1
目を開けると、白い天井の壁が見えた。
記憶がよみがえる。光、空、女の子。黒い鳥、ドラゴン、炎。
――夢だ。そう結論付けるのに時間はかからなかった。常識的に考えれば、まぁ、当たり前の結論だと思う。だって、あり得ない。
それにしても変な夢だ。疲れていたんだろうか? リーコの思い付きに付き合うのはかなり体力を消耗するし――そこまで考えて、違和感を覚えた。そういえば、どうして自分は寝ていたんだろう。確か学校帰りにリーコと浩一とで幽霊だか何だかの話をしていて牛丼屋に寄る事になった筈で。
「ここ……どこだ……?」
起き上がり、辺りを見渡してはじめて気付いた。部屋は無駄に広くて、シンプルながらもなんだか高級感がある。ベッドの他にあるのは、タンスらしき家具と鏡台のみ。
大きな窓からは広い庭と明るい空が見える。……しかしあれは本当に庭、か? 公園並みに広い。噴水もある。
「あ、よかった。目が覚めた?」
完全に油断していたので、声を掛けられて驚いた。ふわふわとゆるく波打つ、綺麗な金色の髪。好奇心にキラキラと輝くエメラルドグリーンの瞳。間違いない。夢の、あの女の子だ。なんでここに?
「……えーと」
いや待て、落ち着け。混乱する思考を必死に制御しようと足掻く。考えるんだ。
とはいえ浩一じゃあるまいし、理路整然と冷静に自分の状態を把握し、コントロールするなんて、無理だ。やろうと思えば出来るんだろうけど。なにせ人間は、死ぬ気になれば何でも出来るように出来ているものだ。
例えば鬼の形相になったリーコに半殺しにされるとか、死神の笑顔を浮かべたリーコに極刑を言い渡されたときとか。
しかし、そういう命のキケンを感じるでもないのなら、そこまでする必要はないと思う。
つまり何が言いたいかというと、さっぱり状況が分からないという事だ。
まぁ、状況分析が出来なくともこれだけはわかる。この子がここにいるということは、
「まだ夢なのか、これ」
「何か悪い夢を見たの?」
「じゃなくて」
女の子はきょとんとして首を傾げた。しかしいつの間にかすごく間近に 、顔と顔の距離が三十センチメートルくらいになっている。
「近いん、だけど」
女の子は苦笑した翔太に気が付くと、慌てて離れながら手を顔の前で振り、
「ごっごめんなさい! ちょっとよく見てみたくてっ」
「はぁ」
翔太はとりあえず、問いかけてみた。とりあえず、だ。
「名前。なんていうの?」
「あっそっか。そうよね」
女の子はにこりと微笑んだ。美人、とはあまり言えないが、十二分に可愛い容姿をしている彼女が笑うと、余計に可愛さが際立って見えてどうも落ち着かない。
「私はアリア。アリア・ローゼンベルク。王立魔法学院戦技科、一年です」
は? おうりつ? まほう? 緩みかけた思考がぶっ飛んだ。しかし自己紹介をしてもらってこちらは何も言わないのも失礼だろう。
「えっと、俺は――」
「しょーたさん、だよね」
「……。そう、桐原翔太。翔太でいい」
「翔太。不思議な響き……いい名前ねっ」
にっこり笑顔で言われると、やはりなんだか照れる。が、照れている場合ではない。聞くことは聞いておかないと、いくら非現実ドリーム世界とはいえ、場所くらいは聞いておきたい。
「聞きたい事があるんだ」
「なあに?」
「ここは、どこだ?」
「ここ? えっとね……」
女の子ことアリアはなぜかしばらく考えてから、
「アルビニオン城東館、一階客間、だよ」
なんだって? アル……何だ? 翔太は混乱しながら再び問いかける。
「ごめん。よく分からないから詳しく教えてくれないか?」
「?」
「いや、だから町の名前とか地名とか」
「土地? 領地ならアルビニオン王国のだよ」
「アルビニオン……?」
王国? しかも聞いたことがない名前だ。もしかしてやっぱり外国か。世界史は苦手だが、そんな国はあっただろうか? 我ながらすごい夢を見るもんだ。そう言えば少し前に浩一が言っていたのだが、これは夢だと認識しながら見る夢は明晰夢と言うらしい。つまり今の状態のことだ。
