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駅前の牛丼屋にて。梨衣子は牛焼肉定食の白米の上に肉を盛り、豪快に食らう。その割にはよく噛んでから飲み込んでいる。
味噌汁を飲み干し、空になったお椀をテーブルに勢いよく置いて、大きな目をカッと見開いた。気のせいかトレードマークのポニーテールが逆立って見えた。
「美味いッ! もう一杯!」
「おかわり自由は違う店だよ。追加、買いに行く?」
「やめとくわ。それより浩一、約束だからね? 詳しい話を聞かせてもらうわよ」
「食べ終わってからでいい? 行儀が悪いからね」
「いいわ。その間にデザート頼むから。すみません、牛丼並みひとつお願いします」
「それ、デザート?」
「当然」
五分後、浩一が食べ終わるのと同時に梨衣子は箸を置いた。丁寧に手を合わせる。食欲はともかく、行儀はいいのだ。
「で、浩一。翔太はどこへ家出したの? 行き場の無い青春を、どこへぶつけにいったの?」
「あー、うん。説明するよ」
もちろん梨衣子は本気で家出したなんて思っていない。冗談を口にしながらも目はずっと真剣だ。
さて、どう説明しようか。
「――梨衣子。梨衣子は、魔法って信じる?」
「信じるわ」
断定だった。
浩一が固まっていると、梨衣子は首を傾げた。本気で不思議そうな顔をして。
「どうしたの?」
「……うん、なんでもない。続けるね」
「どーぞ」
「じゃあ、異世界って信じる?」
「信じる」
「……。単刀直入に言うと、翔太は魔法で異世界に飛ばされたんだ」
「そっか。だから急にいなくなったのね?」
「うん、だからいなくなった」
「なるほどー」
梨衣子はお冷をごくごくと一気飲みした。そしてお椀と同様にテーブルに叩きつけ――
「浩一? 私、遊んでるつもりじゃないのよ? 賢い賢い浩一ならわかってると思うけれど」
「あ、やっぱ信じてなかった」
「当然。ありえないわ、非科学的よ。魔法なんて。異世界もよ。確かに私はファンタジーが好きだけど、それはお話だからなのよ」
梨衣子はキラリと目を光らせる。
「で、まだ冗談を言うつもりじゃないわよね? お腹いっぱいで気分がいいから、さっきのは許してあげる」
「……実は証拠があるんだ」
「証拠?」
「魔法を、僕が使って見せるよ。原理も説明する。それから実際に異世界に行く。それが、魔法が存在するって証拠。今から見せるから――」
「ち、ちょっと待って」
梨衣子は頭を抱えた。そしてそのままの体勢で浩一を見た。まるで睨まれているかのような目力である。
「本気で言ってるのね?」
「本気。実は一刻を争うかもしれなかったりもする。翔太が無事でいる可能性は高くない、と思う。いや、今は恐らく無事だって事には間違いないんだけどね。けど、このままじゃ十中八九無事じゃなくなる。とにかく助けにいかなきゃならないんだ。翔太が向こうで魔法を使う前に」
「分かった」
「本当に?」
「うん。本当なのよね? ふざけてなんか、ないのよね?」
「本当だよ」
「じゃあ今すぐその異世界とやらに連れていって」
「うん。でも今すぐってわけにはいかないんだよ。転送魔法は、許可が降りないと使えないからね」
「許可? 誰が出すのよ」
「僕の上司。今は翔太がいる異世界――アストロニカって名前の世界にいるんだけど、連絡して向こうからゲートを開いて貰うんだ」
梨衣子は深いため息をついた。
「全く、大変なことになったもんだわ」
「一番大変なのは翔太だと思うけどね……」
「そうよ。そういえば、異世界とやらに飛ばされたっていうけど、翔ちゃんのママにはなんて説明するつもりなの?学校は?」
「それは……実はもう説明してある。というか、いつかはこうなるって分かっていたから翔太の親御さんには前もって知らせてあるんだ」
