「ちなみに夢じゃないからね」
夢、じゃない? 嘘だ。
「根拠は」
「特にないけど。顔でもつねってみる? 手伝うよ」
「結構です」
なぜか残念そうに伸ばしかけた手を引っ込める。
しかし――異世界、ときた。仙崎を見る限りではふざけているようにも見えないし、何より……これが夢ならそろそろ目覚めても良さそうなのだがそんな気配もない。
「あの、仙崎さん」
「ん?」
「一万歩譲って、夢じゃないとして。で、ここが仮に異世界だって納得したとします」
「かなり譲ったね。しかもそれでも仮定の話か……僕はそんなに信用できないかな?」
「……。とりあえず帰りたいんですけど。今すぐに」
「ああ、それがね。帰れないんだ」
なんだって?
仙崎は真剣な顔になって言う。
「時空間転送魔法については厳しい規制が掛かっている。詳しい話は長くなるから後日説明するけれど、とにかくしばらくは帰してやれないんだ。違反者は捕まえざるを得ない。わかってくれとしか言いようがないんだけど」
「……」
翔太はじっと手元の紅茶を見つめた。色々と訳がわからなすぎて、頭が痛い。アリアが心配そうにこちらを伺っているのが空気で分かったが、応える余裕がなかった。そんな様子を見かねてか、まぁ、とフォローでもするように再び話し始めるのが聞こえる。
「うちの局でなんとかならないかやってみるから……そうだなぁ。まずは一ヶ月、我慢してくれないかな」
「一ヶ月もだなんて、さすがに親が捜索願を出しますよ……それに学校だって」
「母君については問題ないよ。君が通っている学校にも融通が効くから、こちらで何とかしておく」
「はぁ……?」
ますます意味がわからない。
「その間、君はこちらの学校に通ってもらう事になるんだけどね。魔術高等学院。年齢的には二年だが……しかしまぁ、一年に転入、って形になると思う」
「一年にですかっ?」
アリアが立ち上がった。なにやら瞳をキラキラさせているが。
「学科は?」
「魔法戦技科……ですね。研究科は初心者には風当たりが強いし、工学科もマニアックだから――姫、お手数をお掛けして申し訳ありません。彼を、お願いできますでしょうか」
「勿論です!」
すごくすごく、嬉しそうに、頷いている。そんな様子は見ていて和むのだが、そんな場合ではない。翔太の思考回路はあまりの展開についていけずにショート寸前である。
「あとは住む場所ですが……おっと、いいタイミングだ」
再びドアが開いて入ってきたのは、エミリだった。上品に軽く頭を下げる。
「申し訳ありません、遅くなりました」
「いえいえ! 滅相もない。どうぞこちらへ」
仙崎がエスコートをし、引いた椅子に座る。ひとつひとつの動作が優雅で、あぁ、こういう人も本当に居るんだなぁと現実逃避気味に思う。
ぼーっと眺めていると視線が合ってしまい、慌てた。陳腐な例えだが、まるで天使のような微笑みに、思考が停止する。真面目人間の浩一だって、絶対にそうなるに決まっている。
「翔太さん。気分はいかがですか?」
「はぁ……元気です。ありがとう、ございます……?」
ハウアーユー? アイムファイン。サンキュー。まるで英会話の例文のようだ。暴走する思考を無理矢理蹴っ飛ばし、真面目な表情になったエミリと向き合う。
「この度は翔太さんの魔法で大きな被害も出ずに済みました。ありがとうございます」
「いえ、俺は特に何も……気がついたらあんなことに。……なんかすみません」
「謝らないでください。お話は仙崎さんから聞かせて頂きましたから」
「話、ですか」
「はい。翔太さんは異世界出身なんですね。こちらの勝手が分からないのも無理はないでしょう」
「は……?」
「私はてっきり、イスタンシアから送り込まれた密偵かと。あの国ならそれくらいはやりかねませんし。どうせなら私の近くに置いて監視しようかと思ったのです」
「……イスタンシア?」
「大陸最大の国、イスタンシア帝国です……翔太さん」
深々と頭を下げて、
「疑って申し訳ありませんでした。あと、アルフが散々失礼なことを」
「い、いいです! 顔を上げてください」
慌てた。かつてないほどに。
こんな美人に頭を下げさせるなんて、とんでもない。翔太はあまり他人の見た目や顔立ちを気にしたことはないのだが、エミリについては別だと思えたのである。だってこんな美女はどこを探してもいない。ハリウッド女優だって敵わないと思う。
エミリはすっと顔を上げて、にっこりと翔太に微笑みかけてきた。
「翔太さんは優しいですね。ますます気に入りました」
「はぁ……」
にこやかな顔のまま、言う。
「そうですね、中断されてしまっていたお話の事なのですが――翔太さんはすごく可愛いので、やっぱり私の弟になってもらいたいと思うんです」
なんだって?
そういえばあの時もそんなことを言っていたような……一体どういう意味だろう。
「さぁ――翔太さん、こちらへいらっしゃい。アリアも」
言いながらエミリは立ち上がり、手招きする。困惑しながらも、ひとまず、言われた通りに寄っていく。なんとなくだがこの人には逆らわない方がいい気がしたので。
「お姉ちゃん?」
「アリア、魔法石は持ってる?」
「うん。持ってるけど……どうするの?」
「説明したでしょう? アリア」
そう言って、エミリは翔太に向き直り、