まぁ、仕方ないか、夢ならば。
開き直っているだけな気もするが、悩んでいても仕方がない。
「地図とか、ない? 見たいんだ。それも、えーと、なるべく広い感じて」
「うーん。ちょっと待ってて」
アリアはスカートのポケットから小さな画面の付いた、まるでスマートフォンのような端末を取り出して、操作した。
「!?」
突然、光で出来た文字と図形が宙に広がり、スクリーンのような画面が浮かび上がった。近未来のSFものでよくあるような――にしては摩訶不思議すぎる光景だが。あの端末は立体プロジェクターみたいなものなのだろうか? レーザー光線には見えないし、色彩も鮮やかだ。これほどまでにハッキリと写せるなんて、現代技術ではありえないと思うが。
さすが夢、ってところだろうか。
アリアは端末を操作して地図の倍率を変えている。
「こんな感じ?」
「あ、あぁ……ありがとう」
地図には、やはり見覚えのない地形の大陸が映し出されていた。全体の形は、あえて言うならオーストラリアに似ているような気がしない、でもない、か? いや全然違うけど。地理は選択してないからあまり詳しくないが、明らかに地球上にはない形の大陸だ。それくらいは分かる。
しかしそれよりも、
「なんだこれ」
地図に書き込まれている文字が全く読めない。見たこともない文字だ。象形文字のような、キリル文字のような。これも、地球上のどの言語の文字でもない気がする。
「どうしたの?」
「あー……うん。なんでもない」
笑って誤魔化した。夢の住人にコレハ夢ナンデスと説明しても意味がないだろうし。
アリアは、キラキラ輝く瞳でこちらを見ている。さっきからずっとこんな調子で、どうも落ち着かない。不快ではないが。
「翔太。さっきは助けてくれてありがとう」
「え、あー……あのよくわからん鳥のことか?」
「うん」
アリアは頷いて、
「翔太ってもしかしてこの国、初めて?」
初めてかと言われるとまあそうなのかもしれないが。翔太が頷こうとした瞬間――
「あ、起きたんだ?」
不意に知らない声が聞こえた。見ると声の主であろう、小学生、か、よくて入学したての中学生のような年頃の少年が、部屋に入ってくるのが見えた。
「アルフ」
「うん、姉ちゃん。ちょっといいかな」
そう断って、少年――アルフは、翔大に向き直った。アリアよりも薄いエメラルドグリーンの瞳が生意気に輝いている。誰だ。
「気分はどう?」
「え、あー。まぁ悪くはない、かな」
「そう。なるほど……確かに変だね」
変人呼ばわりされた。無遠慮に見てくる少年を睨むと、少年は口をとがらせた。
「兄ちゃん、目付き悪いよ?」
翔大が思ったのは、自分に弟は居ないという事だ。
「別に悪かねぇよ」
そう答えると、あっそう、とぶっきらぼうに返してくる。そして、なにやら仰々しく、腕組みをして話し出した。生意気なガキだな。
「兄ちゃんが気絶してる間に姉上が診察したんだけど……あ、本当はそういうのはうちの隊の役割なんだけどね。生憎、僕の隊は昼間の遠征からまだ帰還してなかったもんだから――って兄ちゃん、聞いてる?」
「聞いてない」
ペラペラよく喋るなぁ、と感心していた。
「……とにかく、そんなわけで診たんだけどね。どうやら兄ちゃんは僕らとは違うみたいなんだよ」
はぁ。
「まず、演算領域がほとんど空っぽだったってこと」
は? 何だって?
「こんなの生まれて今まで魔法を使ったことがないとかじゃないとあり得ないんだけど」
「魔法を……って」
そりゃあ、使った事なんて無いだろう。普通なら。
「普通に暮らしてるならおかしい話だよね?」
いや、逆だ。普通に暮らしてたのなら、使うことがないんだろう。魔法? 厨二病でもこじらせてるのか? いや、アルフの年齢からすると、これからだろうか?
