10.5話「仮説6」
仮説6
●記憶転移における可能性
臓器移植を受けた患者に、ドナーの記憶が入り込む症例は世界に散見している。
その多くは趣味趣向や性格の変化などで留まるが、稀に記憶そのものを断片的に覚えているという例もあるようだ。
しかし、それらの情報源はあやふやであり信用できるものであるかは怪しい。
臓器移植の際に発生するこれらの現象を、世間的には『記憶転移』と呼ぶ。
この記憶転移が起きる説明として、臓器内の神経組織が記憶を蓄えているからという説がある。
例えば、心臓の移植をしたとしよう。
心臓の中には神経線維の密集した部分があり、大脳から独立して心臓の運動を制御している。この部分が、大脳皮質と比較すればごく少量であるが記憶を蓄えておくことができ、移植によってその記憶がレシピエントに受け継がれるという考え方である。
また、生物の細胞自体に記憶を蓄える能力があるとする細胞記憶説もある。
当然、これらの原因に関して立証はされていない。
むしろ免疫抑制剤などの副作用、健康になった精神面の変化などが影響した可能性も否定はできない。
少なからず、記憶そのものを引き継いでという話は眉唾である可能性が高いだろう。
だが、そもそも臓器移植をおこなう上で、患者がドナーの関係者に接触することは固く禁じられている。
提供者の情報を知るすべがないため、これらの確認が難しいのも事実である。
(中略)
既視感。俗にデジャブと呼ばれる現象に思考が及んだ。
これはある光景を見て、それを前にも見たことがあると錯覚する現象である。
つまり今の私と言う存在は、非常に強力なデジャブに塗りつぶされた『橘夏樹』ではないかという考え方だ。
残念ながら冒頭の臓器による記憶転移は、移植を受けていない体である以上は否定するしかない。
しかし、デジャブという方法で記憶が転移するとすれば。その前提において、記憶転移に近いことは起きるのかもしれない。
では、錯覚した人格の原因はどこに眠っていたのだろうか。
ここで「仮説1」で立てた輪廻転生に関する内容を織り込む。
臓器には僅かだが記憶を蓄える能力があるという説があった。
同じく、魂という存在に記憶を保存する能力があったとしよう。
極楽浄土へ向かわず、再び「人間道」へと進んだ私の魂に前世の記憶が保存されていた場合。脳死によって空になった橘夏樹の脳が、そこから何かの『きっかけ』でデジャブを起こす。
きっかけというのは、おそらく生前の私にも起こったことのある外的要因だろう。
そこからの連鎖反応で、色濃い既視感が空白の脳みそを埋めれば、今の私ができあがるはずだ。
書いておいてなんだが、奇跡に奇跡が重なってもまだ足りない確率の話をしている気がする。
ここに至るまでにいろいろな可能性を模索したため、少しばかりファンタジーの方へと入り込みすぎているのかもしれない。
今一度、内容を吟味しなおす必要があると結論付ける。
『 の手記・現状への考察』より、部分的に抜粋。