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騎士の言葉に二人は驚き、制止を振り切り外階段へと駆け寄った。
いくつもの松明が赤い炎を上げて、魔女の交代を寿ぎに来ていた……はずだった。
けれどそこにいるのは重厚な甲冑を身に纏い、鋭い目でこちらを見上げる騎士……少数とはいえ軍隊。
「なんで……」
市民達の服装をして、昼の間に密やかに集っていたらしい。
悲壮な声ネアイラの声に、その者達の一番前にいた男が二人を仰ぎ見た。
「……!」
息をのむ音。
一人の男がいつもと同じ優しい笑顔を浮かべて、一つひとつ階段を上がってくる。
「ネアイラ」
いつもと同じ優しい声が、彼女を甘く呼ぶ。
事の成り行きについていけないエウリュノメもネアイラも、近づいてくるヘリオスを唯々見つめていた。
目の前に立ったヘリオスは、優美な仕草でネアイラの手を取る。
「迎えに参りました、我が花嫁」
「ヘリオス……?」
何を、言っているの?
花嫁? 迎えに来た?
ネアイラは訳も分からず、唯じっとヘリオスを見上げる。
「何を言っておる? 婚姻は出来ぬと伝えた時、お前は了承したであろう……」
エウリュノメは我に返って口にしたが、ヘリオスに一睨みされてその違和感に気付いた。
ヘリオスなのは確かだ。
確かなのだが……
「……ヘリオス?」
「どうした、ネアイラ」
ネアイラに向ける優しい笑顔は、間違いなくヘリオスだ。
しかし。
「なぜ、泣いているの?」
ネアイラには、見えていた。
瞳の奥が、怯えているのを。
泣き出しそうなくらい、悲しげに歪んでいるのを。
「しろきひと」
面と向かって呼ばれたその名に、ネアイラは視線を移した。
ヘリオスの後ろに、一人立つ男。
「国王」
何度か謁見したことのある、ヘリオスの国の王。
王は慇懃なまでの礼を示し、視線を後ろに流した。
「どうかヘリオスの妻となり、我が国にあらんことを」
目の前には、違和感のあるヘリオス。
そして国王、軍隊。
「……そなた、呪を使ったか」
エウリュノメは忌々しそうに呟いた。
魔女ではなくなったその時から、人としての感情を取り戻しつつあるらしい。
今まで抑圧されていた魔女であることで受けた様々な負の感情が、エウリュノメの心に溢れる。
国王は片眉を上げると、道端の石ころを見るかのように目を細めた。
「断れば、ヘリオスの命を断つ。国王である私の命令に背いたかどで」
「なっ!」
何か言おうとしたネアイラの言葉は、国王に遮られた。
「これは我が国のこと。申し訳ないが、しろきひとに口を出す権限はない」
ヘリオスは、唯々優しく笑っている。
心は、断末魔の叫びをあげているだろうに。
切り離された意識は、目の前の成り行きを見て絶望の中でのたうちまわっている。
「先代魔女として、それは許さぬ! 軍を引かれよ!」
声を荒げたエウリュノメを、国王は一瞥した。そうして後ろに視線を流すと、数人の騎士が駆け寄ってきた。
「拘束しろ」
「はっ」
見る間に腕を掴まれ身動きできなくなったエウリュノメは逃れようとするが、ただの人の彼女にそのすべはない。
ネアイラはヘリオスを見つめたまま、ぽろりと涙を零した。
「ヘリオス?」
問いかければ、微かに聞こえた彼の心の望み。
「俺を、」
殺して。
君の枷になりたくない
ネアイラは、小さく頭を振った。
きっとそんなことをしても、国王からの圧力は変わらない。
けれど私は宮を出ることはできない。短期間の視察ならばまだしも、月の魔女は居住を動かすことはできないのだ。
「当代魔女よ! 悩むことはない、この者達を消してしまえばよい!」
絶望に飲み込まれそうになるネアイラの耳に、エウリュノメの叫び声が響く。
魔女。
魔の力を持つ、女。
その力をもってすれば、ここにいる軍など殲滅できる。
「……」
けれど過ぎたる力は、異端視され排除される。
月の宮があることで、均衡を保っているこの世界を壊すことになってしまう。
国王は答えを出さないネアイラに焦れたのか、ヘリオスに向けて剣を下ろした。
周囲の騎士も、その行動に驚きただ呆然とその刃先を見ていた。
同僚だった者が、罪という罪がないままに国王に剣を向けられる様を。
国王にとってそれは、怪我を負わせるだけのパフォーマンス。
重傷を負ったヘリオスを、見捨てることができるのかと。
私は本気だということを。
そう示すための行動。
――が。
「エウリュノメさま!?」
その刃の切っ先は、今の今までこの地上を護ってきた先代魔女の心の臓に吸い込まれた。
ヘリオスを庇う為、エウリュノメが身を挺したからだ。
いつの間にか拘束から逃れていた彼女を押さえていた騎士も国王も全ての者達が、崩れ落ちていくエウリュノメの姿をただ呆然と目に映していた。
慌てて体を支えようとしたネアイラに、エウリュノメは笑いかける。
「この者は、そなたと時を同じくする者。手放してはならぬ」
弱い、弱い、人の命。
先ほどまでのエウリュノメならば死ぬ事のない怪我だが、今は唯人。
先ほど初めて色づいた瞳は暗闇に吸い込まれるように色を失い、光の粒となって消え去った。
体も、髪も、服さえも。
その光景を見ていた人々は、恐れた。
自分達と違う存在を。
唯ひとり残った、「しろきひと」を。
国王は見開いた双眸にネアイラを映し、ゆっくりとその刀を向ける。
「我が国に来るか、宮ごと消し去られるか……選ぶがよい」
ネアイラは国王に答えず、消えていく光の粒を掌にのせ温かな息を吹きかけた。
一度聞いたことのある、古の村。
最後に行きたいと言っていた、両親のもとへ運ぶようにと。
掌から光は消え、ネアイラを心配するように漂う光の粒も微かに残るばかり。
それが消えてしまえば、エウリュノメの存在を肯定してくれるものは一つとして残らない。
ネアイラのこれからを護るために、心を護る為にヘリオスをかばった先代魔女。
湧き上がる悲しみが、ネアイラを支配した。
 