「どういうこと?」
「話せば長くなるんだけど。そんなわけで、後回しにしていい? まずはゲートを開く申請をしにいかなきゃだから」
「私も行く」
「うん。けど、異世界に行くのはちょっと無理かもしれない」
「!? なんでよ!」
「学校があるだろ?」
「それは浩一だって。翔太もそうよ!」
「翔太は帰宅部だし、僕はコネがあるから大丈夫。でも梨衣子には生徒会がある」
「……翔ちゃんを見捨てろっていうの?」
「そうじゃない。そうじゃないけど」
梨衣子はふう、と物憂げなため息をついて、
「確かに私は生徒会役員。学校の生徒のため毎日しなければいけない仕事が山盛りだわ」
「うん、だから翔太のことは僕に任せて――」
「でも翔ちゃんも我が校の生徒なのよ」
拳をグッと握り締める。割り箸が折れんばかりに。
「幼馴染みだからってのもあるわ。私も人間だもの、身内に甘いのは自覚してる……でも、だからって翔ちゃんがうちの生徒だって事には変わりはない。なら、生徒会がサポートすべきよ。だから!」
ついにバキリと音を立てて、割り箸がまっぷたつに折れた。
「私は! 生徒会として翔ちゃんを助けに行く。何より、幼馴染として助けに行くわ。魔法だかなんだかよくわからないけれど、翔太が危険な目にあってるなら何が何でも助けに行く! これは公式の決定事項だから! 文句は言わせないわ!」
「え、でも梨衣子、会長にも通さないで公式になるの?」
「なる。だって私は表向きはただの役員だけれど、非公開の第三者委員としてのお役目もあるもの。だから会長と同等の権限があるの」
「初耳だ……」
梨衣子は裏から学校を牛耳るまでに登りつめていたのか。さすが番長。
梨衣子は得意げな顔をして言った。
「もちろん、文句は言わないわよね? 浩ちゃん」
「梨衣子がそこまで言うならね……」
もう、梨衣子を止められる人はどこにもいないのだ。
「そうと決まったら早速行くわよ」
「ま、待って、迎え呼んであるから! 梨衣子、カバン!」
走り出した梨衣子はもうどこまでも突っ張っていく。
そんな彼女に追いつけたのは、梨衣子が店の前で腕を組んで睨みながら立っていたからだ。
目の前ポルシェを不満げに睨みつけている。他に止めてある車がないから、すぐにわかったんだろう。この辺は路駐禁止で、しかも警察が目を光らせる重点ポイントみたいだから。
梨衣子はなぜか不満げな顔で言った。
「ねえ浩ちゃん。謎の組織の迎えの車っていったら黒塗りのリムジンってきまってるんじゃないの? 拍子抜けだわ」
「梨衣子、ドラマの見すぎだよ」
「まったく、らしくなさすぎだわ。なんていうか、スポーツカーでしょこれ。アクティブすぎなのよ」
「……っていうか、謎の組織じゃないからね、管理局は。正式名称は異世界相互転送における時空・空間魔法の管理事務局」
「名前無駄に長くない?」
「僕もそう思うけど」
「よォ、坊主!」
会話に声が割り込んだ。背後から。
浩一は嫌な予感を堪えながら振り返った。梨衣子や翔太にはまず見せない、思い切り嫌そうな表情を作りながら。
この声は、間違いない。
「……やはりあなたでしたか」
「なんだなんだ? 俺じゃ文句あるってのか?」
「今時アロハに白衣だなんて強引にキャラ付けしてる阿呆なんかに迎えは頼んでませんが」
「かーッ! 相変わらず可愛くねぇなお前!」
周りの目を全く気にせずに地団駄を踏んでいるこの男。長身で、短い茶髪で、春なのにサングラスで、アロハシャツに白衣を羽織り、まだ気温は高くないのに袖を肘までまくり上げている、無精ひげの男。名前は――
「嬢ちゃん。お初にお目にかかるな? 俺は陸前。篠崎陸前様だ。よろしくな!」
「ええ、よろしく! 藍川梨衣子様です。ところでお尋ねしますが」
