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「月の宮ってでっかいなー」
普段は響く事のない、小さき男児の声が宮に響き渡った。
両親は焦ったようにその男児の口を塞ぐ。
「申し訳ございません!」
当代魔女の前で跪く両親に無理やり頭を抑え込まれて、男児は納得いかないようにじたばたと暴れている。
「あぁ、よい。幼き子には退屈であろう」
「幼くない! もう十になる!!」
父親の手の下から脱出して魔女の前に胸を反って笑った男児を、慌てて母親が捕まえた。
「申し訳ございません! 外に出しますので、ご容赦くださいませ!」
「容赦など、私は何も気にしてはおらぬよ。そなた、外で少し待っておるか?」
ゆったりと穏やかに問いかけられた男児は少し赤くなりながら頷くと、母親の静止も聞かず駆け出して行ってしまった。
当代魔女の心が、穏やかに暖かくなる。
けれど――
「大変申し訳ございません! いかようにも罪は負います故、我が国に……」
「気にしておらぬといったであろう」
謝罪を続けようとした男の言葉を遮り、当代魔女は目を細めた。
ゆっくりと、その感情が冷えていくのを感じる。
月の宮は憂える。
なぜ人々は魔女を頼り恩恵に預かりたいと押しかけるのに、魔女を恐怖の対象とするのだろう。
そんなに怖いのならば、近寄らなければよい。
恩恵だけの為に傅こうとする人々を、魔女がどう思うかなど考えもしないのだろうか。
魔女は、魔女である前に人であるというのに。
「あれ? なんか真っ白いのがいる」
宮の拝殿から飛び出した男児が迷い込んだのは、庭園。
そこにいたのは、しろきひと……ネアイラ。
宮女から逃げていたら、一般の者たちが入れる場所まで来てしまっていたらしい。
大きな木の下で、午睡を貪っている。
男児は初めて見る「しろきひと」に、目を奪われていた。
真っ白な輝く髪、陽に照らされても赤くなっていない雪の肌。
同じ年くらいだというのに、神々しいばかりの雰囲気に言葉もなくしてただ見つめていた。
どれくらいだろう。
一刻か、半刻か。
そのましろきまつ毛が震え、土色の瞳が押し上げられた瞼の向こうに見えた。
「あ、起きた」
飽きることなく見つめていた男児が零した声に、ネアイラは一気に覚醒した。
「えっあっ、えっ!!!」
慌てて立ち上がると、男児のいない幹の反対側へと逃げる。
ふわりと揺れた白い髪を目で追っていた男児は、幹の反対側から自分をこっそり覗くネアイラの姿に思わず笑った。
「なんだよ、ただの子供じゃんか」
おかしそうに笑う男児に、ネアイラは何が起きたのかもわからずただ鼓動を早まらせ、幹から彼を覗き見る。
濃い茶色の髪は少し伸びていて、時折吹く風に遊ばれている。
少し大柄な体だけれど、幼い顔はそんなに違う歳とは思えない。
そして――
――土色の瞳
自分と同じ色を持つ瞳に、なぜか少しほっとした。
ひとしきり笑った男児はまだお腹が痛いとでもいうように手で押さえていたが、ネアイラに視線を移した。
「……!」
驚いて顔をひっこめる彼女にやっぱり笑いながら、彼女とは反対側の幹に背をつける。
「俺はヘリオス。太陽の神様と同じ名前なんだぜ、凄いだろ!」
「……」
あ、とか、う、とか。言葉にならない単語がただ漏れる。
ネアイラは、相手が子供とはいえ男そのものと話す機会があまりない。
護衛としてついてくれている騎士や、月の宮を護る者たちとだけ会話にならないような単語の応酬をする機会がたまにあるだけ。
それも、当代魔女の後ろに隠れながら。
ちらりと視線を上げれば、ばちっと自分を見ていたヘリオスと目が合って慌ててそらした。
確かにヘリオスは太陽神の名前だけれど、何が凄いのかさえ全く考えられない。
「聞いてる?」
「!」
ひょこっと顔を出したヘリオスの近さに驚いて飛び上がると、ネアイラは一気に近くの宮の中へと駆けこんで行ってしまった。
後に残されたヘリオスはぽかんと口をあけたまま彼女の後姿を見送っていたけれど、我に返った途端大声で笑いだした。
「なんだあれ!」
大声で笑うヘリオスを、ネアイラは近くの部屋に隠れながら覗いていた。
なんでこんなところに、外の人がいるの!?
って、私がいけないんだよね? こんなところにいるから!
うあーうぁー。恥ずかしすぎる!!!
それでも。
――なんだよ、ただの子供じゃんか
ヘリオスの言葉は、ネアイラの心に留まった。