「確かに、最近はお湯を沸かす程度のことまで現代魔法がやってくれるし、術式の保存なんてする人は少ないんだろうけど。それにしたって極端すぎるよ。魔法力操作領域ならもっとだ。ほとんど使われた形跡がないんだもん。魔法族なら、まずありえないね」
もうだめだ、ついていけない。
しかしアルフは、こちらの反応なんて全く気にせずに喋り続ける。
「それと瘴気耐性の異常な低値。まったく、どこの辺境の生まれなわけ? 今時生まれてからここまで防護術式無しって、考えられない。王都だって瘴気濃度はゼロじゃないのに」
「えっ、そうなの!? 大変!」
アリアが身を乗り出して額に触れようとしてくる。あわてて避けた。だから、距離が近いんだって。心臓に悪いったらない。
アルフは嘆息した。
「大丈夫だよ姉ちゃん。こいつにはさっき防護術式掛けといたから心配しなくていいよ。母上が直々に掛けてくださったんだ」
「お母様が? 本当?」
「うん。僕はこんなやつにそこまでしなくていいって言ったんだけど……」
「よかった! それなら、安心ね」
なんだかよく分からないが、悪いようにはされていないらしい。じっと翔太を見つめてくるアルフから目をそらしてアリアを見ると、バッチリ視線が合った。アリアは翔太をまっすぐに見返してくる。どこかイライラしたアルフの声が聞こえた。
「ともかく、母上の術式はトライデント級の強度があるんだから兄ちゃんは一生感謝し続けるべきだよ」
「あー。うん」
「僕の話、聞いてないでしょ」
「聞いてるように見えるか?」
アルフはますます眉間にしわを寄せて、盛大にため息を吐き出した。
「はぁ……まぁいいや。それより今から言うことの方が大事だからね。今度こそ、よく聞いてよ?」
よく聞いてと言われても。
「兄ちゃんがなによりも僕らと違ってるのはね……」
こちらの沈黙をどう受け取ったのか、アルフはたっぷりと溜めてから言った。
「――魔法力演算領域が完全に機能してるんだ。防護術式も無かったのに、だよ」
まぁ、やはりというかなんというか、残念ながら翔太にはその言葉がもたらす意味は理解できなかったのだが。
翔太のリアクションの薄さに微妙にたじろいだアルフは、咳払いをして無理矢理話を続けた。
「あの時兄ちゃんがいた場所。アルビニオン城敷地内にはね、結構厳重な魔法規制の結界があったわけ。なのに、観測部隊の報告によると、兄ちゃんは何もない所から突然現れた――しかも姉ちゃん……アリア姉ちゃんが使ってた召喚魔法は、人間はまず呼び出せない、筈なんだけど」
沈黙が舞い降りた。やたらと重い沈黙だった。
「……はぁ。それで?」
とりあえず言ってみたものの、アルフはなんとも言えない顔をしているし、アリアはというとおろおろと困り果てたように翔太とアルフを交互に見ている。
なんだ、何かまずかったのか。
アルフは小さくため息を吐いた。
「兄ちゃん。手、出してみて。両方」
「うん?」
言われた通り差し出すと、アルフはおもむろにポケットから手錠を取りだし――ガチャリと不吉な音が鳴った。
「えー、アルフレート=ルベライト・ジェノ・ローゼンベルク・アルビニオンの名において、異次元転送魔法の無許可使用及びその他禁則魔法の使用、あと、不法入国の容疑で兄ちゃんを逮捕します」
両手を、拘束された。手錠らしきものに。
「……はぁ!? ちょ――ええっ!?」
「アルフ!?」
「規則だからね」
意味が分からない。が、それ以上にムカつくガキだと思った。
「元気なら歩けるよね?兄ちゃん。行くよ」
「拒否する」
「残念だね、不法入国者には拒否権、ないから」
「冗談じゃねぇ! 勝手に犯罪者にされてたまるかっての!」
しかも夢で! なんて悪夢だ!
アルフは涼しい顔でしゃあしゃあと言う。
「犯罪者じゃなくて容疑者だね。まぁ状況は限りなく黒に近い灰色ってとこだけど、まぁ黒じゃないから形式上は容疑者だよね」
「容疑も何もあるか!」
「どこの大神殿でも防護術式を掛けてもらってない。その上身元も不明。服が変」
「うるせえよ! 変って制服だっつの。学校の!」
「学校? どこの?」
「東京だ!」
「……東京?」
アルフがそこで初めて眉をひそめた。通じた? もしかすると、もしかするだろうか。
しかしすぐに首を振って、アルフは手錠を引っ張った。野郎。
「――まあいいや。とにかく、アルビニオン王立魔法軍第一戦闘部隊副隊長の権限にて連行します。大人しくついてきて?」
「結局スルーかよ……待てって!」
「容疑者は容疑者! 観念してよね」
なんてこった。翔太は頭を抱えたくなったのだが、生憎、手錠でそれは叶わなかった。