梨衣子はキラリと目を光らせた。
「篠崎さん、あなたも魔法使いだとか言い出したりするんですか?」
「俺が魔法使い? ははは! 嬢ちゃん面白い事言うなあ」
「! そうですよね! あはは、いきなり変なこと聞いちゃってすみません」
「いやいやいいってことよ。そうさ、俺は魔法使いなんかじゃねぇさ。そう……敢えて言うなら――」
そこで篠崎はたっぷりと溜めて、バチンと下手くそなウインクをした。
「世界を救う、愛の伝道師さ」
空気が凍った。
「行こう梨衣子、迎えなんかなかったよ。あっちにタクシーの乗り場が――」
「おい浩一、冗談だ。フェードアウトするように離れてくんじゃねぇ」
浩一は渋々立ち止まる。
「ならさっさと行きましょう。翔太の転移先は特定出来たんですか」
「ああ、誤差数百メートルの精度で絞り込んでるってよ」
「翔ちゃんを知ってるんですか」
梨衣子が割り込んだ。篠崎は深く頷いた。
「まあな。俺らの業界じゃ有名人だ」
「有名人……? 翔ちゃんが?」
「ある意味世界の中心だからな。ま、そのうち説明してやろう。浩一がな」
篠崎はそう言って車の後部ドアを開けた。
「さ、乗りな。詳しい話はあとだ。駐禁切られる前に、な」
* * *
「しまったな」
運転席で舌打ちをした篠崎に、後部座席の浩一は眉をひそめた。
車は首都高速を爆走中である。
「どうかしましたか」
「後方三キロ弱。奴らだ」
「……まさかこの車、特定されて」
「それこそまさかだ。備品だぞ? 探知対策は万全だ」
「陸前さんの私物じゃないんですか、この車」
「阿呆か、車は軽に限る――浩一」
前を向いたまま、篠崎は真剣な顔になって言う。
「迎撃しろ」
「僕がですか」
「俺は運転してんだぞ?」
「それくらい訳ないでしょう」
「多分奴らは魔法力を辿ってんだ。俺だと後々厄介だ」
「ひどい上司ですね。まともな法具すら持ってない部下に戦わせるだなんて」
「そう言うな。嬢ちゃんに魔法使いなのを証明すんだろ?」
「……わかりました」
「ちょっと浩ちゃん、何をするって?」
隣の梨衣子が言いながらがしっ、と二の腕を掴んできた。痛みにおもわず苦笑いしそうになる。梨衣子の握力は男子高校生並なのだ。
しかしまぁ、それはそうとして。
「追跡者を魔法でやっつけるんだ」
「え……今?」
「そう、今から。僕が使うのは、魔法を機械のプログラムにして使う方法、現代魔法」
梨衣子は不審そうに眉を顰めながら首を傾げた。
「機械ってそれ?」
「そう」
「……ケータイじゃない。いつもあんたが持ってる化石レベルのガラケー」
「うん。このタイプの古い携帯電話は改造しやすいからね。この中に入れたICチップに、魔法って呼ばれる現象を引き起こすアプリケーションがインストールされてるんだ。あと魔法力感応鉱石も回路に組み込んである」
「アプリ……?」
「そう。だから梨衣子にも使える。魔法力さえあればね。梨衣子は純粋な魔法族である翔太と、長く、しかも子供の頃から一緒にいる。だから、翔太が無意識に発散してる余剰魔法力を全身に受けてた」
「……」
「だから体に眠っていた魔法力操作領域ってものが活性化されて、機能してるんだ。地球にいる人間の中ではかなり珍しい――というか、梨衣子くらいなんだけどね、こういうレアケースは」
「言ってる意味が全くわからないんだけど」
「つまり梨衣子にも魔法が使えるんだ。翔太みたく身一つで、とはいかないけれど、専用の機械さえ使えば」
「わたしが? 魔法を? まさか」
「うん、単純な魔法なら普通に使えると思う」
「……っあーもう! 訳がわからないわ!! っていうか、追っ手が来てるんでしょ? 早くやっつけないと。謎の組織を狙う、さらなる闇の組織なのね」
「……。梨衣子、もしかして適当に発言してる?」
「大分前から適当にしか発言してないわ」
「……まあ、そうだろうとは思ってたけどね」
携帯電話を操作する。端末のUSBインターフェースに、付属部品を取り付ける。
「なにそれ?」
「電池みたいなもの。地球の大気中の魔法力はすごく薄いから、こうやってあらかじめ魔法力を集めてカートリッジにしてるんだ」
「へぇー」
「魔法の使い方は、まず携帯電話の中のデータから、使う魔法のプログラムを選択する。複数のプログラムを組み合わせることも出来る」
「へぇー」
「次に、ロードしてプログラムを術式に変換する。魔法力感応鉱石が電気信号のプログラムを魔法力の信号に変換してくれる。で、それを僕が受け取って、術式を構築する。‘申請、第一安全装置解除’」
「へぇー……って、ええっ、ちょっと!」
梨衣子が驚いた声をあげる。まぁ、驚くのも無理はない。携帯電話を中心に光が集まり、帯状の複雑な模様が浮かび上がる。さながらファンタジーもののゲームのように。常識的に考えたら、現実には有り得ない光景だろう。
けれど、今は常識なんぞにとらわれている暇はない。
「いきます。座標指定してください」
「おう。今送る」
常人には見ることのできない魔法力の輝き。術式が活性化し、浩一らが乗っている、時速約八十キロで走行するスポーツカーを取り囲むように帯状の魔法陣が展開する。
「‘SUNLIGHTーREFLECTION・OVERLAY’」
瞬間、陣が強く輝き、後方へ強い光の光線を放った。
梨衣子が唖然とした表情で後ろを見たまま固まって、篠崎はピュウ、とへたくそな口笛を吹いた。
「おー、命中。お見事」
「どうも」
「ってか容赦ねえな? 一段階解除じゃ上級の出力の光魔法だろそりゃ。残り魔力は。予備は」
「予備はあと三つです。コレはすっからかんですけどまあ、いいんです。非常事態ですから。変に加減して邪魔だてされたくありませんし」
「うひー、こえー。味方でよかったー」
「何言ってるんですかもう」
「……浩一」
静かな声。梨衣子が硬い表情で浩一を見つめている。
「いまの、なに」
「魔法だよ。太陽光を反射して相手の視界を奪う魔法。視界ゼロだから、今頃走行不能かな」
「走行不能って、事故るんじゃないの?」
「まさか。大丈夫だよ。向こうも魔法使いだよ? 万が一事故になったとしても、魔法でなんとかしてると思う」
「……あーもう」
こめかみを抑えて嘆息。浩一を横目で見ながら、わざとらしくやれやれと首を振ってみせる。
「頭痛が痛いわ。痛過ぎるわ」
「酔った? 大丈夫? 薬ならあるよ」
「違うわよ。全く、ふざけてるわ。何もかも全て」
「今の魔法の原理はね、まず太陽光の降り注ぐ範囲を指定して、そのなかの光量と熱量を――」
「いい! もういい。魔法なのにそんな科学っぽいこと言わないで。混乱するから」
「だってこれ半分科学だし」
「科学!? 魔法でしょ!?」
「うん。科学のプロセスで魔法現象を引き起こすのが現代魔法だよ」
「わけがわからないわ。わけわかめだわ」
「懐かしいね、その言い回し。わかめの味噌汁が食べたくなるよね」
「ならないわよ」
ふん、と鼻息荒く梨衣子は浩一に掴みかかった。
「うぐっ」
「そもそもね、今のが魔法って本当に証明できる!? 盛大なトリックとかじゃないの、ねえ」
「くるし……」
「嬢ちゃん、落ちるぞ。緩めてやれ」
不満げに梨衣子が離れる。咳き込んでいると篠崎の笑い声が聞こえた。
「嬢ちゃんにはだいぶ甘ぇんだな? え? 管理局のエース様よぉ」
「うるさいです……運転に集中してください……」
「ハハッ。あいつらに見せてやりてえな」
高速を降り、一般道をしばらく走る。郊外らしく静かな街並みを抜ける。そして、建物もまばらになってきた頃。梨衣子が顔を引きつらせながら尋ねた。




